ヘルシーでスパイシーな山めし

 燦々と光り輝く太陽が頂点に達するころ、汗を流しながら女子たちは作業を進める。

 炊事。それもまた団体戦であり、チームワークが大事である。

 食材を切る者。鍋の加減を見る者。米を炊く者。

 それぞれが役割を分担し、協力し合って迅速かつ丁寧に、自分たちだけの料理を完成させるのである。

 あらかじめあきらに教えてもらったレシピを元に、みつき、絵里、優華はそれぞれてきぱきと手を動かし始めた。


「よし、やるぞ!」


 軍手を装備して、気合を入れる絵里。

 絵里が担当したのは、最も重要な役割を担う、軍隊の将軍のような存在――米であった。

 部室から調達したガスボンベとバーナーを合体させ、さらには風防シートでぐるりと展開。これで準備はオールオーケーだ。メインザックから取り出した鍋に、ポリタンクの水をたぷたぷと注ぎ、さらにそこへ人数分の無洗米を入れる。無洗米は普通の米よりも水の量が増えてしまうが、研ぐ時間が節約できるぶん、時間との戦いでもある大会では重宝されているという。


「これでよし……点火!」


 ライターを使って、バーナーに点火。最大火力で鍋に熱を与えていく。

 蓋がカタカタと音を鳴り始めたところで火力を落とし、蓋に圧力をかける。


「ふー、ただご飯を炊くだけなのに緊張する……」


 ここから約20分は火の番となる。美味しいご飯を炊くためには、一瞬の気も緩めることができない。


「みつき、そっちは大丈夫?」

 

 とはいえ、手持無沙汰な絵里はみつきのほうを見つめる。

 そこでは包丁を手に鬼のような形相で真剣に食材を切り刻んでいる幼馴染の姿があった。

 刻んでいるのは、玉ねぎだった。鼻が刺激され、ほんのちょっと目の海にしょっぱい船が漂っているようだ。


「だ、大丈夫だとも」


 部長らしく強気なオーラを出すが、涙目になっているのが惜しい。そして意外な一面を見ることができて絵里は満足した。


「優華はフライパンに火を通していて、あきらは別の鍋の管理」


 それぞれが自分の担当を全うしている。この別々の道が交差するときを思い描きながら、絵里は蒸気を常に吹き出す鍋の火の管理に徹した。

 暖かい4月の風を浴びながら、時が過ぎるのを待っていると、鍋からは日本人には馴染みのある甘い香りが漂い始める。


「よし、20分!」


 絵里は火を消し、鍋を外す。

 宝箱を目の前にしたように目を輝かせ、蓋を開ければそこには――


「うん、綺麗に炊けた!」


 金銀財宝のようにまばゆい光沢を放つ、白飯が誕生していた。


「こっちもオーケーだ」


 絵里がご飯を炊いたのと同時に、みつきも微笑む。舞い込んだ風がふわりと髪をかき上げたとき、彼女は高らかに宣誓した。


「さあ絵里、合体だ!」


 

 輝く蒼穹が無邪気に微笑み、小鳥たちがさえずる。

 そして、のどかな山頂に広がる香りが、食欲を刺激した。


「いただきます!」


 絵里たちが手にしている小鍋には、盛りつけられたご飯とその上に乗った鶏肉。こんがりと付いた焼き色からはスパイシーな香りが迸り、玉ねぎがアクセントとなって光り輝いていた。そして、その具の下には絵里が炊いた白いご飯。

 絵里とみつきが作り上げた料理、それはタンドリーチキン丼だった。

 絵里は箸で鶏肉とご飯を摘み、しっかりと噛んで味わった。

 噛めば噛むほど鶏肉の味が染み渡り、登頂までの疲れが一気に緩和される。口の中で刺激的な香りが充満したかと思えば、炒められた玉ねぎの甘みが絶妙なバランスでせめぎ合い、楽しませてくれる。


「これは、気高い騎士だよ」


 絵里に電撃が走った。


「チキンの独特な食感と旨みに玉ねぎが加えられ、さらにタレの風味と合わさった様は、まるで主君を守るために剣と盾を手にした兵士。そして、ほどよく芯のある肉の食感は、鎧を身に纏い、仲間を鼓舞する騎士道の塊。噛めば噛むほど口の中で広がる肉汁はまさしく剣舞。なんて力強いんだろう。舌の上で手に汗握る攻防戦が繰り広げられるよ。これはタンドリーチキン丼の決戦だ。ああっ、ここに若き将軍が誕生した!」


 思わず笑みが零れた。


「絵里は何を言っているんだ」


 みつきの冷静なツッコミが響く。

 それはさておき、簡単かつヘルシーな料理であるタンドリーチキン丼をぱくぱくとがっつく山岳部員。岡島先生も「よくできているな」と感心。

 そして、調理したのはもちろんタンドリーチキン丼だけではない。


「豚汁だよー」


 あきらが容器に鍋から容器へ、自分たちが担当した豚汁を注いでいく。

 豚汁の中には、豚肉はもちろん、人参、大根、しめじなどが切り刻んで盛りつけられている。丼料理と見間違うほど具だくさんの汁物は食べ応えがあり、水分を欲しくなるタンドリーチキン丼とは相性が良い。

 ずずずっと豚汁を飲めばその温かさが体中に満ちていき、絵里は恍惚な表情を浮かべる。この山ご飯がより美味しく感じられるのは、草木の香りや空の青さ、見下ろすことのできる風景が材料費ゼロのおかずになっているからだろう。炊事審査は基本的には高校やキャンプ場で行われるので、山頂で調理することはめったにないのだから。山岳部の一体感と、自然の恵みをその身に受け、絵里は途方もない多幸感を得ることができた。隣を向けば、みつきもまたいつになく表情がとろけている。山岳部の成長を料理とともに味わっているようだった。


「ごちそうさまでした」


 タンドリーチキン丼と豚汁を完食。絵里の声が弾む。


「おいしかった。やっぱりみんなで作ると、ご飯の味もひとしおって感じ。だけど、山の定番のカレーじゃないんだね」


 レシピの生みの親にそう訊くと、彼女は照れ笑いを浮かべる。


「まあね。カレーはさ、後片付けが面倒だし。特に、水場がない山頂で作るときはね」

「タンドリーチキン、スパイシーでスタミナも栄養もバッチリだな。本番でもこれを作るの?」


 優華があきらに尋ねると、


「いや、まだまだいろんな料理に手を出してみたい。だから、できるだけ私も山岳部の活動中に炊事審査の練習をしてみたいね」

「うん、もっと一体感が生まれれば、それは本番でも武器になると思う」


 みつきがきらりと眼鏡を光らせて頷く。


「まだまだ私たちには経験が足りない。古佐田丘高校を越えるためにも、もっとがんばろう」

「うん!」


 山ご飯を食べ終え、さらに絆を深めた山岳部。この後に待っているのは後片付けだった。鍋や調理道具を再びメインザックに詰め込み、パッキング。


「それじゃ、出発だな。下りも慎重に歩くんだぞ」

「はい!」


 山岳部の手料理を食べたからか、心なしか上機嫌になっている岡島先生の声を受け、四人はメインザックを背負い、千穂ヶ峰を下山していく。

 しっかりと歩幅を考え、体勢を維持し、危険を予測しながら緑の世界を行く。

 絵里は不思議と苦にならなかった。メインザックを背負っての練習は始まったばかりで、体力も上昇した感じはまだない。それでも、活力を感じられるのは、きっと他の三人と一緒に行動しているからだろう。

 歩き続けて30分程度。一行の目の前にはごく普通の民家と石の階段が現れた。


「ふー、下山完了だ!」


 絵里の歓喜の声。民家を通れば、そこにあるのは熊野速玉大社だ。


「今日はみんなお疲れさま。初めての本格的な縦走の練習、不安なところもあったかもしれないけど、まだ時間はある。しっかり解消していくんだよ。それじゃ、また高校でな」

「お疲れさまでした」


 岡島先生はそう言うとくるりと振り返り、神倉高校へと向けて歩き出した。


「私もここで。三人とも、帰りは気をつけてねー」


 市内に住むあきらともここでお別れとなった。最後まで元気満々の彼女は軽やかな足取りで、岡島先生に続くように住宅地へと消えていく。


「私たちも帰ろう。月並みの言葉だが、家に帰るまでが下山だ」


 新宮駅を目指して、残りの三人は歩を進める。

 三重県との県境である真っ赤な大橋を過ぎ、新宮城跡を通り、商店街を抜けて、新宮駅へ。


「今日は短距離の登山。それもよく知る千穂ヶ峰だったけど、次はもっと長距離、それも標高のある山を狙いたいところだ」


 その途中で、みつきがぽつりと呟いた。


「そうだね。少しずつ段階を踏んで、慣らしていきたいね」

「だから、来週……山岳部は新しい山を開拓に行きたいと思う」

「来週? 新入生歓迎登山……の予定だった烏帽子をやめて?」

「そう。岡島先生と角先生に協力してもらって……県外の山を目指したい!」

「新しい山かー。いったいどこになるんだろうなー」


 わくわくと胸を弾ませる優華。


「もう次の予定を立てているんだ。みつきはえらいな……」


 メインザックからぶら下がる紐を握りしめて、絵里は息を吐く。

 山岳部の千穂ヶ峰での縦走練習は終わった。

 だがそれは次の始まりを意味している。

 神倉高校山岳部は次のステップへと向けて、足を伸ばし始めた。

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