第36話:魔神の代償と憎悪

 ―――ローゼンがダンタリオンの耳元から顔を離すと先ほどまでと違い魔神は大人しくしていた。

「ローゼンちゃんは一体何を話したのかのう…」

「お父様、お母様は何を話したのー?」

 タタラは顎に手を置いて考えるも、彼女の言動に心当たりはなく笑みを浮かべてミレハを見る。

「きっと悪い事した悪魔さんにお説教してたんだよ。お母さんの説教は怖いからね」

「そっかぁ!お母様凄いね!」

 ミレハはタタラの言葉で納得するもローゼンに近づこうとはしなかった。

 無意識かそうでないのか、今のローゼンには近づかないほうがいいと悟ったのかもしれない。

「さ。魔神ダンタリオン。お前を召喚し、黒い騎士に憑依させた術師の名を言え」

「だ、断じて言うものカ…いくらお前ガ強かろうと契約は絶対」

 そうか、と残念がるふりをしてローゼンは何もない空間から異形の壺を取り出した。

「魔神族について調べていたところでコレを見つけてな…確か名を…」

煉獄器れんごくき…キサマ…どこでそれヲ…」

 ローゼンは鼻を鳴らし、ダンタリオンに答えない。

「どうしても契約は守ると?」

「当然。この身がソレによって封印されようとも…我ら魔神は契約を守る。しかし覚えていロ…あの方の力の前には貴様でさえ及ばない事ヲ」

「…随分と丸くなったものだな。魔神族。…煉獄の器、魔神ダンタリオンを封じ込めよ。イザ・ドルブ・ゼギ」

 壺の先端に詰められている木製の栓を抜き、ローゼンは短く呪文のような言葉を発するとダンタリオンの体が徐々に黒い粒子となって壺の中へと消えていく。

 その様子をローゼンはボーっと見ていた。何かと重ねるように。

 たちまち暗雲が立ち込めていた空はからりと晴れ、どんよりした空気を払いのけるように心地よい風が吹き始める。

 ローゼンは足にぎゅっと抱きしめられるようなぬくもりを感じ、足元に顔を向けるとそこには自分の勝利を祝福してか否か満面の笑みを浮かべるミレハの姿があった。

「お母様、かっこよかった!」

 ローゼンはミレハの両手をふわりと握り、膝を折り目線を合わせ柔らかく笑みを浮かべた。

「ああ、そうだろう。アレはミレハを怖がらせたし、私の言う事を聞かなかったからこの中に閉じ込めたんだ。決して殺してはいないから安心しろ」

 殺してはいないというのはローゼンなりの気遣いだ。

 ミレハは人の生死には耐性がない。

 それ以上に感受性は非常に豊かなのだ。たとえ見知らぬ人間、自分に害をもたらす悪だったとしてもミレハはそれらの傷つくところを見ないようにしている傾向があるとローゼンは考えた。

 その考えに至ったのはローゼンが戦いの最中でミレハの様子を見ていたためだ。

 ミレハは怖さも含めてタタラに抱き着いてローゼンのほとんど戦いを見ておらず、タタラのフォローなしでは直視をするのも厳しいようだったからである。

「お母様、悪い人は全員この中に入れちゃうの?」

 ミレハの尻尾が不安そうに地面に下がる。

 恐らくは自分が悪い事をした場合でもそうするのか、という鎌かけだろう。

「ああ、ミレハも悪い子になったらこの中に入れる。さっきみたいな怖い悪魔たちがうようよいるこの壺の中にな」

 ローゼンの教育の仕方なのか、意図せずか、ローゼンの言葉にミレハが青ざめて首をぶんぶんと横に振る。

「いい子にしてるからそれだけはやめてお母様!」

「ローゼン今間違いなくミレハに悪戯しようとしたよね、ダメだよ大人げない」

ミレハの言葉にローゼンの悪戯心がくすぐられているところでタタラやアスベニウスたちがやってきた。

「お見事でした…ローゼン様…」

 アスベニウスは片膝をつき、素直にローゼンの圧倒的実力に感服している様子だ。

テテリもそれに合わせるように二度頷いた。

「まーったくもってけしからん胸じゃー…戦いの内容よりも胸が気になって気になってダメじゃったわい!」

 隣にテテリがいる状況かつ、タタラたちとしっかり分析していたにも関わらず観戦者たちが予想していないところから評価をぶつけてきた。

 当然テテリに頭を激しく叩かれ、周りからも若干引き気味の目線を貰う事になった。

「確かに少し揺れる程度の胸でも多少の邪魔にはなる。が、こればかりは今の私の力を持ってしても変えられぬ事実だ。それに―――」

 ローゼンが一瞬タタラを見て口を再度開く瞬間にタタラがローゼンの口を塞ぐ。

「ぜーったい僕がいじられるような言葉を言おうとしたでしょ今!目が光ってたもん!」

 その行為にローゼンは目を細めて詰まらないと呆れた。

 そうしていると甲冑の揺れる音が段々と近づいてくる事がわかる。

 緑の騎士、【新緑】カステリーゼ・トネルコフと彼女を追いかけるメリオロス・ジェリオスである。

「すみません途中で目を覚ましてバカ力に勝てず…」

 謝るメリオロスの肩を叩いて諭すアスベニウス。

 カステリーゼは誰が見ても死に体のダンタリウスの元へ駆け寄り、その体をそっと抱き上げた。

「ダンタリウスッ!目を覚ますであります…ダンタリウス…!」

 ローゼンは口出しをしようとしたところをアスベニウスが静かに頭を下げるとすぐさまローゼンはため息をつき、一同は踵を返し町へと向かっていく。

 カステリーゼの必死の呼びかけにもダンタリウスは応える事なく、足元から静かに灰に変わっていき、空へ灰の粒子が舞い散り始める。

 カステリーゼは思考が追い付かず、ダンタリウスを抱き上げている腕の状態のまま、静止していた。

「え…?」

 彼女はようやく理解した。

 最愛の人の死。

 タタラ・ディエネ・ロアクリフ王の魔術。

 ローゼン・アルブレヒト―――イシュバリアの魔女が彼を殺した。

「あ…ああ…」

 理解してしまった瞬間、カステリーゼは腕を力なく下ろし絶叫した。

 もはや涙など出ない。

 それは憎悪の一言では言い表せない。

 複数の思いが入り乱れ、葛藤と化す。


 ―――これからの事を言えば、今回は王の力によって黒幕が暴かれ国に活気が溢れるはず。

 ―――だが隣の魔女は殺したいほどに憎い

 ―――ダンタリウス・マローズという男を真っ向から否定した。私の好きな人を。尊敬している人を。


 ―――でも彼女は王妃。

 手を出せばアスベニ騎士団の存亡、アスベニウスの首が危ない。自分も無事で済むわけがない。

 

 ―――ならばいっそのこと。


 自分で自分を追い詰めたカステリーゼが剣を抜き、首元に刃を当てがったその瞬間タタラが素手でその剣を強く握っていた。

「なん、で…」

 死のうとしたのが分かったのか。

 死なせてくれないのか。


 二つの思いが交錯し、あふれ出した葛藤がカステリーゼの目から涙を流させた。

カステリーゼが剣を握る力を緩めるとタタラがすぐさまに剣をアスベニウスへと投げ、アスベニウスは甲冑の手で血まみれの剣を受け取った。

「…愛する人を失うのは悲しいよね。でも僕はそれを経験していないから安っぽく慰める事は出来ない。けれど、ダンタリウスが国にとって善であれ、悪であれ、民を一人殺してしまった。僕がローゼンを使って、愛する妻を使って君の想い人を殺してしまった。この首一つで気が済むのなら僕は喜んで差し出すつもりだよ」

 周りが驚く中、タタラは片膝をつきカステリーゼが首を切り落としやすいように頭だけを下げた。

 それまでずっと泣き続けていたカステリーゼもタタラの行動に我に返り動揺し始める。

 避難していた民衆も少しずつ集まり始め、頭を下げている国王にざわつき始める。

「自分の国の民も救えない不甲斐ない王でごめんよ。カステリーゼちゃん」

 頭を下げたまま、誠心誠意謝罪するタタラ。すると横にミレハも来るなり頭を一度下げて真剣な眼差しでカステリーゼを見る。

「お姉さんごめんなさい…お父様はこれでもお国のために頑張ってるの…。その…大切な人がいなくなるのは悲しいけど…お父様をあまり怒らないであげてくださいっ!」

 そして再び頭を下げるミレハ。

 その親孝行にテテリは目元にハンカチを当て、ポリメロスは腕を組みそっと見守っていた。

「ロアクリフ王…王女まで…申し訳ないであります。私はそんなつもりはないのであります…なのでどうか頭を上げてくださいませ!申し訳ないであります!」

 ローゼンはその場から少し離れ、カステリーゼのほうを見ないようにしていた。

 背を向け、腕を組み、空を見上げていた。

 哀愁漂うローゼンの姿はまるでこれから少し先に起こる出来事を物語っているようだった。





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