第10話 マルタ《慈母》
厳粛な空気が満ちた白い部屋には、五人の女性が座っている。
艶のある白い壁に囲まれた正方形の空間。床には赤いカーペットが引かれ、女性省の
アリスの正面、一段高い席に座っている担当女性官は三名。少し離れた場所にはウカがいて、タブレット型の
僕は、アリスの直ぐ後ろに立った。
アリス以外の女性は、全員が黄色い制服に白いコート姿。まるで、崖の上でカモミールの花が三輪咲いているように見えた。
裁判官のように並んだ三人の女性官の内、左端の女性が厳かな声で調査の開廷を告げる。
「アリス013SA926777」
「はい」
アリスは、少しだけ緊張した声で返事をした。
〈女性だけの街〉には
「それでは、今回起きた事件――
「はい」
「まずは、その理由を述べなさい」
「はい。説明させていただきます――」
アリスは、事件の内容を事細かに説明しはじめた。
ウカからもらったサプリのおかげもあって、彼女はとても落ち着き払っていて、どのような質問に謙虚さと客観性をもって答えることができた。調査は長く続き、厳しい質問もいくつもあったけれど、アリスは一度も失敗をせず最後まで慎ましくお淑やかに、それを乗り切って見せた。模範的な公共の女性として。
「それでは、あなたは今回の件を反省し、今後、同級生たちにそのような野蛮な行いは二度としないと誓えますね」
「はい。誓います。今後、私は常に慈愛と慈悲の気持ちを持って同級生に接します。このマーテルの掲げる理念、『慈愛、慈悲、健康、優しさ、慎ましさ、穏やかさや、気高さ――それらは、全て女性らしさ』を体現する公共の女性になるよう、より一層の努力をします」
それを口にした瞬間に、今回の調査が成功を収めたことは誰の目にも明らかだった。
右端の女性が表情に穏やかさを取り戻して言う。
「よろしい。今回の件は、貴方の通う
僕は、ほっと胸を撫で下ろした。
これで、アリスが
すると、今まで黙っていた中央の女性の女性が口を開いた。
「アリス013SA926777に関しての調査は、これでいいでしょう」
その女性は、とても厳かで威厳のある
黒い肌に、金色の髪の毛。
堅牢な顔立ち。
瞳の中の青い炎がそっと揺らめき、アリスを静かに燃やす。
マルタ。
この〈女性推進委員会〉の
この街の慈母であり女神の一人。
女性という性の権化。
そして、アリスの母。
「直接の原因となった
「ママっ」
アリスは反射的にそう声を上げてしまった。
それが、この調査が始まって唯一の失敗だった。
アリスの母は、間違いなくアリスの動揺を誘うためにその言葉を口にした。アリスもそのことが分かったからこそ、直ぐに口を閉ざして悔しそうに肩を震わせた。
「口を慎みなさい。ここは、家庭ではないのですよ?」
「申し訳ありあません。マルタ代表女性官。でも、先程結論は出たはずです。これは私の犯した失態であって、私のファルスのせいではありません。ファルスを女学校に連れて行ってしまったことも含めて、全ては私の落ち度。私の罪です」
「そもそも、ファルスがいなければこんなことにはならなかった。違いますか?」
「それは――」
「あなたが同級生と距離を取ることも、同級生から不必要な注目を浴びることも、そして野蛮な暴力を振ることもあり得なかった。そうでしょう?」
アリスは反論を口にすることができず、押し黙ってしまう。
マルタは今の会話で、アリスの学校での態度や様子の全てを知っていると暗に示してみせた。今回起きた暴力行為から、そこに至る経緯まで全てを詳細に調査をしてあると。
「アリス、あなたが七歳の誕生日にファルスを購入してほしいといった時、私はしっかりと言い含めたはずですよ? 公共の女性らしさを失うことがないようにと。そして、この街の公共を乱すような過ちだけは犯さないようにと」
「家庭の話は、ここでは持ち込まないはずじゃあ」
アリスは弱々しく言う。
その声色はすでに敗北を悟っているような、そんな悲愴と絶望が混じっていた。
「これは、調査に必要な話です。あなたはモノであるファルスに、必要以上に感情を傾け過ぎた。それ自体は、公共の女性の持つべき慈愛と慈悲の為せる業です。ですが、いくらファルスがヒトのカタチをしていたとしても、所詮はモノ。それは、女性の性的生活と生殖を助けるだけの消耗品」
アリスの母であり、この街の慈母は僕を静かに見つめて続ける。
「あなたは未熟故に、そのことを忘れてしまった。ならば、そのファルスは処分するのが妥当でしょう? アリス、あなたが個人でファルスを所有するのは早すぎたのです。これは、それを許可してしまった私の落ち度でもある。あなたが成熟した公共の女性になった後、再びファルスを所有しなさい」
「ママっ、お願い。お願いします。私のファルスを、私の男の子を処分するなんて決定はやめて。それ以外なら、私はどんな罰でも受けます。セラピーでも、投薬でも、
アリスは、せいいっぱいに懇願した。
僕のために。
彼女は取り乱しそうになる気持ちなる必死に押さえつけて、泣き叫びそうになる感情に鞭を打って、何とかギリギリの冷静さを保って懇願し続けた。
「〈アダム〉」
アリスの母親が僕の名前を呼ぶ。その厳かすぎる慈母の声が、無慈悲に響き渡る。
小さなアリスを押し潰してしまうように。
そして、そのたった三文字のその名前が告げられると、真っ白な空間はそれまで以上の緊張感に包まれた。
一瞬の静寂が、アリスを粉々に砕いてしまうような沈黙を生んだ。
暴力的な静けさを。
その時、僕ははじめて自分の名前の意味を知った。
その名前に込められた罪のカタチを。
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