第8話 公共《マリアイズム》
この女性だけの街「マーテル」では、ありとあらゆる暴力が禁止され嫌悪の対象とされている。
身体的、
精神的、
経済的、
社会的、
性的、
ありとあらゆる暴力や、それに付随する行為が――この「マーテル」では最大の罪。
暴力とは男性性の象徴であり、危険で野蛮な男性と同一の存在に落ちる行為。
すなわち、堕落とされている。
つまり、女性の敵。
「マーテル」のいう
「マーテル」の公共性を守る思想や理念とは――
かつて聖母マリアと呼ばれ、世界最大の宗教を起こした神の子を生んだ母の教えを基礎として発展させたものと言われている。
女性とは――
常に慈愛に満ち、
穏やかで、
優しく、
健やかで、
気高く、
慎ましくあれ、
という考え方。
全ての女性が慈愛に満ちた慈母となること。
全ての女性が、全ての女性の母となり――この街の公共を守り、維持し、未来に繋げること。
それを侵す女性は、女性省の〈女性推進委員会〉の調査にかけられる。
暴力を受けた女の子たちは、すぐさま医療機関に搬送されて治療を受けることとなった。その後の、精神科医がカウンセリングを行い、セラピーと薬物によるトラウマの除去とメンタルケアが行われることに。暴力を目撃してしまった生徒たちは、自宅に派遣された精神科医のセラピーを受け、暴力の話を聞いただけの生徒までもが
アリスは停学処分を受けて自宅謹慎となり、精神科医がセラピーと投薬による治療を行い精神的に落ち着いたのち、女性推進委員会の調査を受けることに。一週間ほどで回復をしたアリスは、いつも通り白い制服を完璧に着こなし、僕を連れて女性推進委員会のある女性省の庁舎に向かった。
アリスは、移動手段に多くの女性たちが使用する
〈
とくにこの〈日本〉では、満員電車と呼ばれる乗車率が優に百パーセントを超える時間帯があり、その時間帯は痴漢と呼ばれる犯罪の
鉄道会社は痴漢の対策として〈女性専用車両〉という女性だけが乗車することのできる車両を用意したが、危険で野蛮な男性たちはそんな対応策にも反発や抗議を行い、無理やり女性専用車両に乗車しては、女性たちを怯えさせたという。
「マーテル」の鉄道会社はそのように発表してアナウンスをしている。過去の悲惨な歴史を、悲劇を忘れないためにと。
そして、そんな悲劇の時代は過ぎ去り、危険で野蛮な男性がいなくなった現在、女性たちの多くは喜んで電車に――〈女性だけの街〉の公共移動手段である
車両はいつもカラフルにラッピングされ、車内はポップな音楽によって常に楽しげなムードが保たれている。車内の窓は全て投影スクリーンになっていて、好みの映像や動画を楽しむことができる。そしてそれだけなく、車両には喫茶店や洋服屋、雑貨店などがテナントとして入っていて、移動式のショッピングモールとしても利用できる。
女性たちの多くは、どこに行くわけでもなく
だけど、アリスはそんな公共の乗り物を嫌った。
「あんなせま苦しいところでワイワイ騒いでいるなんて、どうかしてるわ。それに、車内でお茶会なんてバカみたい。充満した香水や制汗剤の匂いで吐きそうよ。お茶の味が台無しだわ」
以前、僕と一緒に外に出掛けた時、そんなふうに吐き捨てていた。
だから、アリスは
それは、マシュマロを大きくしたような白い自動車。誰でも無料で利用することができ、自動で目的地に連れて行ってくれる〈女性だけの街〉のもう一つの公共の乗り物。車内にも着飾ったところがなく、無個性で無装飾というのがアリスのお眼鏡にかなっていた。
アリスは僕の手をギュッと握ったまま、無言で窓の外を眺めている。
これから向かう場所に不快感を覚え、できることならば会いたくない人物に会わなければならないことに、強いストレスを感じていた。しかし、車の窓ガラスにはネットワークを通じて取得した最新のニュースが流れていて、アリスはうんざりした顔でそれをうっとうしそうに消した。
『最年少代表女性官の誕生』
『「マーテル」の出生率が三年連続で低下』
『〈ロクスソルス社〉による最新型「
『遺伝子組み換え植物によるネットワーク中継局の通信速度高速化に成功』
など、確かにどのニュースも今はどうでも良いニュースばかりだった。
僕は、アリスに何か声をかけてあげたかった。安心させて、元気づけたかった。しかし、彼女がそれを求めていないことが、その複雑な表情を見れば手に取るように理解できた。アリスは今、孤独を求めていた。
だから、ただ彼女とは反対の窓の外を眺め続けた。
窓の外は真っ白な建物が連なり――時々、ピンク、イエロー、パープル、オレンジといったパステルカラーの建物が現れる。建物の多くが丸みを帯びた柔らかい雰囲気の建物で、まるで色のついた綿菓子やマシュマロ、マカロンのように見えた。
街全体を空から
女性らしく、かわいらしく、気品高く、楽しげ。
そんなテーマで街全体が統一されている。
アリスに感想を尋ねれば、間違いなく趣味が悪いとか、下らないセンスの押しつけだなんて言い放ったと思う。前に街の景観についての批判を、三時間ばかり聞かされたことがあった。
真っ白な道路の脇では、清掃ロボットが街の清掃に勤しみ、それを補佐する数体の「
違ってるのは、着ている制服だけ。
オーナーによっては髪の毛の色を変えたり、目の色や肌の色を変えたりしていたけれど、だいたいの「ファルス」は出荷時のまま。
透き通るほどに真っ白な髪。
血のように赤い瞳。
大理石のように白く艶やかな肌。
オートクチュールを除く全ての「ファルス」が、基本的にこの外見で規格統一されている。
俗に言う〈マーテル規格〉と呼ばれるカタチ。
何故、白い髪に赤い瞳、さらには病的なまでに白い肌なのかは説明されておらず、「SHI」メーカーである〈ロクスソルス社〉のホームページやカタログにも記載されてはいなかった。
一説には、それが世界でも最も差別されたヒトの姿なのだと言われており、多くの女性たちはそれを信じていた。慈愛に満ちた慈母たる女性たちは、そんな世界で一番差別されたヒトのカタチを受け入れることで、男性の罪を許そうとしたのだと。
僕は、形だけの運転席に取り付けられたバックミラーをふと眺める。
そこには、雪をかぶったように真っ白な髪の毛と、入れたての紅茶のように赤い瞳をもったあどけない少年の顔があった。
まるで
女性と男性は――もともと対照的な存在。
もしかしたら、これが正しい形なのかもしれないと思った。
もちろん、僕はたんなるモノでしかないけれど。
ヒトとモノ。
女性と「ファルス」。
その差異は限りなく果てしない。
僕は、そう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます