第一章 始まりの予感――神倉高校山岳部のあゆみ

神倉の風

 一年の速さをその身で味わいながら、城井みつきは壇上でマイクを握り締めていた。 

 彼女の目の前には、きらきらと目を輝かせる者。興味なく欠伸する者。目を合わせることなく床を見つめる者。

 共通点があるとすれば、彼らはみつきの後輩ということだ。


「では、私たち山岳部の紹介を始めたいと思います!」


 ここは紀伊半島南部にある、和歌山県立神倉高校の体育館。

 みつきは新入生に対する部活動紹介を、山岳部の部長として行っていたのだ。

 眼鏡をきらりと光らせ、みつきは山岳部の魅力をプレゼンする。


「山岳部はなんと、週に二日しか活動しません! 体育部とは思えないほど楽です!」


 みつきの言葉を聞き、何人かの生徒がポリポリと頭を掻くのをやめた。


「活動内容も実にシンプル。高校裏の千穂ヶ峰……神倉山を登る……ただそれだけ。たまに、神倉神社の石段を登ったりもしますが……それも一時間もやりません。とってもとっても楽です!」


 みつきの言葉を聞き、何人かの生徒が顔を上げた。


「さらに! 夏には日本アルプスのどこかの山へ行ったり、バーベキューもしたりカヌーをしたり……冬にはなんとスキー旅行も予定されています! 他の部活動では味わえない、自然の素晴らしさをその身に刻むことができるのです!」


 アップルのジョブズCEOや任天堂の岩田社長を彷彿とさせるしなやかさで手を動かし、さらには足踏みしてみつきは山岳部のイベント情報を伝える。


「私たちと一緒に、青春の一歩を踏み出しましょう!」


 みつきが丁寧に頭を下げた。

 すると、ぱちぱちと線香花火のような拍手が生まれ、それは次第にナイアガラへと変化。

 確かな手応えを感じ、みつきは口端を吊り上げた。



 和歌山県立神倉高等学校。

 略称は神高。

 普通科と工業科の二コースが併設され、普通科の中ではさらに進学する大学に対応して細かくクラスが分かれている。生徒数は一教室四十名で、普通科に七教室。工業科に二教室。

 出身者にはプロ野球選手や作家が多い。

 進学校ながら部活動も盛んであり、野球部やバドミントン部は好成績を収めている。

 そして、その部活動の一つが、みつきたちの所属する山岳部なのである。



「それで、みつき……。立派にしっかり部活動紹介したんだよね」

「もちろん。CEOの気分になって、ちゃんと大役を務めてみせたさ」

「で……わたしたち山岳部に入部した新入生は……何人?」

「…………ゼロだ」

「…………」


 あの体育館での部活紹介から早くも一週間が過ぎようとしている2003年4月の中旬。

 山岳部部長城井みつきと、その幼馴染であり腐れ縁で入部した山岡絵里は、枯山水のある中庭で弁当を突っつきながら、部活動紹介の釣果について話していた。


「おかしいな。あれだけ楽だ楽だと言って、さらには旅行やらバーベキューやらカヌーやらスキーやらで興味を引けたと思ったんだが」

「やっぱり、嘘だって見抜かれたんじゃない?」

「……そんな予算があるようには見えない、と……」


「はあ」と二人揃って溜め息。


 あれだけ餌をばら撒いて部活動紹介を行ったにも関わらず、仮入部員すら姿を見せない。今年の新入部員獲得は絶望的である。


「結局、わたしたち四人だけになりそうだね」

 

 和歌山県立神倉高校山岳部。部員総数は四人。

 有体に言って、存続の危機に瀕しているのである。

 一年前、みつきと絵里が入部したころには、男子を含めて総勢十人の部員が在籍していた。いずれもみつきの同級生であり、二年生にも三年生にも先輩はいなかったので、ここから新しい神高山岳部の歴史が始まるのだと確信していた。

 だが、春を過ぎたころには二人の男子部員が吹奏楽部に移籍し、一人の男子部員がバレー部へと移籍し……その後も次々と部員が減少。幸い、一人の女子部員が文化部から移籍したものの、今ではたったの女子四人しかいないのである。


「新入生歓迎登山、どうする?」


 絵里が首を傾げ、尋ねた新入生歓迎登山とは月末に予定されている、那智山の一峰である烏帽子山への登山である。割と本格的な登山となり、山頂では手作りのカレーを楽しむことができる。絵里たちも一年前はきゃーきゃー叫びながら山を登り、わいわい言いながらカレーを食べたものだ。


「どうするも何も、予定通り行うしかない。初心忘れるべからず、だな。新入生の気分になって登るしか……」


 そこまで言いかけてから、みつきは目を瞬かせ、


「いや……ちょうどいい機会だ。『縦走』の練習にならないか岡島先生に提案してみよう」


「え……縦走? 本気で? 踏査じゃなくて?」


 縦走。その二文字を耳に入れ、絵里の顔から色が落ちた。さらにさあっと神倉山から風が吹き、絵里の髪を激しく揺らす。


「ああ、あきらが入部してくれたから、今年は縦走に出場できる。チャンスだ」

「…………」

「私たちは新しい挑戦ができる。うん、新入生歓迎登山は、新パーティー結成登山に変更だな」

「そ、そっか……ははは」

「そういうわけだ。パーティーの仲間として、がんばろう。絵里!」


 ぱんぱんと絵里の背中を叩くみつき。

 幼馴染の笑顔を見ていると、絵里は頷かずにはいられなかった。




 城井みつき。

 彼女は絵里のかけがえのない友達。

 かつて都会からこの和歌山に引っ越し、同じ幼稚園の一員となった女の子。

 ゲームが好きで、特にカービィシリーズに目がない。だけどスマブラではヨッシー使い。

 眼鏡がトレードマークなように秀才肌で、小さいころからいろんなことを知っている。

 ときには喧嘩したけど、それでも仲を取り戻す腐れ縁。

 小学校中学校と同じように進学し、高校生となり――

 みつきと絵里の関係は大きく動き出そうとしていた。

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