山岳部はいいぞ ~回想~

 2002年4月上旬。


 絵里は17時新宮駅発の電車に乗り、帰宅の真っ最中。

 今日は座席に座ることができた。これで落ち着いて自分の世界に入れる。

 絵里の手にはゲームボーイアドバンス。挿さっているソフトは「封印の剣」であった。


「だめだ。七章のハードモード難しすぎるよ……、どうやってもトレックが死んじゃう……。最初からやり直した方がいいのかな……。三日のプレイが水の泡……」


 春休みからやり込んでいるゲームの攻略法に悩んでいるときだった。


「やあ、絵里」


 颯爽と現れたのは幼馴染の城井みつきであった。


「みつき……って、どうしたのその格好」


 顔をゲーム画面から幼馴染に向けて驚愕。

 みつきの姿は紺色の制服ではなく――青色のジャージだったのだ。

 玉のような汗を輝かせてみつきは笑窪を作る。


「仮入部が終わったところで、今走って来たんだ」

「仮入部? どの部活に行って来たの?」


 絵里はみつきが中学時代にはテニス部だったのを思い出す。しかし、高校でもそのままテニス部に入るつもりならば「仮入部」とは言わないだろう。体育部のどれかなのは間違いないが――

 と、親友の体を見つめ、はっとした。自然と体が勝手に動き、絵里はみつきのジャージから「それ」を摘み出す。

 眉を顰めて、絵里は呟いた。


「ひっつきむし?」


 トゲトゲの種だ。運動場や体育館で活動する体育部とは縁のなさそうなものがみつきの体に貼り付いていたのだ。


「そう。私は山岳部に仮入部してきたんだ。それは活動中に付いたものだな」

「山岳部って。部活動紹介のときに、顧問の先生一人で紹介していた……。部員ゼロの?」

「私を入れて一人だ」

「…………」


 絵里は入学後、体育館で行われた部活動紹介を思い出す。

 顧問の50代前半の日本史教諭岡島先生が一人で、テンション低く山岳部を紹介していたのだ。

 活動日は木曜日のみ。だから、勉強の時間も十分に取ることができるのが売りだった気がする。


「実際に山に登って来たの?」

「ああ。千穂ヶ峰の神倉山に」


 千穂ヶ峰は新宮市の中心に聳える山。標高は300メートルもない低い山で、二つのピークがありそれぞれ権現山と神倉山と呼ばれる。低山のようだが、熊野川を臨む西面は急峻となっており、油断ができない。古くから修験者の修行に使われていたらしく、たびたび道具が発見されているという。

 神倉山には急な石段を擁する神倉神社がある。毎年2月6日になると御燈祭という勇壮な火祭りが行われ、「上がり子」と呼ばれる松明を持った白装束の男子が勢いよく石段を駆け下り、街は大きく賑わう。絵里の隣の家に住む弟分である慶くんもまた上がり子として参加し、度胸を鍛えたらしい。


「……高校の裏から坂を登れば登山道に入れてね。そこから展望台を通り、神倉神社方面へと下る、簡単なコースさ。ここを登るのが山岳部の基本的な活動らしい」

「ふうん。それで、みつきは山岳部に入るんだ」

「もちろん。絵里はどの部に入るのか決めた?」

「……それは……」


 絵里は中学時代帰宅部であった。最初は楽しそうだからとバスケ部に入っていたのだが、昔よく絵里をいじめていた近所の子が入部しており、次第にサボるようになり、自然と退部してしまっていた。それからは、絵里は部活動の代わりに町内を歩き回り、カロリーを消化する日々。そんな絵里も、高校に入るからには心機一転、新しいことを始めたいとは思っていた。

 その白羽の矢が立ったのが――


「わたし、吹奏楽部の見学したんだ」

「へえ、どうして?」

「ムジュラの仮面やって、わたしもいろんな楽器を演奏してみたいと思ったから……」

「ミーハーめ。風のタクトが出たら次は指揮者になりたくなってるんじゃないか?」

「うるさい」


 ぷくっと頬を膨らませる絵里。


「それで、何を演奏したんだ?」

「ロッカーの場所と荷物の置き方を教えてもらって、あとはリズムの練習。カスタネットを叩いた」

「まあ、最初はそうだろうな。それで、入部したくなったか?」

「……なんかあまり落ち着かなくて。知っている友達もいないから、迷ってる」

「そうか」

「みつきは、なんで山岳部に?」


 絵里が尋ねると、みつきは朗らかな笑顔を見せる。


「楽しそうだからな。テントを張ったり、料理を作ったり……。私の父はアウトドアが好きだから、話の種にもなるかと思った。山岳部には山を登るだけじゃない、無限の可能性があると思う」


 眼鏡を光らせ、山岳部の魅力を伝えるみつき。


「楽しい……か……」


 絵里の胸の中が震えた。絵里も子供のころはよく冒険ごっこをしたものだ。子供ながらの好奇心を爆発させ、近くの山を登り、磯を駆け回り、よく海に落ちて大人たちに怒られていた。

 絵里の和らいだ表情を見て好機と思ったのか、みつきは勧誘を始めた。


「山岳部はいいぞ。本当に部活動は週に一回だけの気楽なものだ。他の曜日の放課後は好きに時間を使える。勉強はもちろん、ゲームをしたっていい」

「そっか、じゃあ入ろうかな。わたしゲームもしたいし」

 

 即決だった。

 

 絵里はゲームボーイアドバンスを握る。その画面の中ではトレックという名の騎士が敵の攻撃を受けて、「まあ こんなものか…」と台詞を残して散っていた。またリセットしなきゃ。


「そんなに簡単に決めていいのか? いや、私は絵里も入ってくれるなら嬉しいけど」

「うん、みつきと一緒なら、わたしも気楽に部活動できると思うから」

「ちなみに、顧問の岡島先生は凄くのほほんとしていて親しみやすい先生だ。辞められない空気を漂わせている」

「わかった。ふふ、高校生活も楽しくなりそう」


 絵里は楽天家であった。何かに熱中することはあっても極めることはない。テストの成績も七割から八割程度で満足する、向上心も特にないごく普通の少女だ。

 そうして気楽に山岳部への入部を決めた絵里は、部活動の希望用紙に「山岳部」の三文字を記入したところ、クラスの連中から失笑されたのを覚えている。友達のことも笑われているようで、ほんのちょっと苛立った。

 かくして、和歌山県立神倉高校山岳部の部員は二人となった。必然的にみつきが山岳部の部長に任命され、その後中学時代からの同級生である松野優華も入部。さらには新宮の中学出身の男子生徒である南や坂下、植松らが加わり、山岳部は本格的に活動を開始するのだった。

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