第28話 橘《シズカ》
意識を取り戻した時、僕の
しかし、とくに拘束などはされていないみたいだった。
僕は、とりあえず
問題なし。
だけど、ずいぶんと不味い状況になったことを理解した。このまま廃棄処分もあり得ると考えた。同時に、僕が女性省を欺いたことが発覚するが早すぎるとも思った。
尾行や監視はされいなかったはず――あらかじめファムファタールに潜入していた女性官がいたのか?
すると――
「あー、目を覚ましたみたいだね?」
背中から声がして振り返る。
そこには一人の女性がいた。
そして、屈託のない笑みを浮かべて僕を見つめている。
二つ結びの長い黒髪。
首からぶら下げたヘッドフォン。
黒のエプロンドレス。
ファムファタールのフロアを盛り上げていた女性DJが、僕を見下ろしてにっこりと笑った。
「だいじょうぶー? ちょっと手荒な方法で連れてきちゃったんだけど、状況のみ込めてるかな?」
「背後から襲撃されて拉致されたってことは理解できています。あとは監禁。女性省の仕業だと思っていたんですけど、あなたは女性官ですか?」
僕が尋ねると、DJは楽しそうにくすくすと笑った。
「私が女性官? やめてよ。それ最高で最悪な冗談だから。あはは。おもしろいね、キミ」
「じゃあ、どうして僕を?」
僕はファムファタールのフロアで、彼女と一瞬目を合わせたことを思い出した。
もしかしたら、僕のことを気に入って連れ去ったのではないかと考えた。「
「キミ、アダム君でしょ?」
「どうして僕の名前を?」
僕は、いきなり自分の名前を呼ばれて驚いた。それはごく一部の人しか知らないはずの、僕のごくプライベートな名前だったから。
アリスが名付けてくれた特別な名前。
アダム。
「やっぱり、アリスのファルスのアダム君だ」
「アリスのことを知ってるんですか?」
「実はさ、それを確かめたくてキミを無理やりここまで連れてきたんだ。ここは、私が借りてるガレージ。君が眠っている間に、君のメモリは調べさせてもらったよ。もしも君が目当てのファルスじゃなかったら、どこかに置き去りして逃げるつもりだったんだ」
彼女は、手にもったスタンガンを見せながら全く悪びれもなく言う。エプロンドレスにヘッドフォンにスタンガンという、全てがミスマッチでエキセントリックな女性だった。
「だったら、素直に僕に尋ねてくれればいいのに? わざわざ、こんな手の込んだことをしなくても」
「アダム君が女性省のIDなんて所持しているから、お姉さん怖くなっちゃってさ。一歩間違えれば〈女性倫理委員会〉行きになっちゃうじゃん?」
「すでに〈女性倫理委員会〉行きの気がするけど?」
「それは気にしない気にしない。それで念のために確認しておくけど、君はアダム君で良いんだよね? アリスのファルスの?」
「はい。僕はアダムです。アリスは、僕のオーナーでパートナーです。僕、はアリスの行方を捜しています」
「良かった。私は
僕の言葉を聞いた彼女は、安心したように笑って名前を名乗った。
「タチバナ、シズカ。アリスの友達?」
その時になってはじめて、僕はマダムが言っていたアリスがクラブのDJと親しくなったという話を思い出した。そして、その可能性を失念していた自分を叱責したくなった。
「アリスとは、ファムファタールで知り合ったんだ。もうずいぶん長い付き合いになるかな? 私たちかなり気が合ってさ。ほら、これ――」
橘シズカは端末からホロを投影した。
何もない空間に、彼女とアリスが楽しそうに笑っている写真が投影される。
僕は、ようやく成長したアリスを――僕の知らないアリスを見ることができた。
アリスはあまり変わっていなかったけれど、とても美人になっていた。
とても魅力的な女性に。
大人の女性に。
僕は、自分だけが幼い姿のままでいることを悲しく思った。同時に、今のアリスのことを知れて嬉しさで胸がいっぱいだった。
僕の胸は、不意に強く切なく締めつけられる。不快感や嫌悪感でなく、喜びで胸が苦しかった。
「アリスは、いつもキミの話をしていたよ」
「僕の話を?」
「自分には、たったひとりの男の子がいたって。自分のせいで、その男の子を失ってしまったって。いつも言ってたよ」
僕は、アリスが僕のことを覚えていてくれたことが嬉しかった。
それを誰かに話してくれていたことが、本当に嬉しかった。
僕は忘れられていなかった。
「アリスはいつもキミの写真を持ち歩いていて、私にだけその写真を見せてくれたんだ。だからキミがフロアに入ってきたときは直ぐに分ったし、本当に驚いた。曲の繋ぎをミスするなんて何年振りだろう? でも、君を見つけられてよかった」
「僕も、あなたに会えてよかった。僕の知らないアリスを知ることができて良かった」
「さて、本題はここからだよ。君は、アリスのことを探している。私はアリスのことを心配している。たぶんだけど、あの子は今かなり危険なことになっているはず」
「危険なことって?」
「命を狙われているかもしれない」
「命を? いったい誰に?」
「たぶん、女性省」
「女性省? そんなことが――」
僕は、信じられないという思いでシズカを見た。
だけど、僕はようやくアリスに一歩近づいた。
アリスに繋がる細い細い糸を手繰り寄せることに成功したんだ。
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