第29話 ID《モノ》

「アリスは、この〈女性だけの街〉のことを調べていたの」

「この街のことを調べていた?」

「この街がどうやってできたとか。女性省がどのようにして設立されたとか。この街の理念や聖母主義マリアイズムは、いつ頃掲げられたのとか――公共の女性というものが、どのようにして形作られていったのとか。そういったマーテルの歴史的な事実を、一つずつ紐解いていこうとしてた。この街の外の世界――〈性別離ディボース〉以前の、男性と女性が共存していた世界についても、アリスは詳しく知ろうとしていた」

 

 アリスは、僕を失ってからもまるで変わっていなかった。

 僕が機能を停止にされてからも、アリスは真実に手を伸ばし続けていた。

 そのことに、僕は感動した。


「でも、その答えはいつも同じところで行き止まり」

「行き止まり?」

「女性たちは危険で野蛮な男性を拒絶し〈性別離ディボース〉によって性に国境線を引き、この街をつくった。街の周囲を壁で囲み、外から誰も入れない女性だけの楽園ユートピアを創った。しかし女性だけでは子孫を残すことはできない。そこで、女性たちは男性を模したヒト型のモノ――擬似男性ファルスを製造して、子孫を残すことにした。それがマーテル。それ以上のことは、分らずじまい」


 それは、アリスが――この街の女性が何度も繰り返し聞かされ続けてきた、この街の歴史。

 僕たち「ファルス」も、その歴史をインストールされてオーナーのもとに出荷される。


 誰も疑問を抱いたりしない歴然たる事実であり、この街の真実。

 アリスだけが疑問を抱いていた過去であり、御伽噺フェアリーテール


「アリスは表向き女性省で女性官として働きながら、検閲されたメディアを閲覧したり、記録から消された〈性別離ディボース〉以前の歴史を調査していた。だけど、いつもその先に進もうとして大きな壁にぶつかっていた。まるで、この街を取り囲む壁に行く手を阻まれるみたいに。最近はかなり危険ことをしていたみたいで、私ともあまり連絡をとなくなっていたんだ」

「危険なことっていうのは?」

「詳しくは分からない。でも、ファルス製造メーカーのロクスソルス社のことを長い間調査していて、この街の女性はどうして男の子を産まないのかってことを調べていたと思う」

「どうしてこの街の女性が男の子を産まないのか?」

 

 アリスは、昔から男の子を産みたがったていた。

 どうしてこの街に男性がいないのかを疑問に思っていた。


「そして四日前、急に連絡が取れなくなったの」

 

 四日前。

 

 それは、アリスがロクスソルス社に向った日。

 そして、アリスの上司であるナオミが殺害された日。

 その日を境に、アリスは行方不明になった。

 

 どうやら、シズカはアリスがロクスソルス社を訪れたことも、そこで起きたことも何も知らないみたいだった。きっとアリスは友人を危険な目に合わせることがないよう、なにも告げずにいたのだろう。


少女が見た夢マザーグース〉には、この街の女性が男の子を産まない理由が記されているのだろうか? それが、この街を脅かすことに繋がるのだろうか? それとも、アリスはただ単に男の子を産みたくてロクスソルス社を調べていたのだろうか? 

 

 考えれば考えるほど分からなくなり、僕は複雑な迷路の中に迷い込んでしまうみたいだった。


「アリスは、いったいどこに消えたんだろう? 無事だと良いんだけど」

 

 シズカは表情を曇らせて俯いた。彼女がアリスのことを心から心配していることが強く伝わってきた。


「なにか、アリスに繋がりそうな手掛かりはないんですか?」

「私も色々手を尽くしてはみたんだけれど、アリスは見つからずじまいで、手掛かりは何もないんだ」

「そうですか」

 

 僕はようやく手繰り寄せた細い糸もここで途切れてしまうのかと、自分の無力さに打ちひしがれそうになった。

 

 目の前に、アリスと長い時間を共にした女性がいる。

 僕の知らないアリスを知っている女性がいる。

 それなのにアリスへ繋がる道はここで行き止まりなのかと、僕は悔しさで拳を握った。歯がゆくて歯を食いしばった。そして、何か抜け道はないかと考えた。これまでの出来事の中に、聞いた話の中に――空白の期間に、アリスに繋がるヒントがあるんじゃないかって。

 

 僕が眠っている間、アリスはファムファタールを通じてこの〈女性だけの街〉の新しい顔を知った。この「マーテル」で暮らす女性にも多様性があり、公共に馴染むことができないたくさんの女性たちがいると知った。そしてアリスは、そんな女性たちの力になりたいと、この街に多様性を守りたいと思ったはずだ。

 

 そのために、アリスはファムファタールが女性省から目をつけられないためのシステムを構築し、ファムファタールを訪れる開く女性たちのプライバシーが守られるようにした。

 女性たちの居場所を守るために。


「アリスが――システムを構築した?」

 

 僕は、ふと考えた。

 アリスの足取りをたどることができないシステムとは、いったいどういったものだろう?


「シズカ、アリスはいったいどうやって自分の足取りを辿れないようにしているんだろう? ログ情報を改竄するだけじゃ不十分なはずだ。リアルタイムでログ情報を改竄し続けるなんて不可能だ。複数のIDでも持っていないと、自分の痕跡を完全に消すなんて無理なはず」

「分らない」

 

 シズカは、首を横に振る。


「アリスは、いつも私たちが思いもよらない方法で女性省の目を欺いていた。ファムファタールのシステムだって、アリス一人で組んだようなものだし。でも、前にアリスが使えるIDはいくらでもあるって言っていた」

「使えるIDがいくらでもある? どこにそんな数のIDが?」

「この街には、無責任に捨てられたIDがいくらでもあるって」

「無責任に捨てられた?」

 

 その言葉を聞いた時、僕はアリスの言葉を思い出した。

 僕が廃棄処分される時に交わした言葉を。


「こんなの、絶対に間違ってる。あなたたちをモノのように扱うなんて。いらなくなったら廃棄処分にしてしまうなんて、絶対に間違ってるわ。こんな街、絶対に間違っているのよ。私はこんな世界認められない」


「そうか。廃棄処分されたファルスのIDか。出荷されたファルスには、それぞれ個別の公共番号が与えられている。アリスは廃棄されたファルスのIDをサルベージして、それを自分のIDの代わりに使用しているんだ。それなら、女性省にも見つからないはずだ」

 

 この〈女性だけの街〉で最も無害であり安全とされているのが、僕たち「ファルス」。

「ファルス」はオーナーの命令に忠実であり「女性優先機構レディファースト」によって女性に危害を加えたり、女性の不利益になる行動をとることがない。女性が「やめなさい」と言えば、それ以上何もすることができないのが、僕たち「ファルス」という存在モノ


 そのため「ファルス」に対する抑止的なシステムは存在せず、ほとんど公共機関やインフラを司るシステムが、「ファルス」のログ情報を重要データだと認識していない。その管理も、おそらく杜撰ずさん

 そして、廃棄された「ファルス」の存在に注目する女性もいないだろう。

 

 彼女たちは、使い終わったティッシュをゴミ箱に捨てるような感覚で「ファルス」を廃棄する。誰がそのティッシュをゴミ箱から拾って、再び使おうなんて考えるだろうか?

 

 そんなことをする女性は、この街にアリスしかいなかった。

 

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