妖狐の娘の道すがら-ミレハ帰郷記・序-

そばえ

ミレハの始まり

第1話:狐の娘

 アルスレッドと呼ばれる島国がある。その中心部に位置する丘の上では見渡す限りに広がる麦穂が風に揺られ、暑過ぎない日差しがその畑を照らす。

 畑の中心に高さ10メートル程の石造りの教会が存在する。

 正確には元教会だ。

 教会の移転に際して、内装をより多くの人が住めるように改良。今は身寄りのない子どもを成人まで育てるための孤児院となっている。

「さぁ皆起きる時間ですよ~」

 毎日この温かみを感じる柔らかな声で子どもたちは朝を迎える。修道服を来た若い女性が上の階から降りてくる子どもたちを明るい笑顔で手を振りながら出迎える。

1階にある大食堂の木製の長机には野菜たっぷりのクリームシチューと孤児院の周りで収穫の時期を迎えている小麦で作ったパンが丸太のようにスライスされて人数分並べられている。朝食の匂いに子どもたちはお腹を鳴らしたり、涎を垂らしたり、キャッキャと騒ぎながら空いている席へと座っていく。

 そこに一人、一際目立つ外見の子どもがいる。顔つきは遜色ないのだが、頭の上には髪色と同じく白色の耳があり、シャツとロングスカートの間から見える腰から全く同色の尻尾が生えている。

 名はカグヤ。千年に一度と言われる黒い月の日にこの孤児院の庭に倒れていた狐の娘である。

「カグちゃんの尻尾いつもふわふわしてる~」

 この国が人の子だけで構成されているなら孤児院にただ1人の異質な存在は受け入れがたいものがある。しかし子どもたちは何の隔たりもなく、こうして今も彼女と接している。つまりはそういう事だ。

 シスターや他の修道女からすれば狐の子どもが孤児院に入るという事は極めて異例の事態だったので最初は非常に苦労したのも三年前の話。今となってはたまに思い出す程度の出来事になっていた。

 カグヤの年齢は不明だ。身長からして9歳くらいの子だと推定されるがあくまで人の子であればの話。修道女の交友関係に狐の友達でもいれば色々な情報を聞けていたのだろうが、早々上手くはいかない。修道女たちはカグヤには申し訳なく思いながらも、町の獣医から貸してもらった狐の生態ノートに列記されている内容と、カグヤの行動を照らし合わせてカグヤの身の回りの世話を行っているのが実際問題である。

「こらこら、そんなカグヤに集まっていてはカグヤが好きな事出来ないでしょう?」

「シスタぁ、大丈夫。私皆と話すのが大好きだもんっ」

 長い間、教会の総本山にある大聖堂などの神聖なモノを見てきたシスターは、時折カグヤの笑顔には歳相応の可愛さに加えてどこか妖しいモノを感じる時がある。毎回思うがそれも一瞬で、気にする程ではなかった。

「あっ、タタラ先生だー!!」

 朝食を済ませた子どもの一人が窓から麦畑を見ていると孤児院へ向かってくる人影があった。艶のあるワインレッドの短髪をウルフヘアのようにしている若い外見の男性。本名かどうかは定かではないがその男はタタラと名乗っている。この国では有名な武道家であるとか、画家であるとか色んな噂をシスターや修道女も小耳に挟んではいるようだ。

 ここは島国であるが故に、賊の襲来も少なくはない。アルスレッド国王は将来の若き力を頼らざるを得ない、として小さな子どもの時から何かしらの武術を学ばせる事を法として国民に発表した。修道院の教えとして野蛮とされる武術を孤児たちに教えるのは本当は違反とも取れるのだが、アルスレッドの修道院は別の国と違い、修道院より国の勢力のほうが強いため、法として定められたソレを守る他ないのである。

「やぁみんな、元気にしてたかい?」

 タタラの周りに子どもが全員集まってくる。この日の朝食後はタタラが教える護身術の時間だからだ。いつもは体力トレーニングとして皆でかけっこをしたり、体幹を鍛えるため片足立ちをしたり、体術の基本動作のメニューだったが、何回も繰り返していく内に子どもたちもそのくらいならそつなくこなせるようになっていた。

「今日の授業はこれだよ」

というとタタラはどこからか取り出した木の棒をたくさん地面へと落とす。

「先生これ何なの?」

周りよりも少し大人びた外見の女の子がタタラに木の棒について尋ねる。

「今日も自分の身を守る術を教えるための授業だよ。ただし今日はこの木の棒を使う。とりあえず一人一本ずつ、木の棒を好きな持ち方で持ってみて?」

 極めて緩やかな言葉遣いなのに、子どもたちはふざけあう事もなく1人1人木の棒を手に持ち始めた。両手でしっかり握りしめ、体の正面に棒の先を構える者。逆手に持つ者。左手にまるで盾でもあるかのように左腕を体の前に構え、棒を持った右手をぶらんと下げている者と様々だ。

「それじゃあ二人ずつ打ち合いをしてもらうけど、一つだけ先生との約束。相手の棒しか狙ってはダメです。棒が相手の体に少しでも当たれば、当てた人の負けだよ。でもわざと当たったって言ったり、当ててないと言ったりした人もその時点で失格だから気を引き締めて相手に怪我をさせないように。それじゃあ始めー!」

 子ども同士なので殺伐とした空気こそないが、やはり体格差や運動能力の差で次々と棒が地面へ落ちる。そうして勝った者同士が更なる強者を決めていく。

こういう時には必ず人間関係のこじれも見えてくる。タタラはシスターにそれを見せるのも兼ねて子どもたちへ武術の授業を進言したのだった。




―――やがて打ち合いは終盤戦に入り、勝者の数も少なくなってきた。しかしカグヤは誰とも打ち合う事なく、残っていった。皆カグヤの事を大切に思っているからこその依怙贔屓えこひいきというものだろう。

当然、ちやほやされているカグヤを良く思わないグループは存在する。

そのグループがタタラにバレないようにしているのか、一人を残して二人組で打ち合いをしながらカグヤに寄っていった。

「カグヤ、俺とやろうよ」

孤児院の問題児の一人、ギルバートが軽快なステップを踏みながら棒を構える。カグヤへ宣戦布告をした。

「う、うん。いいよ~」

カグヤ自身もギルバートに苦手意識があるのか少し躊躇いながらもその申し込みに応じた。

いつも天真爛漫なカグヤにしては珍しく何かに怯えるように小刻みに震え、綺麗な毛並みの尻尾も地面へ降ろしていて元気がない。

ギルバートが力任せに思いきり、カグヤの棒を狙う。カグヤはその気迫に圧されているのか涙目になり、後退しようとすると後ろでやりあっているギルバートの仲間の背中にぶつかり、もう後に引けなくなった。

カグヤはギルバートが怖いわけでもなく、棒を持って人と打ち合いをする事に戸惑っているわけではない。

ギルバートの振りかぶる姿が過去と重なり、フラッシュバックを引き起こしていた。

「…やだよぉ…!」

途端にカグヤは持っていた木の棒をその場に落とし、両耳を塞いでしゃがみこんだ。そうしてカグヤの頭にギルバートの振り下ろした棒がシスターやタタラがギルバートに呼びかける声も遅く鈍い音を立て、彼女はその場に力なく倒れたのだった。

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