第20話 部屋《ティーセット》

 

 アリスの部屋は、僕の思い出のままだった。

 あの頃から時間が止まってしまったみたいに。

 

 たくさんのぬいぐるみで溢れた女の子らしい部屋。

 まるで小さな動物園のような部屋。


 赤い絨毯も、ヴィクトリア朝の家具もティーセットも、天蓋付のベッドも――全てが思い出のまま。まるで、僕が帰ってきた時に戸惑ったりしないように、そっくりそのまま残してくれたみたいだった。唯一変っているところと言えばデジタル塗料の壁紙くらいで、それだってアリスがネットワークにアクセスすれば、いつだってあの頃のピンク色の部屋に戻ることができる。

 

 僕は思い出のに波に飲みこまれながら、心ここにあらずでアリスの部屋の中を物色した。

 アリスの居所に繋がりそうなものは、一切なかった。

 僕が機能停止させられた頃の部屋となんら変わっていない部屋の中は、残された物まであの頃のままのような気がした。クローゼットに残されていた衣類や、ソロリティの教科書、筆記用具などは新しく新調されていたけれど、それ以外はなにも変わっていない。


 部屋の中に残されていたプライベート端末にアクセスして、その中身を調べてみた。隠しファイルの有無などを探そうとしたけれど、それも空振りに終わった。端末に入っていたのは写真や動画、娯楽メディアなどで、そのどれもが無害なもの――小説やアニメなども、女性省が検閲を済ませている優しくて穏やかな娯楽メディアばかりだった。優しくて、穏やかで、健全な。


 写真は僕やウカとのものが多く、少ないけれど母親と撮ったものもあった。

 僕と出会う前の小さなアリスが、母親に抱かれて満面の笑みを浮かべている。

 僕は、いつだってアリスにこんな笑顔でいてほしいと思った。


「どうやら、この部屋にも手掛かりはないみたいだ。彼女は完璧なまでに、自分の身元に繋がりそうなものを消し去っている。この部屋ならどんな女性官が調査しても、彼女が公共を乱す存在だとは疑わないだろう」

 

 ミケが、両手をお手上げだと広げて続ける。


「おそらく、彼女は女性省に入省する前から、巧妙に計画を立てて自分の痕跡を消してきたのだろう。君を失ってからと仮定すると、八年間。君のオーナーは、自分の意志や思想を隠して公共の女性として振る舞ってきた。そんな彼女を探し出すのは容易じゃない」

 

 ミケは、八方塞がりと言わんばかりに額に手のひらを当てた。


「アリスが何かの事件に巻き込まれという可能性はない? アリス自身が公共を乱そうとか、ましてやデータを盗んだわけでなく、ただ誰かに利用されたとか? 脅されて仕方なくやったとか? そうすれば、アリスの行方の手掛かりが見つからないことだって頷けるんじゃ」

 

 僕は自分が支離滅裂なことを言っていると分っていたけれど、アリスのことを庇いたくてそう言った。それに、アリスがこの街を危険にさらすような事件を侵すわけがないと信じたかった。

 

 いや、この段階でも僕はそれを信じていたんだ。

 心の底から。


「残念だけど、アリスがこのマーテルの公共性に疑問をもっていたのは本当のことです。この街を変えたいと思っていたことも含めて」

 

 振り返ると、そこにはアリスの母親が――マルタが立っていた。

 

 彼女は、僕の記憶よりも少しやつれて見えた。

 その表情には、深いしわと濃い影が刻まれていた。炎のように燃えていた青い瞳はどこか凪いだ空のようで、金色の髪の毛には白いものが混じっている。黄色い制服と白いコートは完璧に着こなしてはいたが、その中の体が以前よりも衰え、やせ細っていることが見て取れた。


 僕は、ようやく八年という歳月を感じることができた。

 その重みを、ようやく思い知らされた。

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