第62話:終着点にして最強。
タタラは聖魔によってカステリーゼに取り憑いた魔神を引きはがそうと試みた。目の前に倒れているカステリーゼは本人か否か。ダンタリウスの時のように苦しむ様子も、消える様子もない。
タタラがゆっくりと近づくとカステリーゼはゆっくりと目を覚ました。
「ここはどこでありますか…」
ゆっくりと上半身を起こし、呆然とするカステリーゼ。どうやら引き剥がす事には成功したようだ。
「よかった…カステリーゼちゃん、僕の事が分かるかい?」
「ロアクリフ王…それに…聖騎士団長様と副団長様方まで!?」
カステリーゼは目の前の錚々たる顔ぶれに驚きを隠せないでいるが、やはりどこか声に覇気がない。
「ここはプロメタル聖騎士団国国境だよ。道中の事は覚えていないようだね…君に魔なる存在を取り憑かせた人間を知らないかな」
取り憑かせた、という言葉に息を呑み、冷や汗をかき始めるカステリーゼ。
「魔術王…であります…私は…彼の甘い言葉を鵜呑みにしたであります。ダンタリウスを取り戻したくて…藁にも縋る思いだったのであります!だからどうか処罰は後回しにしてほしいであります!魔術王を止めなければ世界は――――ヴッ」
途端、カステリーゼの口から無数の毒蛇が吐き出され、カステリーゼの体を包み込んでいく。カステリーゼは悲鳴を上げるがそれもつかの間、タタラたちが警戒するほどの魔力がカステリーゼの内側から紫色の濁流となって溢れ出す。
カステリーゼから溢れ出し、溶け出し、体の一部として纏われる。魔術の使える人間は一目でわかる。これが魔術なしで魔力を重厚な鎧とする力だと。
「魔法剣の一種かしら…。タタラ様の聖魔が通じないのが竜族だけじゃないなんて…」
「お父様…私…怖い…」
アステラーナは目を細めて驚きを押し殺し、分析する。
ミレハはその魔力を見て体中を振るわせてタタラの後ろへ隠れる。
「これは簡単には行かせてくれそうにもないね」
予想以上に聖魔が効いていない事に悔しさを感じながらタタラはミレハに跪き、ぎゅっと抱きしめた。
プロメタルとオーガンが残ろうとタタラへ進言しようとしたが瞬きで目を開いた時には、硝子が砕け散る音と共にカンラが地面に着地したところだった。
あまりの早さに全員が何が起こったのかと硬直する。
『私の防御壁を…生身の足で蹴り砕くなんて…アンタ何者なのぉ』
カステリーゼを呑み込んだ魔神はタタラたちと戦った時とは一変し、余裕がない。
「わっちは大概の事を物理で解決してきた者じゃ。おぬしの防壁も、傀儡の娘では強度の欠片もないのう…魔神アスタロト」
『バカな事を言わないでくれるかしらぁ~まるで私を知っているかのような口ぶり…私は今まで会った事もないわぁ』
「――――と言えばわかるかや?」
くふ、と艶のある吐息交じりで笑うカンラに魔神アスタロトは目を丸くして笑い始める。
「さ。今のうちに行くんじゃ。ここで立ち止まっていては世界は救えぬぞ。タタラ」
「全員俺に掴まれ!」
カンラからプロメタルへアイコンタクトが行われるとプロメタルはそれを察知し、全員の手を自分に置かせる。ミレハはタタラに抱っこされ、タタラが最後にプロメタルの肩に手を置く。
「いくぞ!
その速度は音速をゆうに超える。それでもプロメタル以外の体に異常がないのはタタラの万象魔術によって形成された防壁があるためだ。ミレハもタタラの腕の中でしっかりとタタラの服にしがみついている。
しかしカンラでさえも予測出来なかった事が起こる。プロメタルたちが加速した瞬間、突如目の前に現れた虹色のマントの中に入っていってしまったのだ。
「私の
そのマントが消えると共に歩いてきたのはソロモンに報告をしていた薄汚い騎士、名をモスニート。
彼が顔を手のひらで触ると、蒼白の顔へと変わった。彼の正体はアスタロトの眷属、上級魔人。彼の魔術だからこそプロメタ地方にガーゴイルを仕向け、まるで敵国からやってきたかのようにプロメタルたちを誤解させることが出来た。
「えぇ、素晴らしいわあ。これで容赦なく狐の小娘を叩き潰せるわねえ」
アスタロトはカンラのほうを見ようとした。しかしそれ以上、顔を彼女のほうに向けてはならないと本能が感じ取っていた。
「小娘か。可愛すぎるゆえに幼く見られるのは仕方ないんじゃが…おぬしこそ小娘じゃ。そしてな…おぬしは今わっちを怒らせた」
大地が、空が、目の前に広がる全ての物質が委縮する圧倒的なプレッシャーがカンラから間髪入れずに放たれる。
アスタロトはソロモンより呼び出された七十二柱の魔神が一柱。この世において恐れる存在などあるはずがない。
しかしアスタロトは目の前にいる九尾の狐にはじめて尋常ならざる恐怖にも似た緊張感を感じた。アスタロトよりも格下のモスニートは言うまでもない。
カンラがアスタロトに向かってゆっくりと歩く。歩くごとに大地がミシミシとひび割れを起こしていく。
「過去が変わった事には今更驚かぬ、何をしたのかも魔術の内容でだいたい分かる。しかしな、あやつらは――――いや、あの人たちはわっちの大恩人じゃ。それを三下と括る阿呆とそれを賞賛するぬしらの腐った精根をわっちは今から叩き潰すゆえな…」
『…モスニート…早くあるじ様の元へ向かいなさい…この子…さっきの攻撃がまるで手を抜いていたかのような莫大な何かを隠し持ってる。早くあるじ様に報告して…王様より危険人物よ!』
アスタロトは冷や汗を滝のようにかきながらモスニートへ命じる。口調から余裕がない事も見て取れるほどの精神状況。
「転送魔術…な――――」
「言ったじゃろ…今から叩き潰すと」
モスニートが虹色のマントを作り出し、それを自身に被せようとした途端、マントがカンラの飛び蹴りによって硝子のように砕け散る。
怒りを顕わにしていたカンラの表情が無表情へと変化した途端、モスニートの体が歪むと同時に地面に叩きつけられる。
『やっぱりこれって――――妖霊威圧』
今にも潰れてしまいそうなモスニートをアスタロトは助けようともしない。
――――否。出来ないのだ。
妖霊威圧の事を知っているからこそ、あそこには自分が発生させる如何なる事象も意味をなさない事を知っている。アスタロトは奥歯を強く噛み合わせた。
『勝負をしましょう…絶対防御魔法の全身全霊をかけてねぇ』
「…魔神にしては随分と真っ向からくるんじゃな。…姑息な手段で来ても無駄じゃから賢明な判断じゃのう。アスタロト」
カンラの表情がニヤっとした笑みに変化する。服装によらず戦いを楽しむかのような雰囲気まで漂わせながら、モスニートを逃がす気はない。
『えぇ。分かっているわぁ。でも私たちは命を果たした。ここでどうなろうともう用済みってわけよ』
「…そうかや。最後に一つだけ教えておいてやろう…あそこでわっちと同じ色の狐の娘も送ってしまったのは誤算でしかありんせん」
カンラの一言でアスタロトは気づいてしまった。
同じ毛色、纏う深層の雰囲気。
たったその二点にさえ気づいていれば、自分が今この場、この時間でこのような目に合わずに済んだ事を。
『まさか――――貴女…!』
「当たりじゃ。我が真なる名を美麗葉ノ
カンラもとい、輝夜。もっと言うなればミレハは合掌をする。
『絶対防御魔法―――
アスタロトは樹木と岩、内部に含まれる鉱物を利用し、自身を包み込む球体の要塞を創り出した。アスタロトがこれを完成させたその時から破られる事のない絶対防御の象徴。
ミレハはそれに動じない。アスタロトの周り八方の空から金色に輝く錫杖が地面へと突き刺さり、それらが黄金の光柱を形成する。錫杖から伸びた金色の鎖によってアスタロトは最高傑作ごと緊縛される。
「豊穣は人のため、破滅も人のため、正当なる聖遺物の紋様を今ここに。絡めとる鎖は未来のため、永劫に、その鎖を破壊せしめん後継が現るまで桶の封は切れる事知らず。罪を成した者に罰を、罰を得た者に更なる罪を。契約は今破棄されん。神仙術式 天道【永劫輪廻】…器だけ置いていってもらいんす。魔神よ」
錫杖から放たれる光がより一層強くなり、八角を成す黄金の棺となると中からカステリーゼの体だけが浮き出る。
そしてミレハの足元へとそっと浮遊してくると、それを合図にミレハは両手の指を合掌状態から絡め合わせた。八角形の棺桶の中から絶叫が聞こえると共にそれは地面の中へと沈んでいった。
「うぎ…アスタ、ロト…さま」
モスニートはミレハの妖霊威圧から必死に逃れようとしているが体が微動だにする事はない。
「三下と侮ったのはぬしだけじゃからな…」
満面の笑みを浮かべてミレハが潰れかけているモスニートの顔面に右足をゆっくりと上げ、漆に塗られた鋼鉄の高下駄を置く。
「やめ、やめ、て――――」
九尾の妖狐は美貌に似合わぬ邪悪な表情を浮かべるとそのまま力一杯、地面へと伝えた。
ドンという激震と共に悪魔は顔を潰され、粒子となってミレハのほうへと入っていった。
「まずまずの味じゃな…くふ」
まるで死闘があったかのような地面の窪みの中心で九尾が揺れる。潤んでいる唇を舌で舐め、右口端に指を置き、艶やかに一人笑う。
「これ以上の干渉はダメじゃろうからな…あとは頑張ってくりゃれな。お父様」
ミレハはその場で回り蹴りをすると空間が砕け、時が止まる。
その中にミレハが入ると砕けた空間が元通りになり、まるで何もなかったかのように全ての事象が何事もなく再開されたのだった。
――――この時間軸に現れたミレハは美麗葉ノ神 輝夜そのものであり、現在の彼女が行きつく終着点である。
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