第64話:王の罪

 セクバニア聖騎士団国。セクバニア騎士団国連合の政治的要にして最大の都市。町は活気に溢れ、行商人の馬車の出入門が絶えない。

 ――――そうだとは思えない惨状。馬車は潰され、店は荒れ果て、買われるはずだった作物は地面へと転がり腐臭を放っている。それ以前に、空気が目に見えるほど淀んでいる。

 酷い。

 この場にきたタタラたち全員がまず思った言葉がそれだ。

 一行は住民たちの影すら見かけない事に怪しさを感じながら、軍神マルスの居城へと足を踏み入れた。扉を開けると中から溢れ出てきたのは町中に蔓延る腐臭よりも酷い汚泥と酸を混ぜたような鼻へと直接介入してくる凶悪な刺激臭だった。

 当然タタラたちはむせ返りながらゆっくりと足音を極力忍ばせて進んでいく。

 マルスの3階にある居室の前へと何とか辿りつく。

 ゆっくりとその扉を開けると中には鎖で両手両足と首を巻かれているマルス・セクバニアの姿があった。

「マルスッ!!」

 プロメタルが加速魔術で一気に助け出そうとするが全員が瞬きをする頃にはタタラたちの後ろ側の壁へと叩きつけられていた。

「随分お早いお帰りで。ロアクリフ王…」

 プロメタルが跳ね返されたのはマルスの目の前に現れた魔術王、ソロモンによる仕業である事はタタラたちにも理解出来た。同時に予想通りの黒幕だった事に少しばかり安堵さえ覚えた。

「何故…このような事を…」

 タタラは今にもソロモンへ振りかぶりそうな拳を握り締め、彼に問う。

「なぜ…?この期に及んで何故と仰いますか、ロアクリフ王。貴方と言う存在があまりに世間へと影響を与えていたからこそ、今まで仕えてきました。しかしあなたは変わってしまった。その原因がついこの間、お帰りになられた時に推測から確信へと変わりました。魔女ローゼン、彼女に魅入られ気づかぬまま洗脳された貴方は私から見れば貴方であってあなたではなかった。ロアクリフ王…どうしてあなたはそこまで変わられてしまわれた…どうしてです…。皆のためにと献身的に働いていたロアクリフ王は今や魔女の傀儡となり果てこの国を…世界を破滅へと導く闇の救世主となってしまわれた。嘆かわしい、なんと嘆かわしい事か。だから私は、私の出来うる限りの手段の中で最善策を見出し、我こそが王となり、民に真なる救いの手を差し伸べると誓ったのです!それが例え、どんな悪であろうと、どんな禁じ手であろうと。傀儡と言えど親愛なるロアクリフ王を殺さなくてはならなくとも…私はァ!この世界を救済せねばならないッ!!」

 ソロモンは言葉巧みに自分の胸中を訴えかけ、最後の一節と同時に、身動きがとれず気絶しているマルスへと黒い靄を叩きつける。

 途端にマルスは苦しみに耐えかね発狂する。ソロモンの掌からマルスへと注入される黒い靄の中に、紫に妖しく光る球体が5つほど混ざり、それも同様にマルスへと入っていく。

「軍神に罪を償わせるためには…肉体の完全掌握が必要となる。そのために…六重人格へとさせていただきました。ロアクリフ王…お納めください。これが我が力の一端、魔術の境地、大天使より預かりし指輪による…魔神との融合。それだけじゃありません。捕らえた魔女ローゼンの魔力を抽出し、軍神の血液に混ぜました。どうなるか、その目で確かめてみてください。御身が犯した過ちと傀儡である事を認識し…あわよくば元のロアクリフ王へとお戻りになってください。私の願いはそれだけです」

 マルスの居城から溢れ出る激臭が渦巻くようにマルスへと取り込まれていく。もはやマルスは痙攣を起こし、見える肌は血色がなくなり、青い血管が皮膚の表面へと浮き出る。

「我が名はアガレス。我が名はアモン!我が名は…アイム。我ガ名ハ…フルフルッ!我が名はガープ」

 マルスの口から5種類の声色で口走る異常な魔神たち。1体だけでも倒す事を悩むほどだが、白目を剥いてタタラたちを眺めるマルスに正気はもはや残されていないのだろう。

「どうでしょう。これぞ貴方がたの罪!世界を破滅させる力の顕現!」

 肌は完全に青紫へと変色し、背中に居城中の剣が集まって翼となり、頭上には青黒い炎が角を象っている。

「軍神マルスよ。同胞を力で討ち果たせ!」

 ソロモンが指輪を翳し命令を下すとマルスは左手を空へと掲げる。

 それが何を顕わすか。何を待っているかを知っているタタラはマルスの目の前に迫ると魔力で作り出した盾を投げ、マルスが盾を右手で払いのけると同時にマルスへ体当たりをし、居城の外へと突き落とそうとした。

 しかしマルスは微動だにしない。腹に肘打ちをしたタタラを見てケラケラと笑い始める。

「これが王の力・・・片腹痛い」

 マルスの口から内に憑依せし魔神の声が混ざり合って聞こえる。

 タタラが顔を上げ、マルスを見た瞬間、タタラの頬骨に血色の悪すぎる拳が振り抜かれる。タタラはその場から消えるように居城の外へと飛ばされる。

 他のメンバーも悉く立ち向かったがタタラと同じように飛ばされた。

 なんとか立ち上がったタタラの目の前にマルスは着地する。

「これが力。軍神が元より王に従う必要はなかった」

 未だにふらふらしているタタラへと強力なリバーブローが炸裂する。タタラの体は痛みからくの字へと曲がる。その途端、顎へとアッパーが振り上げられ、タタラは再び宙に上がり、無防備なところで顔を蹴られ地面へと叩きつけられる。

 次は起き上がる間もなく、タタラの頭を持ち、地面へと叩きつけそうになったところでプロメタルがタタラを救出、タタラを掴んでいたはずの手を二度見しているマルスに今度はアステラーナが後頭部へと拳を叩きつける。破壊魔術を帯びた拳はマルスごと空間をねじ曲げ、タタラではビクともしなかったマルスがいとも簡単に顔面を地面に叩きつけられた。

「容赦・・・ないね全く」

「団長が甘いんだお・・・な!」

 アステラーナが離れると共にオーガンが倒れたマルスへと拳を振り下ろす。普段たつはずの土埃が立たず、音も幾分小さい。

 オーガンはすぐに離れる。そこに何事もなく立ち上がるマルス。

「おやおや。いつの日か見せてもらった力はどこへ行ったのやら。いいや、言い方を変えるべきでしょうかねぇ・・・さすがは騎士団国連合の中枢を担う聖騎士団長、副団長様方というべきか。は何時如何なる時も怠っていませんな・・・カカッ・・・実に愚か。こうも簡単に強者を抑え込める。だからこそ民衆主義の国を作った。あなた方が何食わぬ顔で外敵から人々を守っている中、私が。あなた方ではない。私が今の体制を作り上げたのです。ロアクリフ王、それをあなたは無下にするように外の世界ばかり目を向けて私に労いなど与えてはくれなかった。・・・そんな私の気持ちに気づきもしないまま、与えてくるものは密書だけ」

 地面へ叩きつけたオーガンの腕がゆっくりと持ち上がる。

「ぬぬ・・・マルスがここまで力があるなんておかしいんだおな!」

 オーガンは自身の拳を受け止めているマルスの掌から放たれた衝撃波によってそのまま仰向けに倒れてしまう。

「オーガン!ありえねぇ。いくらマルスでもおかしいぜ!加速魔術・・・回嵐かいらんっ何!?」

 プロメタルが斧を手に回転しながら突撃したが、その勢いはかつての龍神王の時と同じくたった掌の一握りで完全に殺された。龍神王の時は指二本だったが、プロメタルにとっては些細な違いにすぎなかった。

「こいつ・・・マルス目を覚ませ!魔神なんかに負けんじゃねぇ!」

 プロメタルは斧を放し、マルスの右横に迫ると拳をマルスの頬を殴った。しかしマルスは顔色一つ変えず、殴られたままの状態でプロメタルを見る。

 その状態も束の間、マルスの体はソロモンが浮いているところと逆サイドへと飛ばされる。

「魔神たちに完全に体を乗っ取られてる・・・。殺す気でいかないとこっちがやられてしまうわ。油断しないで。プロメタル」

 アステラーナがプロメタルに目を向けながら、彼の斧を投げ渡す。

「・・・殺す気というのは気が引けるがいいだろう。・・・刀がないのが残念であるが・・・随分錆びたククリ刀だが・・・新しい武器の使い方を学ぶのもありだ」

 マガツは戦闘の衝撃で崩落した武器露店からククリナイフを2本手に取り、重さ、振り心地によって感じる重心のおおよその位置などを体感し、一度頷く。

「魔神の力でどれだけ強化されていようが―――やはりマルス以上になる事にはならない」

 ククリ刀での二刀流、刀と扱いが畑違いにも関わらず、マルスの剣を楽々と受け流すマガツの身のこなしはまるで熟練の手練れによる剣技。

「自分の刀を使えばいいのに・・・しかもよりにもよってククリ刀なんて・・・アンタには使えるはず・・・」

「すまないな。我の刀は我が儘なんだ。それに・・・

 マガツは自身を中心に半径10メートルの幻術の類を無効化する性質の魔力を普段から溢れさせている。一般的にはそう言われている。

「それだけ武術に長けているって事でしょう?分かっていますとも。武器は関係なく戦える。しかしそれでもその道の極みには辿り着けない。魔術も一緒ですので・・・しかし、軍神は今や魔神との融合で魔術と体術、剣術を極めた存在に近しい。であるなら・・・貴方に勝ち目はありません」

 魔術王の嘲笑。

 マガツに反応はない。

 天蓋の中に見える真っ赤な眼光はただ目の前の軍神へ。

 マルスがどれだけ人智を超えた速度、力で向かえどマガツに剣が届く事がない。

 それどころか魔神との融合でマルスの体のあちこちに傷が入っていっている。


 なぜだ。


 魔術王は信じて疑わなかった自分の判断を初めて疑った。

 軍神マルスと同等に戦えるのは他の聖騎士団長とタタラのみ。


 そうだと思ったのはいつからか。

 魔術王は初めて自身の愚かさを悟った。

 全ては孤立しても魔術への研究に努めたための情報収集の欠落。


 タタラ個人への信用失墜と共に湧いた怨念。しかし騎士団員の事を知っているのはタタラのみ。


 ようやくゆっくりと起き上がるなりタタラはソロモンのほうを向く。

「・・・マガツでは軍神に及ばないはず」

「君に言った実力差はいつのマルスとマガツの事かな」

 マガツはマルスの間接を錆びたククリ刀で的確に打撃していく。

「今力をただ力としか見ていない君には・・・理解出来ない光景だと思うよ・・・ソロモン」

 マルスの体勢が崩れ、握っていた剣は宙へと飛ばされた。

「マガツに一対一の剣術で勝てる存在はこのセクバニアには存在しないと思ってるからね」

 宙が浮き、力の逃げどころがなくなったマルスの目の前に迫るマガツ。

 投げ捨てられたククリ刀を目で追うマルスの鳩尾へと放たれる掌底。

 魔術王は息を呑む。タタラ、プロメタル、オーガンを圧倒した軍神があえなく一人の虚無僧の格好をした剣士に敗れ去り、壁を崩落させた先で仰向けに倒れているのだから。

 真理のマガツ。彼の持っているとされる力は【幻の無効化】ではなく、。魔力によるものではなく、ただ一つの武を極めて得た極地。

 どんな武器であろうと少し握って振りを確認すれば、その武器に最適化。生まれもって天性の才能を持つ彼であるが、現在までの武練により、どの武器であろうと極みの境地に至った動きが出来るという天才的かつ努力的な技術によるもの。

 

 ソロモンは飛ばされたマルスの元へ向かい、マガツを見る。

「魔術王。残念ではあるが、我はセクバニアに来て軍神に打ち合いで一度も負けた事はないのだ。我の鍛錬を赦せ」

歯ぎしりをし始めるソロモンなどいざ知らず、天蓋から覗かせる赤い眼光はただ倒れた同胞を眺めていた。

 

 


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