第15話 不思議の国《アリス》
「アリスの捜索については、私から説明をさせてもらうわね」
そこから先の説明は、ウカが引き継いでくれた。
ハダリは用件だけを伝えて部屋から退出してしまい、七人の
「アリスが無事に見つかることを祈っているよ。このマーテルの公共のためにも――そして、この街の未来のためにもね」
ハダリは、最後に意味深な言葉を残していった。
まるで、この
不思議の国に行ってしまったアリスは、物語の最後に帰ってこれたのだろうか?
僕は、そんなことを考えた。
「アリスは無事なんですか? それにある事件をきっかけにって、どういうことなんですか」
「まずは、落ち着いて。順を追って説明するわ」
ウカの言葉で、僕は自分が取り乱したしまったことに気がついた。
「私だってアリスのことが心配だし、その身を案じている。だから、彼女を捜索する担当官に志願したの。あなたを再起動させたのも、私の提案なのよ?」
「話の邪魔をしてしまってすいません。でも、一つだけ教えてください。僕は、どうして廃棄処分にされなかったんですか?」
あの日、僕は廃棄処分されたはずだった。
アリスの母親によって。
「マルタ様が、あなたの廃棄処分を取りやめたの」
「アリスの母親? だって、僕の廃棄処分を決めたのは」
「あの調査の場では、マルタ様は誰よりも
「はい」
「でも、彼女はアリスの母。全ての母がそうであるように、娘のことを第一に考える優しい母でもあるの。アリスのことを思ったマルタ様は、あなたを
「十六歳? でも、アリスはもう十八歳を迎えているはずじゃ。アリスは僕が廃棄処分にされなかったことを知っているんですか?」
僕は、告げられた事実に驚いた。
「知っているわ。マルタ様は、アリスの十六歳の誕生日にあなたの所有権を返却しているの。でも、アリスはあなたを再起動しなかった」
「そんな、じゃあ、僕はもうアリスにとって必要のない――」
僕は頭の中が真っ白になった。
アリスは、僕が廃棄処分にされていなかったことを知っている。
僕がロクスソルス社で保管されていることを知っている。
それなのに、僕を再起動しなかった。
僕を必要としなかった。
「それは、分からないわ」
ウカは首を横に振り、僕の手を強く握った。励まし、勇気づけるように。
「でも、アリスはあなたを失ってからファルスを所有していない。十六歳を超えて、個人でファルスを所有できるようになってから、一度も擬似男性を所有しなかった。どのファルスのオーナーにもならなかった」
僕は、ウカの言葉に納得することができなかった。
素直に、その言葉を受け取れなかった。
「アリスは、あなたを失ってからずっと塞ぎ込んでいたの」
「塞ぎ込んでいた?」
「あの子は、幼い頃から公共に馴染もうとしないところはあったけれど、あなたを失ってからはより強く
アリスは幼いころから変わっていたし、周りの女の子たちと少し違っていた。鋭く尖った何かができていたみたいに。それに、この〈女性だけの街〉の
嫌悪していたと言ってもいいと思う。
「あなたを失ってからのアリスは、危険な思想に傾倒して、公共を乱すような考え方に憑りつかれていたんだと思う。今回の事件も、そんな考えや思想のせいで起きたんじゃないかって疑われている」
「いったい、アリスが何をしたんですか?」
僕が尋ねると、ウカは一度口を閉ざして僕を見つめた。
この後の言葉が、僕の覚悟や決意のようなものを計ると暗に示すみたいに。
「今の話を聞いても、あなたはアリスを探したいと、彼女に会いたいと思える? あなたは、アリスに必要とされていないかもしれない――それでも、あなたはアリスに尽くしたいと思える?」
「はい」
ウカのその問いに、僕は考えるまでもなく答えた。
考える必要すらなかった。
「僕は、アリスに会いたい。彼女に尽くしたい」
僕は、アリスに会いたかった。はじめてアリスと出会ったあの日から、僕はアリスのためだけの存在。
彼女がいなければ、僕は無価値な人形。
人形ですらなく、ただの無価値な男性器――
おちんちんだ。
「わかったわ」
ウカは頷いて話を先に進め出した。
ようやく、アリスのことを知れる。
僕は、そう思った。
「アリスは現在、自分の意志で女性省から逃亡し、その身を隠していると思われる」
「いったい、どんな理由でアリスが女性省から逃亡して、身を隠す必要があるんですか?」
「三日前――ロクスソルス社からとあるデータが盗まれたの」
「とあるデータ?」
「そのデータを、ハダリ様は〈
「〈マザーグース〉?」
マザーグース?
ガチョウのお母さんという意味だろうか?
いったいどのような意味を込めて、全てのファルスの母は盗まれたデータにそんな名前をつけたのだろうか?
「〈マザーグース〉は
「アリスは、女性省に入省していたんですか?」
「言い忘れていたわね。そう、アリスは女性省の正式な省員だった。一六歳で女性省に入省。その後、大学に通いながらキャリアを積んでいたわ。正式な女性官になったのは今年からね」
「研究データが盗まれた当日にロクスソルス社を訪れていたって理由だけで、アリスが盗んだって決めつけているんですか?」
僕が尋ねると、ウカは表情を厳しくしてミケに視線を向ける。そして、何かの準備をするように合図した。
「まずは、この映像を見てくれる?」
ウカは
その写真を見た瞬間、僕は吐きそうになった。目の前が真っ白になって意識を失いそうに。
「大丈夫。これは、君のオーナーじゃない。そのことを強く意識して。そうすれば
ミケが僕に寄り添って、僕の
僕は言われた通り――「これはアリスじゃない」「僕のオーナーじゃない」と、心の中で呟いた。しばらくすると僕は落ち着きを取り戻して、精神的にも安定してきた。
それでも、吐き気を伴う不快感は残った。
こびりついた汚れのように、僕の心の奥にべっとりと張り付いままだった。
ホログラムの静止映像は、とても衝撃的だった。
女性省の黄色い制服に白いコートを着た女性が、大量の血を流して死んでいる。
椅子に座り、大きな机に頭を預けたまま。
机の上に赤いバラを咲かせたみたいに。
明らかに何者かの手によるもので――他殺体だった。
つまり、殺されたということ。
「彼女は、ナオミ様」
「ナオミ?」
聞いたことのない女性だった。
「女性省の代表女性官の一人よ。〈青少女健全育成委員会〉と〈保健局〉を担当されていて、最年少代で表女性官に就任した才女で、この街の聖女と呼ばれていた女性。今回の事件はデータの盗難だけでなく、この街の代表である女性が殺害された殺人事件でもあるの」
「代表女性官が殺害された?」
僕は事態の深刻さを飲み込んで
この街の代表である女性が殺された?
十二人いる代表女性官の一人が。
これは大事件だった。
この街を揺るがし、ひっくり返してしまうほどの。
「殺害されたのは――三日前。現場は、このロクスソルス社。事件を発見したのは、ロクスソルス社のファルス。駆けつけた女性官が現場検証を行ったところ、ナオミ様は頭部を
ウカは、表情を歪めながら先を続ける。
「そして、彼女はアリスの上司だった」
「アリスの上司?」
「ええ。アリスは正式な省員になる前から、ナオミ様の直属の女性官として働いていた。ナオミ様が殺害された日、アリスはナオミ様と一緒にロクスソルス社を訪れていたの」
「まさか、アリスが犯人だと? アリスはこんなことを――誰かを殺すようなことは絶対にしない」
僕が声を荒げると、ミケが「落ち着いてくれ」と宥める。
そして、彼はそのまま事件の概要を口にし始めた。
「事件当日、アリスはナオミ様と一緒にロクスソルス社を訪れていた。訪問理由はハダリ様にも伝えられておらず、二人は社の来賓室で何かの調査を行っていたと思われる。そして、その来賓室の中でナオミ様の殺害は起こった。ほぼ同時刻――スタンドアローンのサーバから〈マザーグース〉が盗まれた。ログ情報によるとナオミ様が発見されるまで間に、二人がいた来賓室に入ったものは誰もいない。そしてナオミ様が発見された時、君のオーナーであるアリスの姿はなかった」
続きを、ウカが引き継いで口にする。
「そしてアリスは、事件の日を境に姿を消した。その行方はまるでつかめず、今のところ手掛は何もない。そこで、私たちはあなたに協力を要請することにした」
そして、僕が再起動させられた。
アリスを見つけ出すために。
この事件の犯人として。
「これはこの街のためであると同時に、アリスのためでもあるの。あの子が無罪なら――私たちがそれを証明しなければならない」
アリスの上官が何者かによって殺害された。
事件当日、アリスは上官とロクスソルス社を訪れていた。
そしてロクスソルス社から〈マザーグース〉が盗まれた。
その日を境に――
アリスは行方不明。
全ての状況証拠がアリスの犯行を示し、証明しているように見えた。
まるで、アリスが犯人だと判決を下しているかのように。
だけど、僕はアリスが犯人だなんて微塵にも思わなかった。
アリスは、こんなことをするような女の子じゃない。
僕は、そう確信していた。
「突然に再起動させられて、色々分らないことばかりで戸惑うと思うけれど――実を言うと、私たちも戸惑っているの。このマーテルで殺人事件が起こるなんて数十年ぶりのことだし、犯人を捜索するなんてことも、まるで経験のないことだから」
ウカは、不安と恐れが混じったような表情で呟くようにそう言った。
「だから、あなたにアリスを見つけ出してほしいの。アリスが無罪なら――あなたにそれを証明してほしい」
ウカは、真っ直ぐに僕を見ていった。
妹を思う姉の表情で。
「わかりました。絶対にアリスを見つけ出します。僕が、アリスの無実を証明します」
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