山岳部のスパイ大作戦

 木曜日。放課後。それは山岳部の活動日。

 普段なら神倉山を登る活動をするのだが――


「それじゃ、春季登山大会に向けて、ミーティングを始めたいと思う」


 部員全員――みつきと絵里、そして優華とあきらが一堂に会して、二年普通科六組の教室に集まっていた。ミーティングの議題はもちろん、春季大会への対策および活動内容の模索であった。春季大会に向けて何が必要なのか、何をどうするのか、再確認も兼ねて四人が集まったのである。


「……私は大会で結果を残すために、レベルアップが急務である以上、活動内容を広げざるをえないと思う」

「ってことは」


 優華が朗らかな声でみつきに顔を向ける。


「これから毎日天気図の練習や、知識のテストが必要ってことか?」

「そういうことになる。だから、活動日も月曜と木曜以外にも増えることになるだろう。まあ、去年の大会のときも、計画書作成のために毎日学校に篭ったんだけど」

「毎日天気図……でも、ラジオの放送は16時からだし、どうしても都合が悪くなるときがあるかもね……」

 

 ぞっとしながら絵里が呟いた。きっと毎日天気図を作成していれば夢の中でも書き続けるに違いない。


「一番重要なのは、ポイントが置かれているのはやはり体力審査についてだと思う」

「体力審査。コース踏破の時間や、メインザックの装備の重量が審査対象なんだよね」


 あきらがそう言うと、みつきはこくりと頷く。


「まだ私たちはメインザックでの山行に不慣れだ。だから、そこから変えていく必要がある」

「まあ、私は山岳部自体新参だけどねー」


 頭の後ろ両手をあてて、あははと笑うあきら。

 絵里は黙然と彼女の顔を眺めていた。


 塩地あきら。

 去年の途中から山岳部に参加してくれたみつきのクラスメイトであり新宮市の中学校出身の女子だ。クラスが違う絵里にとってはあまり接したことのない女子だが、去年の秋に滋賀県へ行った帰りに電車の中で突然「山岡さんってハローマックでポケモンのサファイア予約してたよね」と話しかけてくれた出来事があり、気を許すことのできる部員となっている。彼女もポケモンが好きなようで、絵里が知らなかった伝説のポケモンであるレジアイス、レジスチル、レジロックの捕まえ方を教えてくれたので大変感謝しているのだ。

 あきらは小柄だが体力は十分。きっと、縦走競技でもメインザックを背負い活躍してくれることだろう。


「ねえ、みつき部長」

「なんだ、あきら」

「山岳部の活動内容だけどさ、探り探りで始めるより、他校が何をしているのか調べてから考えない?」


 にやにやと笑いながらあきらが言うと、優華がむっとする。


「他校がどんな活動してるかなんて、どうやって調べるんだ?」

「そりゃもちろん、そこにある魔法の箱で」


 ちょんちょんとあきらが指差した先にあったのは、一台のパソコンだった。

 神倉高校の各教室には一台だけパソコンが置かれ、生徒は自由にインターネットを楽しむことができる。パソコンを持っていない絵里もまた、登校して朝早く教室に入ると、パソコンの電源を入れインターネットを楽しみ、ゲームの公式サイトをよく巡っていた。


「他の学校の山岳部のホームページから活動内容を見てみるんだよ。マメに更新しているかもしれない」

「……確かに。『彼を知り己を知れば百戦殆からず』か」


 あきらの進言に理知的な瞳を光らせ頷くみつき。


「おー、孫子だ」と優華。

「じゃあ、さっそく調べてみよっか」


 絵里は席から立ち上がると、慣れた手つきで教室のパソコンの電源を入れた。

 一つの画面に向かって八つの瞳がきらきらと輝く。

 パソコンが立ち上がるのを待っている最中、


「そういえば、あたしたち山岳部はホームページなんかないんだな」


 優華が素朴な疑問を呟いた。


「そもそも、高校のホームページがショボ……いや、発展途上中だからねー」

「言えてる。まだトップページに学校行事とか載せてるだけだもんな」

「……逆に考えると、他校に活動内容が漏れる心配がないということだな。ま、たいした活動も成果もないのが実情だが……」


 ふうと溜め息を吐くみつき。いつか、ホームページ制作の技術力が上がれば、高校に山岳部のページを増設できる日が来るかもしれない。


「よし、やっとブラウザが開けた。それじゃ、どの高校の情報を見てみる?」

「もちろん。古佐田丘高校」


 みつきが即答する。やはり、一番のライバル校は前年度の優勝校ということになったようだ。


「わかった。古佐田丘高校っと……」


 ブラウザにその名を打ち込む。まるで敵城に忍び込む密偵の気分を味わい絵里は高揚する。


「出た、古佐田丘高校のホームページ。わっ、学校案内、進路指導。学校行事に部活動、PTA活動にいじめ防止策……。見られるページがたくさんある。このホームページを制作している人は相当の腕の持ち主だよ」


 絵里はライバル校のホームページの充実っぷりに驚嘆した。


「フォントも安っぽくないし、ゲームの公式ホームページみたい。これが強豪校か……。」

「って絵里。ホームページ見ただけでビビリすぎだぞ」


 優華がぽんぽんと絵里の背中を叩いた。


「そだね。それじゃ部活動っと……」


 絵里がカーソルを操作し、クラブ活動のページへと移る。


「『多くの部が県大会で優秀な結果を出し、近畿大会や全国大会へ出場しています』だって。自慢かな」

「古佐田丘高校自体、運動部のレベルは高いということだな」

「へえ、水泳部もあるんだ。橋本って海ないのに」

「優華ー、プールくらいあると思うよー」

「えと、それじゃ山岳部をクリック……」


 他の三人がぼそぼそと言っているのを聞きながら、絵里はいよいよ敵陣へと乗り込む。


「出た、古佐田丘高校の山岳部……ってなに、この写真!」


 山岳部のページを開いたとたん、強烈な画像が絵里の目に飛び込んできた。

 断崖絶壁。

 そう表現するしかない壁を登っていく、シャツ姿の男子高校生の画像だった。

 壁と言っても、サスペンス劇場のラストに登場するような自然の崖ではない。

 人工物だ。灰色の壁に、カラフルな突起がいくつも備えられていた。


「これはスポーツクライミングか」


 ごくりと唾を飲みながらみつきが言った。


「へえ、古佐田丘高校じゃクライミング競技にも力を入れているのか」


 優華が腕を組んで唸る。

 クライミング競技とは人口の岸壁を手足だけ使い登っていく競技だ。古佐田丘高校のホームページによると、近畿地区では平成8年から近畿高校スポーツクライミング大会を開いており、山岳部はそれに参加しているらしい。


「クライミング競技があるなんて、知らなかった。わたしたちの近くじゃ、こんな設備ないもんね」


 古佐田丘高校の競技に対する熱意を見せつけられるが、怯んではいられない。さらに山岳部のホームページ内で索敵を開始する。


「『栄光の軌跡』……なんだろ、これ」


 軽い気持ちで別のページに移動すると、


「わっ、インターハイ出場選手一覧!? 自慢か!?」


 そこに表示されたのは、歴戦の勇士たちの名前であった。昭和47年のころからのインターハイに出場したパーティーの名前や開催県の情報が書かれているのである。


「絵里。この山行記録を見せてくれ」


 身を乗り出したみつきに言われ、絵里は次のページへ。

 山行記録。そこに書かれていた情報は――


「あっ、これ……去年の」


 2002年度和歌山県高校総合体育大会登山競技。


 絵里たちが目にしたのは、初めて参加した去年の登山競技大会の記録であった。


「参加者の名前が全員載っているな」


 みつきが画面の上に指を滑らせ、あるところでぴたりと止める。


「縦走女子一年――井中……」

「それって、あのとき優勝したパーティーの一年生……」

「そうだ。これから私たちの強敵になると思われる人物だ。名字だけだが知ることができたな。井中井中……ふふっ、井中か」


 収穫はあったと言いたげなみつき。


「なあ、絵里。これ絵里じゃない?」


 次に優華が画面を指差す。


「あっ!」と絵里は目を小さくして驚愕した。


 天気図審査の様子と書かれたところに添えられた写真。そこに、大会に参加していた絵里の顔が写っていたのだ。絵里の顔からさあっと血が抜け落ちていく。

 シャーペンを手に握り、うーんと悩み顔の少女。それは間違いなく一年前の山岡絵里だ。


「わたし、撮られていたんだ。古佐田丘高校の先生に、かな? うーん、知らなかった。こうして、わたしの顔が全国に晒されていたの? ううっ、恥ずかしい、肖像権の侵害だよ」

「正当な理由があるから訴えても無駄だぞ絵里。そもそも、この写真のメインは古佐田丘高校山岳部。絵里はおまけだ」


 絵里はぷくうっと頬をげっ歯類のように膨らませる。


「むうっ。許さない、古佐田丘高校。こうなったらわたしたちも山岳部のホームページをちゃんと作って、古佐田丘高校の山岳部を撮らなきゃ……」

「その熱意は、大会に向けたほうがいいと思うぞ」

「そうだ。練習内容も……」


 偵察に来た理由を思い出し、絵里は練習内容と書かれたページへと画面を変える。

 続いて表示されたのは、ぱんぱんに膨らんだメインザックを背負って学校の階段を上り下りする山岳部員の姿だった。それも、十数人が等間隔の距離を確保している。まさしく「集団行動」だ。


「……山岳部だからといって山に登るわけじゃない。常日頃からこうして鍛えているんだな」


 ふむふむと得心するみつき。


「山に登るのは、休日だけみたい。わたしたちとは活動内容がずいぶんと違う」と絵里。

「そのときに炊事もするらしい。大会のときだけ調理するあたしたちとはえらい違いだ」と優華。

「美味しそうなスープだねー。これは創作料理かな。山といえばカレー、ってわけでもないんだねぇ」とあきら。

「……休日に登る山も常に遠出。必ず地図を持って読図の練習もしている、と」とみつき。


「…………」


 格の違いを見せつけられ、全員が言葉を忘れたかのように黙ってしまう。


「……とにかく、古佐田丘高校に勝つためには、これらを全てこなさないと無理だろう」


 みつきは眼鏡を外し、ぱちぱちと瞬きをする。視線を泳がせ、今後について考え始めたようだ。


「課題を一つ一つ潰していくしかない。まずは、体力からだな」


 みつきはメインザックを背負った古佐田丘高校山岳部員の姿を見つめて言った。

 敵情視察という名のネットサーフィンを終え、神倉高校山岳部はいよいよ春季大会縦走競技優勝に向けて意識を切り替え始めるのであった。

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