1 Alice's Adventures in Wonderland

第2話 アリス《女の子》

 アリスと出会った日のことは、今でも昨日のことのように覚えている。

 それは、まるで夢のような出会いだった。

 黄金の昼下がりに微睡まどろんで見た夢のような。

 そんな特別な出会い。


 アリスは、その年頃の女性――女の子にしては珍しく、ものごころがつくと直ぐに「擬似男性ファルス」を欲しがった。この街では、危険で野蛮の象徴である男性を模したモノである「ファルス」を。


 これから七歳になろうとしている小さな女の子は、七歳の誕生日に「ファルス」を――

 つまり、僕を欲しがったんだ。


セクスアリスSヒューマイドHインターフェイスI」は、性的生活及び生殖を目的として製造されたヒトのカタチを模したモノ。

 

 人類には、二つの性がある。

 女性〈XX〉。

 男性〈XY〉。

 

 だけど、この街には女性しかいない。

 そして女性は、男性と呼ばれるもう一つの性がなければ妊娠することができない。

子孫を残せない。遺伝を次の世代に繋げない。

 

 人類は女性と男性で生殖行為を行い、女性の卵子に男性の精子が受精することによってはじめて子孫を残すことができる。

 女性は妊娠をして子供を出産することができる。


 つまり、女性〈XX〉と男性〈XY〉――二つの性が交わってはじめて、女性は子供を産み、子孫を残すことができる。


 だけど、この女性だけの街「マーテル」には男性はいない。

 だから、僕たち「ファルス」が造られた。


 ヒトのオス――

 つまり、男性を模して。


「ファルス」とは、もともと男性器――つまり、おちんちんのこと。

 ペニスのような形をしたオブジェの指す単語。

 

 古来より男性器を模した彫刻はたくさん作られていた。

 古代エジプト、

 古代ギリシア、

 古代ローマの時代から。

 この日本でも、古くから祭りの際に男性器の神輿や石像をまつっていた。


〈女性だけの街〉ができる以前――女性と男性が別たれる切っ掛けとなった〈性別離ディボース〉と呼ばれる出来事が起きる以前の時代には、僕たち「ファルス」は気軽なアートととして存在していたという。イラストやアニメーションの中に、気さくに登場していたらしい。

 

 そんな過去にオブジェやアートだったおちんちん――「ファルス」は、人工の肉と血と遺伝子を獲得し、ヒトの形を得て僕たち「ファルス」に発展した。


 女性の性的生活を支え、生殖を行って子孫を繁栄させるためモノとして。


 そのため、僕たち「ファルス」は基本的には性の道具として扱われる。

 第一世代の「ファルス」は、セックスをして精子を出す以外の機能や行動ソフトウェアを与えられていなかったという。その後、女性たちの様々なニーズにこたえる形でバージョンアップとマイナーチェンジを繰り返して、僕たちは性具おちんちんとしてだけではなく、女性たちの生活をサポートするまでに至った。


 僕たち「ファルス」は性的生活や生殖目的だけでなく、様々な用途に応じて使用及び活躍することができる人間型のインターフェイスとして完成した。


 そういった「ファルス」は、汎用はんよう型と呼ばれる。

 汎用型の「ファルス」は、女性の私生活や労働をサポートする使用人やエージェントとして役割も与えられる。もちろん汎用型が誕生する以前と同様に、ただのおちんちんとして使われることも主流で、愛玩用やペットとしても使用される。


 つまり、女性の様々なニーズに対応できるように開発されたのが汎用型の「セクスアリス・ヒューマノイド・インターフェイス」――

 つまり、「ファルス」である僕ということになる。

 

 そんな僕を、アリスは欲しがった。

 七歳の誕生日に。


 僕のオーナーになる女の子は、生まれながらに自分が女性であることを強く意識していた。それだけでなく、なぜ自分が女性として生まれてきたのかということを意識していた。

 そして、なぜこの世界には女性と男性の二つの性があるのかということも強く意識して、疑問を感じていた。そこには、何か特別な意味があるんじゃないかと。

 

 それ以上に、強く男性を求めていた。

 

 この〈女性だけの街〉で、今では誰も知ることのない男性と呼ばれる性。

 すでに空想の産物――御伽噺ファアリーテイルのように語られる男性の面影を、アリスは幼いながらに強く追い求めていた。


 まるで、失ってしまった片方の手を探すみたいに。

 遥か遠くの星に手を伸ばすみたいに。

 

 だから、アリスは七歳の誕生日に僕を購入した。

 彼女好みにオーダーメイドすることもできたはずだけれど、彼女は一般的に流通している量産型モデルの「ファルス」を選んだ。

 

 僕は、ロクスソルス社がリリースしている「第6世代汎用型SHI」で、製品名は「汎用型SHI-type666X」。高級品で高機能ハイスペックモデルではあるけれど、それでも特別仕立てオートクチュールと呼ばれるオーダーメイドとは雲泥の差。既製品であり量産品。

 

 それでも、そんな僕をアリスは求めてくれた。

 無数にあるモデルの中から、長い時間をかけてじっくりと吟味をした結果、僕を選んでくれたんだ。

 まるで、お気に入りの洋服を見つけたみたいに。

 

 そして、僕が届く日を心待ちにした。

 

 全ての「ファルス」は、黒い箱の中に入って出荷される。その黒い箱――石棺クレードルと呼ばれる箱型のデバイスは、「ファルス」をサポートする簡易サーバとして機能する。

 

 石棺には、オプションと呼ばれるソフトウェアやアプリケーションがあらかじめ複数プリインストールされていて、僕たち「ファルス」はオーナーの命令に応じてそれらをダウンロードすることができる。そして、オーナーの要求オーダーに応える。


「ファルス」と石棺はローカルネットワークで繋がっていて、「ファルス」が受容した情報の全ては、簡易サーバにフィードバックされて保存される。

 

 石棺自体は、さらに大きなサーバ――「ファルス」メーカーであるロクスソルス社が所有し管理しているクラウドサーバに常時無線接続されていて、そこで情報のバックアップを取っている。バージョンアップのファイルや、修正パッチなどのサポート情報もクラウドサーバを通じて石棺に送られ、最終的に「ファルス」にインストールされる。


 これがファルスについて大まかな説明。

 つまり、僕についての簡単な自己紹介。


「わあ」

 

 誕生日の日。

 自分の身長よりも大きな石棺が送られてきたアリスは、大きな青い瞳を見開きながらその誕生日のプレゼント――黒い箱の周りをくるくると回って、不思議な踊りを踊りはじめた。

 

 まるで、何かの儀式でもしているみたいに。

 それは神を降ろすための巫女の舞のように、とても神聖なものに見えた。

 

 一通り不思議な踊りを踊って肩で息をしたアリスは、興奮して真っ赤に上気した顔で石棺を覗き込んだ。そして、小さな手で冷たい表面を優しく撫でる。続いて、柔らかな頬を石棺に当ててその感触を確かめ、最後にその奥で眠っている「ファルス」の――つまり僕の鼓動を確かめるみたいに、そっと耳を澄ませる。まるで、遠くの風の音を聴こうとするみたいに。


「いい? 今から開けるからね? あなたを、私のお部屋に招待するからね」

 

 アリスは小声でそう言い、わくわくと輝かせた瞳を僕に向けた。

 その魅力的な表情には、これから未知のモノと遭遇するという喜びや興奮と共に、緊張と恐れが混じっていた。幼い顔に小さなまだらを描いていた。

 

 この時、僕自身は石棺の中で身動き一つとることはできなかったし、言葉を発することもできなかった。しかし、起動前スタンバイ状態で意識のみを起動していたので、石棺の表面に取り付けられた複数のセンサで――アリスのことも、アリスの部屋の状況も全て把握できていた。


 そして、その情報を簡易サーバに保存していた。

 蓄積された情報は、簡易サーバ内の管理AIがオーナーのプライバシーの侵害に当たらないと判断した情報のみ、クラウドサーバに送られる。フィードバックされた情報は全て「ファルス」を開発、発展させるために利用され、新たな行動ソフトウェアやアプリケーションが開発されたり、バージョンアップしたりする。


 しかし、僕のオーナーになる女の子は、購入時の初期設定で僕が受容した全ての情報を石棺のみに蓄積し、その後一定期間が過ぎたらクラウドサーバに送信せずに破棄するという設定を選択していた。

 つまり、僕が受容した情報は何一つクラウドサーバにフィードバックされることがないということ。


 僕とオーナーだけが共有する二人だけの情報。

 それは二人だけの秘密。

 隠し事。


「それじゃあ開けるわよ。お行儀よく挨拶してね? 私たちの最初の出会いなんだから」

 

 アリスはそう言いながら、初期設定時に登録を行っていた声紋で石棺のオープンを命じる。


「――開きなさい」

 

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