第26話 女主人《マダム》

「アリスは不思議な子だったね。まだ十二歳の小娘のくせにうちの店にやって来て、雑用でもなんでもいいから働かせて欲しいときたもんだよ」

 

 マダムは、ゆっくりとアリスの話をはじめた。

 僕は静かにその話に耳をすませる。


「最初の頃は、まともに相手もせずに追い返していたんだけれど、その小娘は次の日もやってきた。その次の日も、その次の日も、そのまた次の日もやってきた。とにかくしつこい子だったよ。野良猫よりもしつこい子さね」

 

 僕は、アリスの頑なさ意固地を思い出して苦笑いを浮かべそうになった。

 アリスは、一度決めたら絶対に梃子でも動かないし、意地でも諦めない。

 そんな直向き過ぎる女の子だったんだ。


「私は、働かせてくれるまで毎日来るわ、絶対に諦めない――なんて宣言するものだから、ついに根負けした私は、その小娘を掃除係として雇ってやったよ」

「掃除係?」

「うちの擬似男性ファルスや掃除ロボで事足りるような、一番きつくて汚い仕事を与えてやった。トイレ掃除なんて生ぬるいね。プレイ後のベッドメイクとか、吐瀉物の始末とか、さらにきつーい仕事をね。どうせ、三日ともたずに辞めるだろうと思ったらね。でも、驚いたことにあの小娘は一月経ってもやめないときたもんだ。だから、仕方なく正式に採用して働いてもらったよ」

「正式に採用って、アリスはどんな仕事を?」

 

 僕は、それを聞くのが怖かった。

 アリスが、僕以外の誰かと性的な関係になっていると知るのが恐ろしかった。この感情がいったいどういう意味を持つ感情なのか分らなかったけれど、僕はこの名前の無い感情にものすごい不快感を感じていた。それは、怒りにも似たような気持ちだった。

 マダムの答えを待つ間、僕の胸はずっと強く締めつけられていた。

 息をするのも苦しかった。


「安心をし。まさか、未成年の小娘にセックスなんかさせるわけないだろう? まぁ、セックス自体は何度も目撃しただろうけど、一度だって手を出させちゃいないよ」

 

 マダムは、僕を気遣うように言って続ける。

 その顔は、とても優しい母の顔になっていた。


「あの子はずいぶんと賢い子だったからね、私の仕事の手伝いをさせたよ。秘書かマネージャーみたいなもんだね。売り上げの管理、従業員のシフト作り、顧客のリストの作成、フロアイベントの仕切りなんかをやってもらってたね。うちのDJともずいぶん親しくなっていたよ」

 

 僕は静かに安堵の息を吐いていた。

 少しだけ心が軽くなるのを感じた。

 アリスが誰とも性行為をしていないということが、とても嬉しかった。


「そのうちどこで覚えてきたのか、あの子はログ情報の改竄や、女性省に目をつけられない支払方法なんかを考案しはじめた。この店のシステムは、全部あの子が構築したようなもんだ。たいしたもんだよ、全く。あの子のおかげでうちの客は五倍に増えた。フロアの改築だってしたし、新しいサービスもたくさんはじめた。本当はこれから先もうちで働いて欲しかったけどね、でもあの子にはあの子将来がある。十六歳になって女性省への入省と同時に、うちとはきっぱり縁を切って顔も見せなくなったよ。今じゃすっかり偉くなっているもんだと思ったけど、行方を捜しっているってどういうことだい?」

 

 マダムは表情を厳しくて尋ねた。


「分かりません。ただ、突然行方不明になったんです。女性省はアリスの行方を捜しています。この店に手掛かりがあるんじゃないかと思ったんですが」

「残念だけど、私はアリスの行方には心当たりがないね」

 

 マダムは力なく首を横に降る。

 その深い皺の刻まれた表情には、まるでわが娘を心配するように、アリスを強く思う気持ちが色濃く浮かんでいた。


「だけど、嫌な匂いがプンプンするよ? あの子は、私なんかよりもこの街と女性省の考え方を嫌っていたからね。危険なことに巻き込まれてなければいいんだけれど」

「僕も、アリスのことが心配です。今どこで何をしているのか?」

「あもしかしてあんた、アリスのファルスかい? あの子はファルスを持たない主義だった気がするけれど」

 

 僕が、マダムのその問いに何て答えたらいいのか分からずに黙ったままでいると、彼女は何かを察したように頷いた。


「言いたくないなら言わなくていいさ。私は人の話を無理やり聞き出すっていうのが、大嫌いなんだ。それがファルスだとしてもね。あんたたちは、確かにモノとしてつくられた。けど、感情も意志もある個人なんだ。女性優先機構レディファーストのせいで、多少歪ませられているけれどね。あんたのその表情を見れば、それがシステムによるものか、そうじゃないのかは一目瞭然だよ。ずいぶん、大切にされてきたんだね?」

 

 マダムのその言葉に、僕は泣きそうになっていた。


「知っているかい? この国には昔から八百万やおよろず付喪神つくもがみって考え方があるんだ。大切に使ったものには魂が宿って、いずれ神さまになるんだよ。うちで働く男の子たちも、あんたくらい立派な魂が入ってくれると良いんだけどね」

 

 扉に立つ無表情な「ファルス」たちを眺めるマダムの顔は、とても優しい母親そのものだった。

 僕が知っている誰よりも優しい母の顔だった。

 まるで、本当の慈母のように。



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