第21話 母《マルタ》


「今思えば、あなたを廃棄処分にすると決定を下したことが全ての間違いだったのかもしれない」

 

 アリスの母親は、慣れた手つきで紅茶を入れながらそう呟いた。

 僕は、アリスがよく紅茶を入れてくれたことを思い出した。その手つきが、親子でそっくりだったから。


「ローズヒップティよ。あなたもどうぞ」

「ありがとうございます」

 

 リビングのソファーに向かい合って座った僕と彼女との間には、不思議な空気が流れていた。緊張感はあるけれど、それでも嫌な感じも棘のある感じもしなかった。

彼女が、僕を咎めようとしていないのはその様子から直ぐに分った。


 僕たちは二人きり。

 気を利かせてくれたミケは、外に停めた電気自動運転車オートエレカで待機をしていた。

 

 僕は、バラの香りのする血のように真っ赤な液体に視線を落した。


「私は、母親失格ね。いくら公共の母として優れていても、この街の慈母として尽くしてきたとしても――娘の気持ち一つ理解できていないのでは、正しい母とは言えないでしょうね」

 

 母親は、素直に苦悩を吐露した。

 誰に語るでもない独り言のように。


「アリスは、幼いころから少し変わった女の子だった。常識や公共というものを、素直に受け取ろうとはしなかった。なんにでも興味をもって、なんにでも疑問を抱いて、いつだって正しい答えを知りたがった。私は、いつもその答えをはぐらかしてしまった。どうして、この街には女性しかいないのか? どうして、この街には男性がいないのか? どうして――私たちは女性しか産むことができないのか? 全てをはぐらかして、この街で語られている通り一辺倒の、私は当たり障りのない回答に頼ってしまった。そしてあの子は、男性を強く求めていた。母親に代わる力強い存在を探していた。私がいつも家にいなくて、あの子に寂しい思いをさせていたせいね。だから、あの子はあなたを欲しがった。頼りない母親の代わりに」

 

 母親は、娘のことを思いながら紅茶を口に運んだ。

 その紅茶の味は、おそらくとても苦かっただろうと思った。

 過去と後悔の味がするだろうと。


「あなたを機能停止にしてから、私はできるだけ娘と一緒の時間を過ごした。あなたを――擬似男性ファルスを二度と必要しないように、私は娘と必死に向かい合おうとした。娘の話を良く聞いて、娘がどのような考えをもって、これからどのような女性になろうとしているのかを、理解しようとした。でも、その時には手遅れだった」

 

 母親は、声を震わせて続ける。

 僕は、ただ静かに彼女の言葉に耳を傾け続けた。


「私と娘との間には、大きな線が引かれてしまっていた。この街と外の世界を隔てる壁のように大きな線が。娘は、絶対に本心を語ってはくれなかった。表向きは穏やかに会話をして、笑顔で過ごしてはいても、その心に大きな嵐が渦巻いていることを、私は薄々気が付いていた。十六歳の誕生日を迎えた時――私は、あなたの存在をアリスに伝えた。アリスが望むなら、いつだってあなたと一緒に暮らすことができると。私には無理だったけれど、あなたならアリスの壁を壊すことができるんじゃないかと期待して。母親としては、本当に悔しくて情けない話だけれど。あなたのようなモノにすがるしかないなんて」

 

 母親は、モノである僕を見て心苦しそうに表情を歪めた。

 女性に尽くし奉仕するためだけの「ファルス」に――ただの性具に頼らなけれならなかったことへの苦悩が、歪んだ表情に色濃く浮かび上がっていた。


「でも、アリスはあなたを必要とはしなかった。アリスはもう何も必要とせず、ただ自分一人の世界に閉じ籠ってしまった。そして、十六歳になって女性省への入省が決まると同時に、この家を出て寮に入ってしまった。それからは、ほとんどこの家に寄りつかなくなった。顔も見せなくなって、あの子は女性省の仕事に励んだ。誰の目から見てもアリスは優秀で非の打ちどころがなかったけれど、まわりの女性官たちからはいつも浮いていて、なにを考えているのか分からないと恐れられていたわ。そして、上司である女性官を殺害して――」

 

 母親は、すでに娘の罪を認めているようだった。


「ナオミは、代表女性官としては若かったけれど、とても優秀な女性官だった。いずれこのマーテルで一番の慈母になると誰もが確信していた。そんな女性を、私の娘が――」

 

 彼女は、アリスが上司である女性官を――代表女性官を殺害したと決めつけていた。


「そして、ついには行方不明になってしまった。私の前から消えてしまった」

 

 母親は、泣いていた。

 自分の無力さに苛まれながら。

 

 僕は、とても心が苦しくなった。

 その涙を止めてあげたいと思った。


「アリスは、いつだってあなたのことを尊敬していました。誰よりも自慢の母親だって。いつか自分も女性省に入省して、あなたの、母親の仕事を手伝いたいって言っていました。そうすれば、あなたといつも一緒にいられると」

 

 僕がそう告げると、母親はさらに声を上げて泣いた。

 むせぶように。


「それに、まだアリスがやったと決まったわけじゃない。アリスが誰かを殺すなんて、僕は信じられない」


 母親は小さな希望に縋るように僕を見つめた。

 滲んだ青い瞳が僕を真っ直ぐに見つめてたけれど、彼女は僕を見つめてはいなかった。

 

 彼女は探していた。

 消えてしまった一人娘――アリスを。


「お願い、あの子を――アリスを見つけて」

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