第28話 橘《シズカ》

 意識を取り戻した時、僕の身体ボディは薄暗い部屋の中に寝かされていた。頬が冷たいコンクリートの感触を受容し、視界を暗視モードに切り替えたマテリアルな瞳が、ここが倉庫のような場所であると判断する。

 しかし、とくに拘束などはされていないみたいだった。


 僕は、とりあえず身体ボディを動かして自分の状況を確かめてみた。

 問題なし。


 だけど、ずいぶんと不味い状況になったことを理解した。このまま廃棄処分もあり得ると考えた。同時に、僕が女性省を欺いたことが発覚するが早すぎるとも思った。

 尾行や監視はされいなかったはず――あらかじめファムファタールに潜入していた女性官がいたのか?


 すると――


「あー、目を覚ましたみたいだね?」

 

 背中から声がして振り返る。

 そこには一人の女性がいた。


 そして、屈託のない笑みを浮かべて僕を見つめている。

 

 二つ結びの長い黒髪。

 首からぶら下げたヘッドフォン。

 黒のエプロンドレス。

 ファムファタールのフロアを盛り上げていた女性DJが、僕を見下ろしてにっこりと笑った。


「だいじょうぶー? ちょっと手荒な方法で連れてきちゃったんだけど、状況のみ込めてるかな?」

「背後から襲撃されて拉致されたってことは理解できています。あとは監禁。女性省の仕業だと思っていたんですけど、あなたは女性官ですか?」

 

 僕が尋ねると、DJは楽しそうにくすくすと笑った。


「私が女性官? やめてよ。それ最高で最悪な冗談だから。あはは。おもしろいね、キミ」


「じゃあ、どうして僕を?」


 僕はファムファタールのフロアで、彼女と一瞬目を合わせたことを思い出した。

 もしかしたら、僕のことを気に入って連れ去ったのではないかと考えた。「擬似男性ファルス」を誘拐したり、破壊したりする過激な事件が年に数回は起こっているという話を聞いたことがある。


「キミ、アダム君でしょ?」

「どうして僕の名前を?」

 

 僕は、いきなり自分の名前を呼ばれて驚いた。それはごく一部の人しか知らないはずの、僕のごくプライベートな名前だったから。

 

 アリスが名付けてくれた特別な名前。

 アダム。


「やっぱり、アリスのファルスのアダム君だ」

「アリスのことを知ってるんですか?」

「実はさ、それを確かめたくてキミを無理やりここまで連れてきたんだ。ここは、私が借りてるガレージ。君が眠っている間に、君のメモリは調べさせてもらったよ。もしも君が目当てのファルスじゃなかったら、どこかに置き去りして逃げるつもりだったんだ」

 

 彼女は、手にもったスタンガンを見せながら全く悪びれもなく言う。エプロンドレスにヘッドフォンにスタンガンという、全てがミスマッチでエキセントリックな女性だった。


「だったら、素直に僕に尋ねてくれればいいのに? わざわざ、こんな手の込んだことをしなくても」

「アダム君が女性省のIDなんて所持しているから、お姉さん怖くなっちゃってさ。一歩間違えれば〈女性倫理委員会〉行きになっちゃうじゃん?」

「すでに〈女性倫理委員会〉行きの気がするけど?」

「それは気にしない気にしない。それで念のために確認しておくけど、君はアダム君で良いんだよね? アリスのファルスの?」

「はい。僕はアダムです。アリスは、僕のオーナーでパートナーです。僕、はアリスの行方を捜しています」

「良かった。私はたちばなシズカ。アリスの友達よ。シズカって呼んで」

 

 僕の言葉を聞いた彼女は、安心したように笑って名前を名乗った。

 


「タチバナ、シズカ。アリスの友達?」


 その時になってはじめて、僕はマダムが言っていたアリスがクラブのDJと親しくなったという話を思い出した。そして、その可能性を失念していた自分を叱責したくなった。


「アリスとは、ファムファタールで知り合ったんだ。もうずいぶん長い付き合いになるかな? 私たちかなり気が合ってさ。ほら、これ――」

 

 橘シズカは端末からホロを投影した。

 何もない空間に、彼女とアリスが楽しそうに笑っている写真が投影される。

 

 僕は、ようやく成長したアリスを――僕の知らないアリスを見ることができた。

 アリスはあまり変わっていなかったけれど、とても美人になっていた。

 とても魅力的な女性に。

 大人の女性に。


 僕は、自分だけが幼い姿のままでいることを悲しく思った。同時に、今のアリスのことを知れて嬉しさで胸がいっぱいだった。

 僕の胸は、不意に強く切なく締めつけられる。不快感や嫌悪感でなく、喜びで胸が苦しかった。


「アリスは、いつもキミの話をしていたよ」

「僕の話を?」

「自分には、たったひとりの男の子がいたって。自分のせいで、その男の子を失ってしまったって。いつも言ってたよ」

 

 僕は、アリスが僕のことを覚えていてくれたことが嬉しかった。

 それを誰かに話してくれていたことが、本当に嬉しかった。

 僕は忘れられていなかった。


「アリスはいつもキミの写真を持ち歩いていて、私にだけその写真を見せてくれたんだ。だからキミがフロアに入ってきたときは直ぐに分ったし、本当に驚いた。曲の繋ぎをミスするなんて何年振りだろう? でも、君を見つけられてよかった」

「僕も、あなたに会えてよかった。僕の知らないアリスを知ることができて良かった」

「さて、本題はここからだよ。君は、アリスのことを探している。私はアリスのことを心配している。たぶんだけど、あの子は今かなり危険なことになっているはず」

「危険なことって?」

「命を狙われているかもしれない」

「命を? いったい誰に?」

「たぶん、女性省」

「女性省? そんなことが――」

 

 僕は、信じられないという思いでシズカを見た。

 だけど、僕はようやくアリスに一歩近づいた。

 

 アリスに繋がる細い細い糸を手繰り寄せることに成功したんだ。

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