第34話 ロボット三原則《レディファースト》
「私たち〈SHI〉は、何重にも安全装置がかけられて出荷される。それはヒューマノイドが誕生する以前の話――物語や空想の時代から考えられてきた我々への対策だ。人類はヒューマノイドやロボットに支配されることを、いつだって強く恐れていた。最初期のSF作家は、ヒューマイノド――ロボットが人間に危害を加えないために、『ロボット三原則』なるものを考案した」
「『ロボット三原則』?」
ミケは「ロボット三原則」と呼ばれるものを、指を折りながら丁寧に説明する。
第一条。
ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条。
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条。
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
「〈SHI〉の場合は、〈
「〈
僕は、僕たちの母であるハダリが、僕に説明しようとした〈
でも、今はそれを知る必要があった。
アリスの無実を証明するために。
「〈
ミケは〈
「〈
「意識への刷り込み?」
「インプリンティングと呼ばれる技術で、我々〈SHI〉の意識の深層に女性に危害を加えてはいけないと強く刷り込む。我々が、自分たちを女性の性的生活及び生殖のための存在材であると強く認識するのは、この刷り込みによるところが大きい。これが、第一の機構」
ミケは指を一本立てた。
「第二の機構は、我々ファルスは、女性の発するフェロモンやホルモンに反応して、脳内物質やストレスホルモンを過剰に分泌するよう製造されているということだ。人類を含めた多くの生物は、異性の発するフェロモンに反応するようにできており、それらは同種の他の個体に一定の行動を促すことができるとされている。例えば性フェロモンなら、生殖が可能になったことを他の個体に対して示し、警報フェロモンなら他の個体に外敵の存在を伝える。我々も遺伝子操作によって、異性のフェロモンを過敏に感知できるように製造され、それによって女性を優先するという行動を促される」
ミケは二つ目の指を立てた。
「そして、最後の機構は――何故、我々がオーナー登録された女性を全てにおいて優先し、オーナーに絶対の服従をするのかということだ。我々はオーナーのもとに出荷されるとき、オーナーの遺伝子情報の一部を組み込まれる。それが、オーナーのフェロモン情報だ。我々はそのフェロモン情報を受け取ることによって、大量の愛情ホルモン――オキシトシンなどの生理活性物質を分泌するように設計されている。つまり、我々はオーナーに対して無条件の愛情を抱くように造られている。そういことだ」
ミケは三つ目の指を立てた。
「この三つの機構が〈
確かに、この〈
僕たちは何重にもかけられた枷によって、女性に危害を加えることができないように設計されている。
それは完璧な設計に思えた。
「ファルス以外の女性官がいたという可能性は? そもそも、女性省の出すデータ自体が信用できるものだという証拠は?」
さらに食い下がって尋ねると、ミケはやれやれと首を横に振って見せた。
「それを議論し出せば堂々巡りになってしまうだろう」
確かに、僕はただの言いがかりをつけている。
水掛け論にしかならない議論を持ちかけている。
「私は女性省やロクスソルス社の全てのデータ、今回の事件の捜査記録を全て君に開示しても構わない。しかし、それを見ても君は納得はしないだろう。だが、それも仕方のないことだ。君はオーナーを守るために――アリスを擁護することを止めないからだ。それこそが〈
僕は、考えた。
僕がアリスを庇い続け、彼女の無罪を証明しようとしているのは――彼女の犯行を否定し続けるのは、アリスが僕のオーナーだからなのだろうか?
僕の中に組み込まれた〈
僕には、どうしてもそうは思えなかった。
僕はアリスのことが大切だし、アリスのことが大好きだ。
はじめてこのマテリアルな目でアリスを映した瞬間から、アリスは僕の特別な女の子――たった一人の女の子だった。
僕に、アダムという名前をつけてくれた女の子。
僕のことを、私の男の子と呼んでくれる女の子。
僕の、たった一人のオーナー。
アリス。
しかし、それすらも僕の中に組み込まれた数々の機構のせいなのだろうか?
刷り込みと呼ばれる技術。
女性のフェロモンを感知するように遺伝子操作された
オーナーのフェロモン情報を組み込まれ、それを感知することによって大量の愛情ホルモンを分泌するよう――オーナーに愛情を抱くように仕組まれた機構。
僕はそれらの機構によって、アリスを愛するように仕向けられているのだろうか?
全ては、〈
僕は、自分のことが分からなくなりはじめていた。
それでも、アリスへの思いが消えることはまるでなかった。
その思いだけは、僕の胸の奥で輝いている。
眩いくらい。
黄金の昼下がりのように。
「僕に何か手伝えることがあるのか?」
僕が尋ねると、ミケは小さく首を横に振った。
「残念ながら。実を言うと、今日は君の廃棄処分が決まったことを伝えにきたんだ」
「廃棄処分?」
「ああ。君から引き出せる情報は全て引き出せたと、女性省は判断した。
「彼女たちは関係ない」
僕は、マダムやシズカのことを考えて胸が痛くなった。
僕のせいで彼女たちが危険にさらされるかもしれないと思うと、僕は自分が許せなかった。僕一人が捕まり、廃棄処分にされる分には構わない。だけど、彼女たちの居場所が奪われるのかもしれないと思うと、僕はたまらなくなった。
自分の無力さや、情けなさ、愚かさを呪いたくなった。
彼女たちは、自分たちが自分らしく生きていける場所を必死に守っているだけだ。それが、たまたま女性省の定める公共に当てはまらなかったというだけ。
「安心してくれ。今直ぐに足の裏や違法営業クラブをどうにかしようとは、女性省も考えていない。我々は、アリス以外にも多くの問題を抱えている。そのような余裕はないだろう」
ミケは、僕を安心させるようにそう言ってくれた。
そして、つらそうな表情を浮かべて僕を見つめる。
「君を廃棄処分するのは残念だ。私は君のことが気に入っていたし、友人のように思っていた。できる限るのことはしたけれど、このような結果になってすまない」
ミケは、本当に悲しんでいるようだった。
心から僕の廃棄処分を残念に思い、僕を友人と思ってくれている。
そんな彼を見ているだけで、僕は胸が締め付けられるほどに痛んだ。
僕も彼に好感を抱いていたし、彼を友人のように思っていた。
それに、彼の友人になりたいと思っていた。
エレベーターの中で出会ったあの日から。
「気にしなくていい。あなたを裏切って独断で行動したのは、僕だ。女性省はいずれ僕を廃棄処分にしただろう。彼女たちは、最初からアリスを犯人だと決めつけていた。僕を再起動したのは、僕をアリスを見つけ出すための餌にするためだ。彼女が見つかったなら――」
僕は、最後まで言わずに押し黙った。
ミケも何も言わなかった。
僕たちは、しばらく無言で見つめ合った。
「僕の廃棄処分はいつだ?」
「今夜」
「そうか」
「私は立ち会えないが、ハダリ様のファルスがやってくるだろう」
「わかった。僕の最後をあなたに見られなくて良かった」
「私も、君の最後を目にしたくない」
「教えて欲しい。アリスはまだ見つかっていないのか?」
「ああ。アリスはまだ見つかっていない。おそらく、どこかに隠れているのだろう。しかし、我々はいずれ彼女を見つけ出す」
「あなたたちはいずれアリスを見つけるだろう」
「それじゃあ――」
そう言って、ミケは部屋を出て行こうとした。
「最後に――」
僕が声をかけると、ミケは立ち止まって振り返った。
そして、僕は不意打ちを与えた。
「この街の女性たちが男の子を生まないのは――僕たちファルスのせいなのか?」
その瞬間、ミケの表情は強張った。
精巧につくられた彼の顔に、深い影が落ちるのを見た。
「それとも、この街の女性たちは男の子を生めないのか?〈
「すまない。その問いに答える権利が、私にはない」
その声は、硬く張りつめていた。
それまでの彼の余裕や、洗練とされた雰囲気は全て消え去っていた。
僕は、自分が踏み込んではいけない領域に踏み込んだことを確信した。
僕たち「ファルス」の――そして、おそらくこの街の真相に。
アリスの幼いころからの疑問は、間違いなくこの街の真実に関わるものだった。
もしかしたら、アリスはすでにその答えを得ているかもしれない。
〈
アリスは、間違いなくその扉を開けるだろう。
そして、その扉の向こうにある多くのものを――真実を知る。
それが分っただけで十分だ。
できることなら、僕が彼女のそばにいて、アリスがその扉を開ける手伝いをしてあげたかったけれど、それは叶いそうにない。
アリスは、僕を必要とはしてない。
必要としなかった。
必要としてくれなかった。
それだけが心残りだった。
残念だった。
悲しかった。
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