第61話:狐の恩返し

 ――――プロメタル地方最前線は血の海である。

 その惨状を現わすならば死屍累々に近く、負傷者の手当てに衛生魔術師の人手が圧倒的に足りていない。状態が酷い騎士は迷惑をかけまいと自ら命を絶ち、または仲間に懇願する者もいた。

 敵兵も同じような状況だが、船での移動手段を持ち、入れ替わりで波状攻撃をしかけてきているために敵兵力の判断がつかず、プロメタル聖騎士団国の兵士は肉体的かつ精神的に疲弊しきっていた。

 それでも諦めないのは兵一人一人がプロメタルとオーガンを慕っているからだ。彼らは自分たちよりも多くの武功を上げ、出来る限りのヒトを助けている。だからこそ兵は、騎士も自分たちの家族のために死力を尽くしている。

 しかし最近になってガーゴイルの群れまで出てきた事で心も折れかかっている。プロメタルとしても早々にこの小競り合いを終わらせ、兵たちをゆっくり休ませてあげたいのが正直な気持ちなのだ。

「プロメタルさんは考えすぎではないかのう。おぬしとて一人のヒトじゃ。種族の個体値がどう変わろうともヒト一人が助けられる量には限度がありんす」

 最前線本陣から戦場を眺めているプロメタルを肩を叩きながらカンラがひょこっと現れる。

「なんで俺が考えている事が分かった…?」

「わっちは人の心が読める。いや、勝手に読んでしまうんじゃ。じゃから分からぬからこそのドキドキ感を味わえぬ体になってしまいんした。あとは…プロメタルさんとも付き合いが長いからのう。心が読めなくてもだいたい分かりんす」

 プロメタルは首を傾げ、目を細める。彼女の姿、喋り方には一切覚えがない。

「そう詮索しないでくりゃれ。わっちは元々隠し事が苦手なんじゃ。そんな悩む顔をされると根負けしてしまいそうじゃ」

 プロメタルの代わりにアステラ―ナがカンラに質問責めをしようとしたところで爆発音がテントの外から響いてきた。

「夜襲だと!?」

 プロメタルの経験上、今まで夜襲を仕掛けてこられた事はなかった。プロメタ聖騎士団国はミクトランを含む巨大要塞の立ち並ぶ場所、対して敵は海路でしか侵攻が出来ない。夜の海は距離感が狂うため、浅瀬に乗り上げたりする可能性も非常に高い。

 しかし砲撃してきたという事は現に船がそこまで来ているという事になる。

「兵を全員下がらせてくりゃれ。プロメタルさん。わっちの実力を示すいい機会じゃ」

 作戦本部から出るカンラをプロメタルは呼び止める。

「おい、お前一人じゃさすがに無理だ。敵は大艦隊だ。総力戦をしなければ向こう側の前線を押し上げられてしまうだろ」

「…百で挑んで五十死ぬより、一で挑んで百を殲滅するほうがいいじゃろ。任せなんし、ぬしらが思っておるよりわっちは強いからのう」

 カンラは止めた足を再び動かし始めると、止めようとする兵を言いくるめて前線へと歩いていく。

 タタラ、アステラーナ、マガツはミレハを連れて何も言わずカンラについていく。

 戦地の目の前は海。魔術による防護壁で人のいる箇所は守られているものの、爆風までは防げない。

 カンラとプロメタル、タタラたちはあと一歩踏み出せば海というところまで来て、海面に広がる百を超える大艦隊を目の当たりにする。

「スクランブルだ!早く兵を集め――――」

 プロメタルが号令をかけようとした瞬間、背筋が凍り付くような悪寒がした。

「プロメタル。やめておこう。全員を建物の中に避難させるんだ」

 タタラの声にプロメタルが号令をやめて代わりに避難命令を出していく。

 敵艦隊は既にカンラたちを捕捉し、同時に魔力を込められた砲弾が大艦隊から放たれた。

 そしてミレハにしか聞こえない声が聞こえる。

 ―――――しかと見ておくんじゃぞ。ミレハ。これがおぬしが辿り着く境地じゃ。いつかの未来、必ずこの場に辿りついて、恩返しをするんじゃぞ。


 カンラが目を閉じると共に大地、大海、大空が震撼する。もはや震えではなく、歪み。

 この場にいる人間全ての視界が歪曲し、暫くするとそれが収まる。

 空間全体の時が止まったかのような刹那の後、カンラが目を開き大艦隊に睨みを利かせると伝わっていくは衝撃波。その波動はタタラがアルスレッドで経験したものの比にならないほどに圧倒的。

 空の雲は一気に晴れ渡り、海は大艦隊を呑み込まんとする津波と化す。

 この場にいる人間の誰もが目の前の狐の実力に息を呑み、同時に戦慄する。

 目の前の大艦隊は一瞬にして放たれた砲弾ごと粉々になり、海の藻屑と消えたが、海のほうから助けを求める叫び声が上がっている。

 その声にカンラは目を閉じた途端、海はカンラの目の前で割れ、助けを求める声は奈落へと落ちていった。声がしなくなった海は奈落へ流れ込み、元の状態を取り戻したがそこはもう船の墓場と言っていい風景となっていた。

 カンラの後ろ姿はどこか儚げで、寂しそうな雰囲気だった。

「さすがだよ。…今はカンラだっけ」

 タタラは彼女に見覚えはない。しかし、カンラから聞かされた言葉と、彼女から漂う雰囲気があまりに似すぎていて確信を得たのだ。

 カンラは一瞬肩を震わせたように見えたが、振り返ると満面の笑みを残すと、そそくさと兵舎へと戻っていった。

「こりゃぁ…すげぇだおな…これは団長がやったんだおなー?」

 現場から離れていたオーガンがタタラたちを見つけて駆け寄ってくる。

「いやあの子…カンラって狐よ」

 アステラーナが悔しそうに拳を握りながらオーガンに答えるとオーガンは真顔になり、海の向こうまでを見渡していた。

「あの龍も…本気出せばこのくらい造作もねぇのかな、団長」

 プロメタルはタタラへ問いかける。タタラはその問いに是とも非とも答えない。

「まずは…セクバニアに行かなきゃね」

 あくまで今現状すべき事をタタラは元団員たちへ通達する。各々は頷き、踵を返すとそこにボロボロに砕けた鎧姿の【新緑】カステリーゼ・トネルコフが存在していた。

 俯き、手をぶらんと垂れ下ろした状態で佇んでいるその姿は誰から見ても酷く不気味に見えた。

「大丈夫か!?」

 思わずプロメタルが駆け寄ろうとすると見えない壁に接触を拒まれる。

『王とその守護者たちってアンタたちかしら』

 プロメタルが大地から湧き出てくる大樹の根に気づいていなければタタラたちは海へ突き落されていただろう。

「君は魔の存在か。魔神ダンタリオンの時と同じ…今度はカステリーゼちゃんを…」

 プロメタルによって救出されたタタラはカステリーゼの体に巣食う魔へ問いを投げる。

『ダンタリオーン?同じ七十二柱の魔神として恥ずかしく思うわ。あれだけの力しか持たないのに…まぁでも人間相手にはちょうどよかったかしら。魔女ローゼンでさえも、本物の彼には敵わないだろうし。第一、聖属性の古代魔法の欠片を使ったところで弱体化出来るのは上位魔人と私たちの使う魔術本体だけ。私たちの存在を危ぶめる程のものじゃぁないわぁ』

 俯いた顔を上げると黒く染まった瞳が不気味さを一層引き立たせる。傷だらけの顔が動き、話し始めると外傷の痛々しさを何とも思わせないほど良く喋っているではないか。

 タタラたちは警戒し始め、カステリーゼに巣食う何かに睨みを利かせる。

「七十二柱の魔神って何よ?」

 アステラーナはカステリーゼへ問いかける。

『あらぁ。私たちに興味持ってくれるのー?嬉しいわぁ。でもダメで、契約違反で極刑にされちゃうもの』

「喋らなくても極刑になるだおな!」

 オーガンは拳を構える。その姿にカステリーゼに取り憑いた何かは物怖じせずに不気味な笑顔をカステリーゼの顔でつくっている。

「覚悟しやがれ…レディの体に取り憑いた悪魔野郎!」

 オーガンは正面から、プロメタルは加速魔術で背後から拳を振るう。

『無駄なのよねぇ』

 しかし攻撃は見えない壁に阻まれ、自身らの攻撃と同じ力の強さで押し返される。

「防御系の魔術か何か…いやはたまた…魔神とやらは予想がつかぬな、団長」

 マガツは3人の動きを冷静に分析していたが、唸り声を上げながら首を傾げる。

 同時にミクトランのほうから爆発音と黒煙が上がる。

『あらあら。花火はまだ早いのに…せっかちねぇ』

 カステリーゼの体はゆったりと振り向き、ミクトランを眺める。

「くそっ!ミクトランが!」

 駆け出そうとするプロメタルをタタラがそれを上回る速度で止める。

「僕たちを引きはがす作戦だよ」

「でもどうするっていうのですか、タタラ様」

 タタラはカステリーゼの体のほうへと振り返る。

「オーガン。ちゃんと術式は書けたかい?」

「昔のままなら、もちろんだおな!団長の術式を忘れるはずないだおな!」

「おっけー。なら…始めよう」

 タタラが口端を吊り上げると共に現在地を中心として東西南北四カ所から光の柱が昇り始める。

 オーガンがタタラたちから離れていたのは最前線より北の兵舎地に術式を書き記すため。そしてタタラは南の駐屯地へ行って戻ってきていたのだ。

『これが聖属性の古代魔法の欠片なのねぇ…面白いわぁ…絶対防御魔法を統べる私が全部受け止めてあげるわぁ』

「此処に永久とこしえの魔を砕く。聖なる十字架よ、カステリーゼに救済を。万象魔術オールマイティマジック聖魔ホワイトグリモワール!」

 全ての魔術を打ち消す光は、晴れ渡る月夜をより一層明るく魅せながらこの場の全員を包み込んでいった。

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