第9話 女性省《ウテルス》


 穏やかなピンク色で彩られた〈女性省〉の庁舎は、来訪者を祝福して歓迎しているように見えたけれど、アリスは今にも吐きそうな顔で口元に手を当てていた。


 庁舎の周りは一面の花畑で、色とりどりの花が咲き誇っている。

 並木道には遺伝子操作された〈桜〉と〈ミモザ〉が植えられ、もう春も過ぎたというのに散ることのない桜色と黄色の花びらを満開にさせている。遠くの花畑では太陽光を吸収して電力に変える〈ひまわり〉が、せいいっぱいに背伸びをしながら太陽にその顔を向けていた。


〈遺伝子操作ひまわり〉は、この「マーテル」の電力を支える発電システムの一つ。そして、花畑に咲く花たちは、全て景観を彩る以外に公共的な役割を持っている――土壌の汚染を浄化する〈バラ〉や〈ガーベラ〉、女性のストレスを取り除く匂いを放つ〈ラベンダー〉、害虫を駆除する〈マリーゴールド〉、そして街に溢れる〈常緑樹〉の全てが、適度な水素とイオンを放出して街全体の気温を調節している。


 花と緑に囲まれた自然都市の側面をもつ「マーテル」は、遺伝子操作技術と環境改変技術に支えられている。その先進的な技術力によって、この街の公共とインフラを保っている。


 女性省のある政治的な区画でもあり、多くの遺伝子工学や環境改変技術の研究施設や産業の置かれたこの区画は――「マーテル」の最も重要な地区であることから、女性の肉体で最も神聖な場所である子宮の名を冠して「子宮地区ウテルス」と呼ばれている。


 そして、その子宮の中心に「女性省」は置かれている。


 心臓ハートを象った大きなアーチ形の自動ドアの投影窓スクリーンには、聖マリアをモチーフとした美しい女神の映像が表示されていた。その女神の掲げる大きなフラッグには、女性省の紋章シンボルと、スローガン――この「マーテル」の理念モットーが大々的に表示されている。


 慈愛、慈悲、健康、優しさ、慎ましさ、穏やかさや、気高さ――

 それらは、全て女性らしさ。


 女性省の紋章シンボルは――ピンクのハートと、その中心にカモミールの花が掲げられたもの。アリスは僕の手を握ったまま、その紋章シンボル理念スローガンから目を背けるようにして庁舎の中に入って行った。まるで逃げるように。


 女性省の施設内は、完璧な白一色で統一されていた。

「マーテル」のほとんどの建物の内装は、基本的に白一色で統一されている。これは、ネットワークと常時接続しているデジタルナノ塗料が使われいることに起因する。コンピュータを通じて、いつでも壁や床を好みの色や模様に変更できるため、基本色は白色に設定されている。もちろん映像を流したりすることもできる。


 しかし、この施設の白さは。全ての飲みこんでしまいそうなほどに真っ白だった。デジタルナノ塗料では現すことができないような白さ。原初の白。そして白という色の概念そのもののような白さ。

 まるで、ヒトの骨のよう。


 アリスは、そんな白色に自分自身が塗りつぶされてしまうのではと恐れているみたいに体を震わせた。


「大丈夫?」


 僕が尋ねると、アリスは僕を見つめてぎこちない笑みを浮かべた。

 その表情が、僕の心を強く締めつけた。


「大丈夫よ。私の男の子」


 庁舎の待合室に置かれたピンクの椅子に腰を下ろして待っていると、黒い制服を着た「擬似男性ファルス」がやってきて僕たちを案内しはじめた。

 彼はとても礼儀正しく、とても洗練とされていた。


「君は、ずいぶん可愛らしいファルスだね?」

「あなたは、とても立派なファルスだ」

「ありがとう。君は、オーナーをとても大切にしているんだね。まるで、お姫さまの騎士みたいだ」

「僕は、アリスをとても大切に思っている。騎士のように守れたらって思うけれど難しいみたいだ」

「私たちにも、できないことはある」

 

 僕は、はじめて他の「ファルス」と会話をした。エレベーターに乗って最上階に向うわずかな時間の中で、僕たちは簡単な世間話を交わした。

 

 一目見て、彼が特別仕立てオートクチュールだということが分かった。少し長めの黒髪に、つくりこまれた端正な顔立ち。筋の通った鼻は高く、瞳は翡翠色。一八〇センチを超える長身に、完璧に仕立てられた黒いスーツ。

 全てが特注品のような「ファルス」だった。


 僕は、彼に好感のようなものを抱いた。彼は、ハンサムな笑顔を僕に向けてくれた。それがとても嬉しかった。アリスは、そんな「ファルス」同士の他愛の無い会話を見て少しだけ落ち着きを取り戻したみたいだった。

 エレベーターの扉が開くと、そこには一人の女性が立っていた。


「アリス」

「お姉さま?」

 

 長い黒髪の女性がいきなりアリスに抱きついて、その頭を撫でた。

 アリスよりも、頭一つ分大きな女性。女性省の胸章シンボルのついた黄色い制服に白いコートを着た女性は、僕も良く知る女性だった。僕の隣に立った長身の「ファルス」が、僕にだけ聞こえる声で「彼女が、私のオーナーだ」と教えてくれた。


 ウカ。


 アリスの家の近所に住んでいる同じ女学校ソロリティに通う女性で、としはアリスよりも六つ上。これまで度々アリスの家に遊びに来たり、二人でお茶会に出かけたりしていたので、僕とはすでに面識があった。

 現在は十六歳で、高等部エルダーに通っているはずだった。


「アリス、大丈夫よ。私が守ってあげるわ」

「お姉さま、どうしてここへ?」

「私、今は女性省でお手伝いをしているの。すでに女性官の資格は取得していて、来年には入省するつもりなのよ」

「来年? 女学校ソロリティを卒業ですものね。おめでとうございます」

「ありがとう。大学カレッジに通いながらの入省だから、正式な女性省員になるのはもうしばらく先だと思うんだけど」

 

 ウカは、穏やかな微笑を浮かべながらアリスの頬を撫でた。アリスが「お姉さま」と呼んで慕うように、彼女は実の妹に接するようにアリスに寄り添った。

 

 彼女たちが通っている女学校ソロリティは、姉妹という意味の名のもつ通り――その校風は、上級生が姉のように導き、下級生が妹のように慕うというもの。そして、互いに手を取り合い、携えながら姉妹のように学園生活を送るということを理念としている。

 そのため、下級生は上級生のことを「お姉さま」と呼んで慕うのが習慣となっている。


 だけど、アリスが「お姉さま」と呼んで慕うのはウカだけだった。

 ウカは、アリス以上によくできた優秀な生徒で、出来すぎたくらいの優等生だったので、アリスが憧れて「お姉さま」と呼ぶのも頷けた。

 

 アリスから鋭さだけをとったような、そんな女性だった。

 ウカは僕のほうをちらりと見ると、困ったように表情を硬くした。


女学校ソロリティでの話は聞いたわ。少し困ったことになったわね? 私はアリスが全面的に悪いとは思わないけれど、暴力を振るったことだけは擁護できない。不味かったし、軽率だったわね」

 

 ウカにそう言われると、アリスは表情を曇らせて俯いた。

 姉に叱られた妹の顔で、しゅんとなる。


「はい。感情的になってしまいました。自分でもこんなに怒ったことははじめてで、自分をコントロールできませんでした」

「あなたは、昔から情熱的な女の子だったものね? 感情豊かなのはいいけれど、それをコントロールできないようでは、公共の女性とは言えないわ。反省なさい」

「はい」

 

 意気消沈したアリスを見て、僕は激しい劣等感を抱いた。僕のせいで僕のオーナーが、僕の大切な女の子が傷つき、そしてこれから罰を与えられようとしている。


 僕は自分が無価値な存在に思えて、今直ぐこの世界から消えてしまいたかった。


「アリス、顔を上げて」

 

 アリスは、そっと顔を上げた。

 ウカはアリスの額に自分の額を当てて、にっこりと笑ってみせる、


「大丈夫。さっき、私があなたを守ってあげるって言ったでしょう? 今回の調査に私は書記官として参加するから、上手くあなたをサポートしてあげるわ。療養機関サナトリウムに入院させられて、サプリ漬けの治療を受けるなんてことにはならないから安心しなさい」

「はい、お姉さま。ありがとうございます」

 

 アリスは少しだけ元気を取り戻して、ぎこちなく笑ってみせた。


「良い子ね。それじゃあ、これを飲んでからゆっくりといらっしゃい。気持ちを落ち着けるテアニンサプリよ」

 

 ウカは、アリスに錠剤サプリの入ったピルケースを渡すと、アリスの頬に唇を当てて去って行った。頬へのキスは、この〈女性だけの街〉の最上級の愛情表現で、アリスは女性からのキスをウカからのみ受けつけていた。


 例外を上げれば、彼女の母親からのキスも。

 しかし、アリスが彼女たちにキスを返すことはなかった。

 

 廊下の先の扉にウカと彼女の「ファルス」が消えると、アリスはピルケースの中のサプリを一つのみ込んだ。そして、ぐったりと疲れた顔に覇気を取り戻して、ゆっくりと廊下を歩いて行った。


「アダム、行きましょう」

 

 アリスは、しっかりと僕の名前を呼んだ。

 小さな胸に刻み付けるみたいに。

 

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