第25話 ファムファタール《アヘン窟》

 案内されたのは開かれた奥の広間で、僕と女主人は赤いソファーの上に腰を掛けて向かい合った。


 女主人の座るソファーはクイーンサイズのベッドよりも大きく、穴に落ちたように深く沈む彼女を優しく包み込んでいる。広間は円形のフロアになっていて、車輪のハブのように様々な部屋へと繋がっているみたいだった。

 遠くのほうから女性の激しい喘ぎ声が聞こえてくる。それも一人や二人ではない。ここがセックスをするための、一種のプレイルームのような場所だということは直ぐに理解できた。


 上半身が裸で黒革のパンツを履いた擬似男性ファルスたちが、各部屋のドアの前で立っている。おそらく今夜、自分を買ってくれる客が来るのを待っているのだろう。驚いたことに、ドアの前には女性たちも立っていて、彼女たちは不思議な衣装を身に着け、薄い布で顔を覆っている。

 誰も立っていない部屋もあり、その部屋は使用中か、僕の提示した女性省のIDを見て逃げ出してしまった女性の部屋なのだろうと思った。


「私は、マダム大夫だゆう。マダムと呼びな。ここじゃあ、みんなそう呼ぶ」

 

 マダム大夫と名乗った女主人は、パイプのようなものを口元に運びながらぶっきらぼうに言う。彼女の分厚い紅の引かれた唇の端から甘ったるい煙がこぼれ、本当にアヘンを吸っているみたいだと思った。

 

 マダム大夫。

 僕は、彼女の個人情報と公共記録にアクセスをした。

 本名は、アグネス。

 公共番号は045BC281511。


「はじめまして、マダム。ここは性を――セックスを売りにしている店なんですか?」

 

 僕は本題に入らず、気になっていることを尋ねた。

 正直なところ、このファムファタールは僕の理解を越えて過ぎていて、何もかもが分らないことだらけだった。


「違うね。ここは、非日常を売りにしている店なんだよ。日常に飽き飽きしている女たちに、一夜限りの夢を売るんだ」

「非日常? 一夜限りの夢を売る?」

 

 意味が分からなかった。


「この〈女性だけの街〉が求める公共性やモラルは、高すぎるんだ。いくら上等な教育、上等な生活、上等な環境を用意されたって、そんなもんに適応できる女性は、ごく一部のクソインテリ共だけだ。誰もが公共性の高い女性に――慈母や聖母になれるわけじゃない。正論を掲げて女性たちを縛り付けたって、心の中までは縛れないんだよ。女性省に無理やり押し付けられる時代遅れの女性観にうんざりしている女性たちが、この街には数えきれないほどいるってことだね」

 

 マダムは、しゃがれた声をカエルのようにならして続ける。


「だから、このマーテル最南端の〈足の裏プランタ〉は、そんな女性たちが息を抜いて、本音をさらけ出せる唯一の場所として機能しているんだよ。聖母主義マリアイズムなんていう、馬鹿みたいなカタチの洋服――女性観を脱ぎ捨てて、この街が求める女性じゃなくて、個人になれる唯一の場所なんだよ。この足の裏そのものが、マーテルにとっての非日常なのさ。このファムファタールは、そんな女性たちに一夜の夢を売る遊園地テーマパークみたいなものだね」

「じゃあ、女性たちが働いているのは?」

 

 僕は、ドアの前に立つ女性たちを見て言った。


「こういった場所で働くのも非日常の一種なんだよ」

「性を売りにするのは、〈性別離ディボース〉以前の奴隷的な行為なのでは? 女性たちは危険で野蛮な男性たちに売られたり、騙されたりして、仕方なく体を売って性的に搾取され、消費されていたのでは?」

 

 僕は、アリスとの会話を思い出した。

 僕の目的から言えば、この会話自体にはまるで意味がなかったけれど、僕はこの街のことを、そしてこのファムファタールのことを知りたいと思った。

 アリスが知りたいと思っていた本当の性の話を。


「知ったような口を利くんじゃないよ」

 

 マダムは忌々いまいましそうに煙を吹きつけて鼻を鳴らす。


「いいかい、坊や?〈性別離ディボース〉以前は、たしかに多くの女性たちが性的に搾取され消費されていた。援助交際、売春、児童ポルノ、人身売買といった、口にするのも悍ましい犯罪が横行していた」

「僕もそのように聞いています。女性たちの多くが、男性によってひどい目に合っていたと」

「だからとって、性的なサービスをする女性の全てが、搾取され消費されてきたわけじゃないんだよ。体を売る仕事――いわゆる娼婦が合法的に認められた国も多い。もちろん好きでやっていた女性ばかりじゃないだろう。仕方なくそんな仕事に就いていたって女性だって多いよ。それでも、娼婦は世界最古の職業なんて言われている歴史ある聖なる職業だった。あの子たちを見てみな――」

 

 僕は指さされた方向、扉の前に立つ女性たちに視線を向けた。


「花魁、芸者、舞妓、婦警、スチュワーデス、ナース、メイド、レースクイーン、アイドル、女王様」

 

 様々な衣装を着た女性たちを、マダムは指をして紹介する。


「これらはかつて女性だけの仕事として、数多くの女性たちが誇りをもって尽くしてきた仕事なんだよ」

「これが、女性の仕事?」

 

 不思議な服を着るのが仕事なのだろうか?

 それとも、この衣装を着て何かの作業に従事していたのだろうか?


「どれも、立派な仕事だよ。この街じゃ廃止されて、検閲や規制ゾーニングの対象として認めらてないけどね。このファムファタールじゃ、そんな衣装を着て一夜の夢を見ることができるのさ。何をしたっていいんだ。もちろん、セックスをしたっていい。女同士でも、擬似男性ファルスとでも、複数でもね。ファルス同士でやってるのを鑑賞して楽しむ女性だっている」

「ファルス同士で?」

 

 僕は、本当に意味が分からなくてその言葉を繰り返した。

 僕たちが「ファルス」同士で性的行為をしているのを見ることの、何が楽しいのだろうか? そもそも、「ファルス」同士の性的行為とはどういったものなのだろうか? それにいったいなんの意味があるのか。


「まぁ、最近じゃ不妊に悩む女性も増えたからね。単純に生殖を目的に訪れる女性も多いよ。自分が購入したファルスとの相性が悪いんじゃないかって、たくさんのファルスで試してるんだ。子供の数も減っているし、若い子たちにはぼこぼこ子供を産んでもらいたいもんだね。私みたいに、子供産まないっていう選択も良いもんだけどね」


 僕は、この「マーテル」が少子化という問題を抱えていることを思い出した。

 八年前、アリスと女性省に向った電気自動運転車オートエレカの中でも、そんなニュースが流れていたことがあった。


「あんたみたいな可愛い顔の男は人気なんだよ。良かったらうちで雇ってやろうかい? 女の格好をさせるのもを悪くないねえ」

 

 マダムは意地の悪い笑みを浮かべて言う。

 僕に女性の格好をさせる?

 理解の出来ない世界だった。


「まぁ、性的趣向っていうのは多様なものなんだよ。客の数だけ好みや欲望がある。それに、セックスじゃない楽しみだっていくらでもある。自分の好きなように、自分らしく振る舞えるってことさ。そして、一夜限りの素敵な夢を見たらまたクソみたいな一日が始まる。押し付けられた公共の女性という衣装を着て、彼女たちは日常に帰っていくんだよ」

「なるほど」

 

 僕は、〈性別離ディボース〉以前の女性の仕事のあり方を知って驚いた。

 過去に数多くの女性が、誇りを持って様々な職業についていた言う事実をアリスに伝えてあげたいと思った。女性たちが、ただ搾取され消費されいただけじゃないと知らせたかった。


「このマーテルは、もともと女性たちが自由に生きることができる街だったんだよ。〈性別離ディボース〉以前に押し付けられていた、女性らしらや、女性はこうあるべき、なんて下らない女性観を捨て去って、女性たちが好きなように生きることができる街だった。全ての女性を、女性という性から解放する――そんな理想や理念のもとに、この街ができたはずだった。それなのに、いつの間にか公共の女性なんて下らない価値観ができちまった。聖母主義マリアイズムなんていう、クソみたいな理念が出来ちまった。公共の女性らしく振る舞わない女性は、女性として相応しくないと烙印を押されるようになっちまった。やだね。やだね。これじゃあ。壁の外と何ら変わらないよ」

 

 マダムは大きく首を横に振って重すぎる溜息をついた。


「そもそも、性別っていうものは男女なんて簡単に分けられるものじゃないんだよ」

「性別は男女で分けられるものじゃない?」

 

 僕はマダムの言葉に大きな衝撃を受けた。

 女性と男性以外にも、性別があるというのだろうか?


「〈性別離ディボース〉以前の世界は、そりゃひどい世界だったって話だけど、それでも多様性に溢れていたんだよ」

「多様性?」

「例えば、女性なのに男性として振る舞う女性。男性なのに女性になろうとする男性。女性の体で男性の心を持っていたり。男性の体で女性の心を持っていたり。女性なのに女性を愛したり。男性なのに男性を愛したり。そうなふうに、簡単に男女で分けることができない多様性があった。性っていうものは――簡単に白黒つけられるものじゃない。私はそう思うね」

「女性なのに男性? 男性なのに女性? そんなヒトたちが」

「そういうヒトたちは、ずいぶんと生きづらい思いをしてきただろうけどね。障害だの、病気だの、特殊だのってレッテルを張られて――少数派マイノリティとして切り捨てられてきたんだろうよ。容易に想像がつくよ。ヒトっていうのはね、基本的に自分と違うものを理解できないものなんだよ。理解するよりも先に排除しようとしちまうもんなんだ。そのほうが簡単だからね」

 

 切り捨てられてきた少数のヒトたちを思うように、マダムは声を震わせて言った。

 そして、大きく手を叩いた。

 この話しはこれで終わりだと暗に示すように。

 

 僕は今知ったばかりの〈性別離ディボース〉以前の世界の話を、どのように受け止めればいいのか分らなかった。

 多様性と呼ばれるものを、どのように解釈したらいいのか分からなかった。女性と男性に分けることができない様々なヒトのカタチとは、いったいなんなんだろうと思った。

 理解できないことばかりだ。

 けれど、それでもその話を聞けて良かったと思った。


「貴重なお話しありがとうございます。この場所がマーテルにとって必要な場所だってことはよく分りました。この場所は、女性たちにとってある種の救いなんですね」

 

 僕は、素直に思ったことを口にした。

 マダムの話を聞いているうちに、僕はマダムに好感を持っていることに気がついた。まるでアリスと話しているような、そんな懐かしい気分にもなっていた。

 おそらく、アリスとマダムはとても気が合うとだろうと思った。


「まぁ、坊やに分かってもらったところでどうしようもないけれどね。〈女性推進委員会〉や〈女性倫理委員会〉の堅物どもに分かってもらいたいもんだよ。あんたらの省に、うちの顧客がどれだけいるのかリストにして見せてやりたいくらいさ。おそらく、度肝を抜かして代表女性官様たちががひっくり返ると思うけどね」

 

 マダムは、嫌味っぽく言って煙を吐き出した。


「それで、あんたはいったい何をしに来たんだい? まさか、私の愚痴を聞きにきたってわけじゃないんだろう?」

 

 マダムは僕の話を聞いてくれる気になったのか、めんどうくさそうに本題を促した。彼女がとても優しい女性なんだということが、これでもかというくらい伝わってきた。


「はい。実はある女性を探しているんです。この女性なんですけど」

 

 僕は、アリスの幼い頃の写真をホロに映した。

 成長したアリスの写真は一枚も記録に残っていなかったので、仕方なく十歳の頃の白い制服を着たアリスの写真を見せる。


「これは、アリスかい?」

 

 僕は、マダムの言葉に驚いた。


「アリスを知っているんですか?」

 

 僕は慌てて尋ねる。


「知っているもなにも、うちで働いていたよ」

「アリスがこのファムファタールで?」

 

 僕はようやく手掛かりを手に入れた。

 アリスにたどり着くための手掛かりを。

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