第17話 夢《インストール》


 僕が案内されたのは、子宮区画ウテルスから少し離れた区画に建てられた女性省が所有する専用住居セーフハウスだった。


「生活に必要な備品は全て揃っているはずだ。それと、女性省のIDを使用すれば大抵のものは取り寄せられる。限度額を気にする必要はないから遠慮しないでいい」

「ありがとう」

「アリスの捜索は明日の朝から始める。車で迎えに行くから準備をしておいてくれ。詳細は資料と一緒に送信しておく」

「わかった」

 

 僕は、ロクスソルス社を出る前にウカから説明されたことを思い出した。インストールした様々な行動プログラムのことも。

 

「あなたには、ミケとパートナーを組んでアリスの捜査に当たってもらう。まずは女性省のIDと、アリスの捜索に必要な行動パッケージのインストールね。その他必要な情報や行動プログラムは、女性省専用のクラウドサーバにアクセスすれば無制限に手に入るわ」


 事件の概要を説明したウカは、続いて事件の捜査方針についての話をはじめた。

 僕は指先をデバイスにかざして、女性省のIDと捜査に必要な行動プログラムが複数入ったパッケージのインストールを開始する。


 この「マーテル」では、指先が接触型のインターフェイスの役割を果たす。

 かつて、様々なカードやパスワードによって行われていた認証制度は廃止され、指先から遺伝子情報を読み取ることで個人の認証を行う。個人情報の開示や、商品を購入する際の支払い、公共機関の使用などにも指先を使用する。そのため、指先はこの「マーテル」で最もケアされる体の部位となっていて、指先が綺麗な女性ほど尊敬を集めやい。


 アリスはそんな習慣や美意識に下さらなさを感じていて、よく自分の指の爪を噛んだりしていた。何事にもささやかな反逆を試みるのが、アリスの流儀だった。


「こんなの、まったくもってナンセンスよ。指先が綺麗だろうが、汚かろうがどっちだっていいじゃない? わざわざ保湿クリームを塗ったり、手袋をして寝たり、爪のケアに一日一時間のかけるなんて、ほんとバカげてているわ。美しい指の女性ビューティフィンガーなんて言葉聞きたくもない」


 美しい指の女性ビューティフィンガーとは、指先の美しい女性に対する最大級の賛辞。他にも、女性を褒め称える形容詞がこの街にはたくさんある。

 

 僕は指先を機械に当てながらそんなことを思い出して、無性に懐かしさを感じた。

擬似男性ファルス」の指先は、個人認証だけでなく有線ケーブルの役割をも果たし、情報の入力と出力を行ったり、クラウドサーバにアクセスして行動プログラムのインストールなどができる。


 インストールした行動パッケージには、複数の行動プログラムがこれでもかというくらい詰まっていた。まるでガラクタばかりのおもちゃ箱のように。おそらく、今回の捜査のためにパッケージの中身を編集したのだろう――捜査、鑑識、追跡、警備、警護、ヒューマイド工学、遺伝子工学、エトセトラ。驚いたことに、戦術用の行動プラグラムまで組み込まれていて、僕を兵士にでも仕立て上げるつもりなのかとうんざりした。

 アリスを見つけ出すのに、どうして銃火器の行動プラグラムまで必要なのだろうか?


 僕は、それらのプログラムを個別にインストールすることを選択して、不必要そうなプログラムは除外することにした。


 僕は、戦闘マシーンになりたいわけじゃない。

 アリスに再会したいだけなんだ。

 そして、アリスの無実を証明したい。


 僕が女性省に協力する理由はただそれだけ。

 

 一人きりになると、僕はとりあえずシャワーを浴びた。めいいっぱい熱くしたシャワーのお湯で髪の毛を洗い、八年ぶりに動かした身体ボディを丁寧に洗った。とくにおちんちんは入念に洗った。僕たち「ファルス」は、常に男性器を綺麗にしておくことがマナーだと教えられている。


 シャワーを浴びながらウカから聞かされた話を思い出していると、僕は自分がひどく疲れていることに気がついた。


 なんだか自分がひどく年老いてしまったような気がした。

 僕の身体ボディはまるで成長していないにもかかわらず、僕は自分がスクラップ寸前のおんぼろになったような気がした。

 

 その理由は、分かっている。

 

 アリスは、僕を必要としなかった。十六歳になって僕の所有権が返却された後も、彼女は僕を再起動しなかった。そのことが僕をひどく傷つけて、僕を心底疲労させた。

 僕の存在意義を奪って、僕をスクラップ寸前のおんぼろに変えてしまった。


「アリス――僕の女の子。いったいどこにいるんだ?」

 

 僕は、おもむろに彼女の名前を呼んだ。

 遠くに手を伸ばすように。


「本当に、アリスが代表女性官を殺したのか? 自分の上司を? そしてロクスソルス社からデータを――〈少女の見た夢マザーグース〉を盗んだのか?」

 

 僕は、そんなことはないと首を強く横に振った。

 絶対にそんなことはないと。


「アリス、今どこにいてなにをしているんだ? それに、これからなにをしようとしているんだ? どうして――僕を連れていってくれなかったんだよ」

 

 僕の弱々しい言葉は、シャワーの音にかき消された。

 そして、排水溝に流れて行く泡と一緒に消えた。


 僕の疲労感も一緒に流れて行ってほしいと思ったけれど、それは僕の身体ボディにしっかりと染みつき根をおろしていた。


 僕は、泡になりたいと思った。

 これが悪い夢なら、泡のようにはじけて覚めてほしいと。

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