気軽にいこうぜ!
ヨッシーが宙を舞い、バタ足キックで連続攻撃。それを読んでいたロイはカウンターで反撃。ヨッシーはダメージを受け、ぶっ飛ばされるが華麗に受け身を取ると、たまご投げで牽制する。絶妙なコントロールのたまごをガードできずに、ロイはダメージを蓄積した。
「…………」
そんなキャラクターたちをかちゃかちゃと操作するのは、もちろん絵里とみつきの二人だった。真剣な表情で、ブラウン管に映された戦場を見つめている。
時に2003年5月31日。土曜日。
春季登山大会が開催されるはずの日に、絵里はみつきと自宅でスマブラをやっていた。
もちろん、大会に臆して棄権したわけではない。これまでの苦労を水の泡にするわけがない。
二人が堂々と遊んでいる理由はただ一つ。
台風接近に伴い大会が一日順延されてしまったのである。
南シナ海で発生した台風4号は太平洋を抜け、一時的に弱まったものの再発達し九州地方に接近。その後、四国に上陸し、31日の朝には温帯低気圧へと変化した。5月に台風が上陸するのは38年ぶりとされるレアケースに遭遇し、山岳部は束の間の休憩を得ることとなったのだ。
午後には完全に雨は上がり、最後の五月晴れが空を埋め尽くしている。
その爽やかな光を浴びるたびに、絵里の心はざわめいた。
「ねえ、本当に大会、延びたんだよね」
大乱闘で負け続け、ゲームキューブのコントローラーを置くと絵里がぽつりと呟いた。
本当なら今ごろ、電車に乗って橋本の古佐田丘高校に向かう最中のはず。みつきからの連絡網を受けたものの、外の天気を見るたびに、実は騙されて大会が開催されているんじゃないかという気になってしまう。
「本当に延びたとも。岡島先生も古佐田丘高校に問い合わせたから間違いない」
「せっかく行動計画書にきっちり日付を記入したのに、ずれちゃうね」
「そこは当然減点の対象にはならないから、気にする必要はないよ」
「うーん、昨日は『やっと大会だ』って気合十分、士気も上々だったのに、こんなことになるなんて……」
とはいえ、天気図審査に参加する予定の絵里は、台風が発生したことには気付いていた。しかし、台風の動きを完全に読むことはできなかったのである。練習を積んだにも関わらずこの始末。普段ニュース番組でダジャレを言ったりしてわかりやすく天気予報をしている気象予報士も、笑顔の裏では天気が読めず苦しんでいるのだろうと想像する。
「まあ、大会前にリラックスができていいじゃないか、と思おう」
「みつきは嬉しそうだね」
「今朝のアニメのカービィを見ることができたからな」
あははと笑うみつき。緊張を見せないその表情に、絵里も思わず表情を緩めてしまった。
「だけど、いざ休みになると、なんだか暇だね」
「そうだな。今更大会の練習をするというのも、なんだか気乗りしない」
「外もいい天気だし、どっかにかるーく散歩に行く?」
絵里は「つい近くの公園にでも行かない?」と軽い気持ちで提案する。
するとみつきは快く了承した。
「……いいね。それじゃ、外に出よう」
大量のマイナスイオンが吐き出され、無量大数とも思えるくらいの飛沫が美しく糸を引きながら落ちていく。鼻に広がる滝の匂いと、近くから流れるお香の匂いが合わさり、その心地良さに異世界へとトリップしそうになってしまう。
「…………」
絵里の正面には日本一の落差133メートルを誇る滝――那智の滝があった。
「台風の影響か、今日の水量はいつもより多くて豪快だ」
絵里の隣には満足気に微笑むみつきの姿が。
「わたし、確かに散歩しようって言ったけど……それは気軽に行こうって感じだったのに……。まさか那智の滝にまで来るとは思わなかったよ」
絵里の家を出てすぐ、みつきは近くのバス停を見つけると「那智山に行こう」と言い出したのだ。そのままみつきの我が儘に付き合う形となり、絵里とみつきは乗車賃500円を支払い、那智山に到着。そして那智の滝を訪れた。
しかし、この荘厳な風景を目に収めるだけで心が癒されるのも確かだ。狼が吠えるような音とともに落ちる滝は単なる水の集合体ではなく、猛々しい一体の龍のように見え、その水のブレスが絵里たちを激励しているようにも思えてくるのだ。
那智の滝は滝でありながら、飛瀧神社の御神体でもある。
絵里はそっと手を合わせると、いつものように熊野の神――この場合は飛瀧権現に向かって祈りを飛ばした。
普段以上に荒々しい那智の滝の姿を見届けたあと、二人は石段を登って九十九折の道まで行く。そこからさらに進めば、参詣道の階段。那智黒石や八咫烏のグッズが多く並ぶ土産物屋や、郵便局などもあるエリアである。その階段を登り、絵里たちは赤い鳥居をくぐって那智大社へと向かった。
「もう慣れちゃっているけど、ここの階段も割ときついほうだよね」
近くを見回せば、杖を衝いて登っていく観光客の姿が多い。そこを普段着でひょいひょいと登っていく女子高生の姿はむしろ異質に思えてしまう。
インスタントカメラでパシャパシャと記念撮影されている中、絵里たちは那智大社に到着した。
「よし、今日の目的地に到着」
「那智大社がゴールって……まさか」
ふと、GW中に本宮大社と速玉大社を参拝したときのことを思い出す。
「熊野三山のうちふたつの大社で参拝して、残りの那智大社で参拝しないのが少し心残りだったんだ。角が立つと、願い事もうまく伝わらないかもしれない」
「確かに」
「ということで参拝の続きだ。優華とあきらがいないのが心残りだけど、彼女たちの分まで一緒に参拝しよう」
玉砂利を踏み締めて、二人はおびただしい量の線香の煙を受けながら拝殿へと進む。
ここで、速玉大社以来に二礼二拍手一礼。流麗な動作をこなし、しっかりと手を合わせて願いを心の中で叫ぶ。明日からの大会で優勝できますように、と。
絵馬にも願い事を書き、納めるところまでは速玉大社までと同じ流れ。
しかし、那智大社には那智大社にしかないパワースポットがあった。
境内に聳える楠である。
樹齢は850年を超えるとされ、平重盛が植えたとされる大楠。その幹は空洞になっており、「胎内くぐり」を体験することができるのである。願い事を書いた護摩木を手にこの空洞を通れば、その願いが叶うと言われているのだ。
さっそく絵里たちは初穂料を納め、護摩木を手に入れると、絵馬と同じように願い事を書き、注連縄の施された鳥居をくぐって大楠へと向かう。
「うわ、まっくら」
と言いたくなってしまう穴を通過。途中には賽銭箱があった。ここでも二人はいつものようにお参りし、さらに先へ進む。木の中なのに階段が設置されており、それを登っていく我が身を想像するとまたまたダンジョンを探索するRPGの主人公の気分を味わうことができた。
階段を登り、外に出るとそこは護摩木を納める場所。二人はしっかりと護摩木を納めると、これで本当に最後の祈りを届けた。
再び大楠の中を通って、那智大社の境内へと戻る。
「ふう、那智大社は何度も来たことあったけど、胎内くぐりを体験するのは初めてだったよ」
「いい経験になっただろう。さて、これでもう参拝する場所はない。あとは運を天に任せて、それ以上に実力で大会を突き進むだけだ」
「だね」
那智大社を抜け、青岸渡寺へ。その先には、よく観光パンフレットで見る光景――三重塔と那智の滝の風景が広がっていた。さらに進めば、左手側には山へと続く道がある。この道を登れば那智高原へと抜けることができ、一年前の大会のコースとなった大雲取へと向かうことができる。
その道の前にはうどんなどが食べられる軽食屋があった。
「アイスが売ってるよ。みつき、おごってあげる」
そこで絵里はアイスクリームを購入し、みつきに渡した。
「ありがとう、絵里」
「うん。ここまで案内してくれたお礼」
にこりと微笑めば、みつきは照れ臭そうに笑う。
「みつきのおかげでいい気分転換になった。明日はいいスタートを切れそうだよ」
軽食屋から少し歩けば、ガードレール越しに那智の山々を拝むことができる。イスノキやシイの木が生い茂る那智原始林である。その深い緑の中には希少な植物も多くあり、国の天然記念物にも指定されている。そして来年には世界遺産の一部になると言われているまさに山の中の山である。
そんな山々を見つめていると、この大自然を背負って戦うんだという思いが湧きあがってきた。とくんと胸を打つ緊張。それを掻き消すように吹き抜ける爽やかな風。隣のみつきを一瞥すると、彼女の瞳もまた信念で揺らいでいるようだった。
〝――私は熊野に生まれた人間として『記録』を残したいと思ったんだ〟
熊野体験博跡地で聞いた独白が蘇る。
この山を、街を、包む思い出を胸に留め、絵里もまた強く決心する。
熊野の代表として、大会に勝ち抜いて見せると。
爽やかな風は少女の思いを受けて熱気を孕んだ。
そして、熱き戦いの火蓋は、確実に切られるのである。
――春季登山大会まで、ホントにあと1日。
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