第16話 マーテル《夜》

 僕は、ミケが運転する電気自動運転車オートエレカの助手席にいた。

 窓の外はすでに暗く、夜の九時を過ぎていた。


「マーテル」では夜間の外出が推奨されていないため、ほとんどん商店はシャッターを下ろし、街に人気はまるでない。街のいたるところに埋められた常緑樹が、休むことなく空気の浄化と温度調節を行っている。そのせいか、街はどことなくもやがかっていた。


 はじめて見る夜の世界――オレンジ色の街燈が道路を照らす光景は、どこか幻想的に見えた

 

 僕たちは、一度も夜に外出したことはなかった。

 アリスは、いつも夜の世界に出て行きたがっていた。


「夜間に外出しちゃいけないなんてナンセンスだわ」

「でも夜は寝る時間だし、健康にもお肌にも悪いよ」

「それが、ナンセンスすぎるのよ。今はたくさんのサプリがあるんだから、少しくらい夜更かししたって健康にも、お肌には何の問題もないはずなんだから」

「健康的にはそうかもしれないけど、夜間の外出は公共を乱すって研究結果があるみたいだし」

「その研究結果って本当なのかしら? だって、夜も外で活動したほうが効率的で合理的だと思わない? 時間も、人生も、使える時間は限られているのよ? それなのに、家に閉じこもって宿題だの裁縫だの料理だのって時間の無駄だわ」

「そんなこと言って、アリスはいつも夜の九時をう過ぎるとうとうとして寝ちゃうじゃないか? いつも、僕が毛布をかけてあげてるんだよ」

「うるさいっ。仕方ないでしょう。私はまだ子供なんだから。大人になったら、私は絶対に夜も有意義に活動するんだから」

 

 アリスは、いつだって常識と呼ばれるものに異議を唱えた。

 当たり前だと言われているものに疑問をもった。

 ただ与えられるだけものを、ただ手渡されるだけのものを、そのまま受け取ろうとはしなかった。

 

 彼女はいつだって自分の頭で考えて、その答えを知ろうとした。

 その小さい体と、小さい頭で。


「考え事かな?」

 

 過去の回想を断ち切ったの、はミケの言葉。

 僕は肩をすくめるだけに留めた。


「八年ぶりの街はどうかな? ほとんど変わってなくて驚いただろう? この街は時間が止まっているようだって、私はよくそんなふうに思うんだ」

「どうして自動運転じゃなくて、あなたが運転するんだ?」

 

 僕は、質問には答えずに尋ねた。

 時間が止まっているという彼の言葉をうまくのみ込めなかった。

 僕の時間は、再び動き出したばかりだったから。


「自動運転システムを介した移動だと、システムを管理する交通局のサーバにログが残ってしまうんだ。ログに運転記録や移動先が残らないようにするためには、手動で車を運転するのが一番確実なんだよ。上位の女性官の多くが、この方法で移動をしている。公務の都合上位置を特定されると困るからね」

「なるほど」

 

 僕は頷いて次の質問を考えた。


「先ほど聞きそびれたんだけれど、盗まれた〈少女の見た夢マザーグース〉とはどういったデータんなんだ?」

「それは秘匿事項で分からない」

「分らないものを僕たちは探しているのか?」


 そのことに対して驚きはなかった。

 僕たちは女性たちの仕事を業務委託アウトソースされるだけのモノ。下請けの下請けのさらにその下のようなもので、そんな僕たちに正確な情報や、仕事の意図や目的などを知らせる必要もない。


「〈マザーグース〉の中身を知っているのは、ハダリ様を含めたごく少数のみ。擬似男性ファルスである私たちには知る権利もないだろう」

「たしかに。でも。そんなに重要なデータなのか?」

「〈マザーグース〉が悪用されれば、このマーテルに大きな混乱を巻き起こすことになるだろうと、ハダリ様は仰っていた」

「このマーテルに大きな混乱を巻き起こすデータ? それをアリスが盗みだし、逃走をしている可能性があると」

 

 そして、上司であるナオミを殺害した容疑がかけられている。

 僕は、それがいったいどのようなデータなのかを考えてみたが、まるで思いつかなかった。


「わかった。そのことを頭に入れておくよ」

 

 僕は、一応納得したふりをした。


 この捜査は、間違いなくアリスを犯人だと断定して進められている。

 女性省がアリスにどのような処分を科そうとしているのかは分らなかったけれど、僕はそのことを尋ねるつもりも、異を唱えるつもりもなかった。女性省に全面的に協力して、その協力にまるで疑いを抱いていないと思わせておきたかった。


 僕は、アリスをおびき出すための餌のようなもの。

 僕に利用価値がないと分れば、彼女たちは躊躇ためらうことなく僕を廃棄処分にするだろう。オーナー不在のみなし「ファルス」なんて存在は、女性たちにとっては野良犬と変わらない危険な存在なのだから。


 僕は、そのことを肝に銘じて行動しなければならない。

 アリスに再会するまでは。

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