ホットでオクトな山めし
標高1800mの世界で、釈迦の威光を少女たちは浴びていた。
「わたしたちを見守ってくれてありがとうございます……」
メインザックを背負ったまま手を合わせ、釈迦ガ岳山頂の釈迦像にお参りする絵里。優美な釈迦像は微笑みかけているようにも見えた。
「それにしても、大きなお釈迦様だね」
ブロンズ製の仏像を見上げて、絵里は驚嘆の息を吐く。
「身の丈は3.6mあるらしい」
みつきの手には「奈良県の山」の本。そこには、雪を頭に被ったこの山頂と釈迦像の写真が掲載されていた。雪山と化した釈迦ガ岳のもう一つの顔は、それはそれで美しく絵里の心を打つ。
「こんな大きな仏像、ヘリコプターで運んで来たのかな?」
「と、思うだろう?」
小首を傾げて出てきた疑問を、みつきは木っ端微塵に打ち砕く。
「これはオニ雅と呼ばれた強力、岡田雅行という方が仏像を担いで山頂まで運んだらしい。岡田さんは身長188cm、体重も120kgを超える大男。仏像を三体に分けて運び、この山頂で組み立てたんだ。それも、大正時代に」
「大正時代? それじゃあ、ヘリコプターなんかじゃないよね」
「複数に分かれていたとはいえ、仏像の重さは100kgを超えるものがほとんどだ。それを、岡田さんは担いで私たちと同じ道を歩いたそうだ。それもたった一人……あの林道が舗装されていない時代に」
「…………」
偉大な先人の強烈なエピソードを聞き、絵里の足下がぐらりと揺れる。
それに比べて、たった10kg程度のメインザックを背負ってひーひー言っている自分がどれだけ小さな存在なことかと思い知らされた。
「昔の人はすごかったんだね……」
「岡田さんは他にも、吉野熊野国立公園の指定や、自然保護に尽力していた岸田日出男氏の案内人を務めていたらしい。彼がいなかったら、この大峰山系は、今とは違う姿を見せていたかもしれない」
「へえ……」
「っと、それはさておき、ちょうどいい頃合いだ」
「山めしの時間だね」
この険しい道のりをがんばった自分への報償であり、仲間への労いでもあり、至福の時間でもある山めし。そのお楽しみのときが来ていたのだった。
材料はたこ焼き粉400g、切り刻んだタコやネギ、揚げ玉に、チーズやエビ、カニかまぼこ、干しエビ、しいたけやしめじ、玉ねぎなども少々。
コッヘルにたこ焼き粉、卵、水を入れて混ぜ、さらに具を入れ込む。そして、ガスバーナーの上に油をひいたたこ焼きプレートを乗せ、具を焼いていく。
そう、この日の山めしは先日のジャスコでの会話を実現させた、「たこ焼き」だったのだ。
「みつき、そろそろひっくり返すよ」
「駄目だ、絵里。まだ30秒ほど早い!」
「あー、あきら。それ、カラシじゃないの?」
「ん? 何のことかな優華。私は密かに持ち込んだ隠し味を仕込もうとしているだけだよ」
和気藹々とした空気で、山岳部の女子たちはプレートの上で竹串を使ってたこ焼きを作っていく。香ばしい匂いが釈迦ガ岳の上に漂っていく。まさか、いくら関西人は粉ものが好きとはいえ、山頂でたこ焼きを作るとは役行者も岡田雅行も想定していなかったことだろう。
そうして次々と丸々としたたこ焼きが生まれ、紙皿に盛り付けられていく。そこへ濃厚なソースを塗り、かつお節や青のりを振りかけて完成だ。ソースが陽光を浴びて宝石のように煌めく。絶妙な焼き加減で作られたオリジナルのたこ焼きは、ジャスコのフードコートのたこ焼きに勝るとも劣らない。
「はい、先生たちもどうぞ」
にこにこ笑顔で、山岳部を見守っていた岡島先生と角先生にたこ焼きを差し出すあきら。
「……どれか一つが激辛になっているというやつか? あまり調子に乗っていると、成績下げるからな」
「あっはい」
角先生の疑いの眼差しを浴び、あきらはじりじりと後退すると別の皿のたこ焼きと入れ替えた。
「いただきまーす」
楊枝をたこ焼きに刺して、あーんと頬張る絵里。ふんわりとした外見だが、サクサクっとした触感、それでいて中はとろ~りとしていて口の中で味が広がっていく。絵里ははふはふと言いながらたこ焼きを噛み締めていく。
「この触感、これは……しいたけだ」
山料理らしく具に込められていたしいたけを引き当てた絵里。ミスマッチのほうだが、この新鮮さは逆に病み付きになる歯応えだ。
「絵里、みのもんたも言っていたが、ちゃんと30回は噛むんだぞ」
「うんうん、噛んでるってば」
ときどき母親のようなことをいう幼馴染だ。絵里はにっこり笑ってしっかりと味わうと、次のたこ焼きに楊枝を伸ばしてぱくりと噛み締める。
「こんな景色を見ながら食べるたこ焼きは格別だね」
絵里は釈迦像の脇に立ち、たこ焼きを食べながら緑の海を見下ろす。
地平線がくっきりと見え、地球が丸いことを教えてくれる。そして、大峰山系の山々は風が吹くと鮮やかに波打ち、鬱蒼としたイメージを覆していく。
春の風が涼しく体に馴染み、心も体も柔らかくなったと感じるのはたこ焼きのおかげだろうか。それとも、ここが天然のパワースポットだからだろうか。
景色は絶景、味は絶品。
そんなたこ焼きパーティーを楽しんでいるときだった。
「何やらいい匂いがすると思ったら……山でたこ焼きかー」
山頂に新たな人影が現れた。それも一人ではなく、ぞろぞろと数人。
当然ながら、釈迦ガ岳は人気の山である以上、登山客は絵里たち以外にもいるのだ。
「こんにちは」
「どもども、こんにちは」
山の最低限のマナーである挨拶をして頭を下げる絵里。
山頂に現れたのは、絵里たちと同年代の青年たちであった。彼らもまたメインザックを背負って縦走をしていたらしい。
「もしかして、私たちと同じ山岳部の方ですか?」
興味を抱いたみつきが気軽にコミュニケーションを試みた。
「ええ、そうですよ。僕たちは郡山にある城内高校山岳部です」
爽やかな青年が答える。彼がリーダー――部長らしい。
「やっぱり、山岳部。私たちは和歌山の神倉高校山岳部です」
「ほう……神倉というと新宮だから、小雲取の近くかな」
さすがは同じ穴の貉。他県であるにも関わらず、高校名を出しただけで近隣の山も把握しているようだ。
「そちらも、練習で釈迦ガ岳へ?」
「そうだよ。奈良県大会連覇がかかっているからね、気が抜けないのさ」
「連覇……」
ということは、去年も縦走競技で優勝したという強豪。
その事実を受け、みつきの目が煌めいた。
「そうでしたか。わたしたち神倉高校は……弱小高。ようやく本気で大会に挑もうとしたくらいの……。あの、よければもっと大会の話など聞かせてもらってもいいですか?」
「なるほどなるほど。大会に勝ちたいと。なら、君たち和歌山県大会の相手は、強豪古佐田丘高校か……」
「……わたしたちのライバル校もちゃんと把握できるんだ」
絵里が驚嘆すると、青年は険しい顔つきになる。
「もちろん、うちの女子が去年インターハイで競い合った相手だからね。他にも、登山大会で何度か交流しているよ。まあ、ここで会ったのも何かの縁だ。喜んで話そうじゃないか。僕たちの話を糧に、君たちもレベルアップするといいよ」
はにかむ奈良県の強豪城内高校山岳部部長。
そこへすかさず、「よかったら、私たちのたこ焼きも食べませんか~」とあきらが看板娘のような声色で城内高校山岳部を誘う。
「だったら、こちらも山めしを君たちに御馳走してあげよう」
「あ、ありがとうございます!」
「強豪校の御馳走、どんなものか楽しみだな!」
絵里も優華もぺこぺこと頭を下げ、城内高校の好意に甘えることとなった。
山頂での予期せぬ出会いは神倉高校山岳部に大いなる刺激を与えることとなった。
城内高校山岳部の調理する様子を生で見学し、山菜をふんだんに使ったパスタを分けてもらい、絵里たちは城内高校山岳部の話に耳を傾けた。
屋久島まで行ったことがあるだの、冬はスキーをしているだの、やはり新入部員が少なくて苦労しているだの。そして、金剛山にも何度も登っており、コースの感想なども話してくれた。
こうして他の登山客や山岳部と交流ができるのも、山の魅力の一つだろう。
釈迦ガ岳を舞台にした縦走競技練習は、山岳部の大きな一歩となるのだった。
――春季大会まで、あと36日。
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