第30話 足跡《ハンプティ・ダンプティ》

 僕がアリスの行方を捜している間、シズカはそばでその手伝いをしてくれた。彼女は自分の端末を複数操作して、僕の端末の演算処理のバックアップをしてくれた。

 彼女のおかげで、アリス捜索の効率はかなり上がった。


「シズカには名前が二つあるけれど、それは自分で名付けたの?」

 

 僕は、シズカの名前が気になっていたので尋ねてみた。

 たちばなシズカ。

 

 この街で二つの名前を持っている女性を、僕ははじめて見た。シズカが自分の名前を名乗った時、僕は以前アリスが話しくてくれた二つの名前の話を思い出した。


「〈性別離ディボース〉以前の世界には、ヒトには名前が二つあったらしいの。苗字とかファミリーネームっていうらしいんだけれど、家族や血の繋がった人たちを現す名前だったんだって」

 

 アリスはとても素敵な宝物を見つけたみたいに瞳を輝かせながら、うっとりともう一つの名前について語ってくれた。


「でもね、このもう一つの名前がとっても素敵なのは――好きな人と、結婚っていう行為をした相手と、同じ名前を名乗れるようになることなの」

「同じ名前を名乗れる?」

 

 僕がアリスの話をうまく理解できずに尋ねると、アリスは少し考えて口を開く。


「例えば、私とアダムが結婚をするでしょう?」

「うん」

「すると、アダム013SA926777になるの。私の名前――アリス013SA926777とお揃いなのよ? それって、とっても素敵なことじゃないかしら?」

「でも、公共番号ソーシャルナンバーが一緒になったらいろいろ困りそうだけど?」

「うーん、それもそうね? 〈性別離ディボース〉以前はどんな感じでだったのかしら? きっと、番号じゃない名前を持っていたのね。私もいつか、もう一つの名前が欲しいなあ。アダムのお揃いの名前よ。嬉しいでしょ?」

「うん。とっても嬉しいよ」

 

 あの時の僕は、二つの名前の意味をうまく理解できていなかった。

 だけど、今はアリスと同じ二つ目の名前が欲しいと心から思った。


「ええ。自分でつけたのよ」

 

 シズカは、作業を僕の質問に答える。


「ファムファタールに集まる女性たちの間で流行っているの。進歩的な女性を現す一種の抗議活動みたいなものかな」

「抗議活動?」

「女性省へのね。女性省から押し付けられる、決めつけられた女性観というものに反対して、私たちの考える新しい女性観といものを持とうって活動なの。苗字をつけたり、検閲の対象になりそうな過去の女性たちの職業を模した服装を楽しんだりするのも、その一種よ。他には交感神経刺激導入剤ハイテンションタブレットを飲んだりして、お酒に酔った感覚を再現してみたり」

「なるほど。そう言えば、シズカがフロアで流していた曲は? 歌詞に〈男の子〉って出てきたけど、あれも進歩的な活動の一環? 曲はシズカのオリジナル?」

 

 僕は、フロアを去り際に聞いた曲のことを尋ねた。

 あの曲が、何故か僕は忘れらなかった。


「あれはマザーグースだよ」

「〈少女が見た夢マザーグース〉?」

 

 僕は、思わぬところで飛び出した言葉に驚いた。

 それは、アリスが盗み出したロクスソルスのデータ。

 アリスは歌の歌詞を盗み出したのだろうか?


「マザーグースっていうのは、イギリスって呼ばれていた国の古い詩や童謡をまとめたものらしいんだ。アリスが〈性別離〉以前の歴史を調べていた時に見つけて、それを私に教えてくれたんだ。その詩に、私が音楽をつけて曲にしてみたってワケ。けっこういいカンジでしょ?」

「詩や童謡?」

 

 どうやらシズカの言う〈マザーグース〉は、アリスがロクスソルスから盗んだデータの〈少女が見た夢マザーグース〉とは違うみたいだった。そもそも、本当にアリスはそのデータを盗み出したのだろうか? 

 だとしたら、いったいなんの目的で?


「他にもね、こんな歌もあるんだよ」

 

 シズカは歌いはじめた。

 


 ハンプティ・ダンプティが塀に座った

 ハンプティ・ダンプティが落っこちた

 80人の男にさらに80人が加わっても

 ハンプティ・ダンプティをもといたところに戻せなかった



「これもマザーグースなんだよ? 面白い歌でしょう」

「うん。なんだか不思議な歌だ」

 

 僕はその歌詞を聞いて、どうしてか強い不安を感じていた。

 

 落ちたものは二度と直せない。

 

 そんなことを暗に示しているような歌詞が、僕とアリスのこれから示唆しているみたいで、とても不吉な予感がした。


「アリスは短針銃フレッチャーなんて持ってたりした?」

 

 僕は話を変えるように、最後の質問をした。

 一番聞きたかったことを。

 

 短針銃フレッチャーは護衛用の銃火器で、個人で携帯できる「マーテル」唯一の銃。僅か一センチほどの電力を帯びた針を発射して、相手を威嚇したり気絶させたりする。一般的に流通をしている短針銃の電圧はせいぜい五十ボルト程度で、殺傷能力はほぼないと言える。

 

 ヒトを殺せるほどの威力をもった銃火器――電磁加速短針銃レールフレシェットガンとなると、特別に訓練された女性官しか携帯できない規定になっている。

 アリスがそれをもっていたとは考えらなかった。


「短針銃なら持ってたよ。かなり強力な奴を」

「強力な奴?」

「たぶん電磁加速短針銃だね。だから、自分の身は守れると思う」

「それをどうやって?」

「上司から携帯許可をもらったって言ってたけど、詳しくは分からない。仕事の話はあまりしてくれなかったし。それにしても、廃棄されたファルスのIDを使うなんて普通は考えつかないなあ」

 

 シズカは、短針銃の話には特に興味を示さなかった。

 僕はアリスが電磁加速短針銃を携帯していたことに動揺していたけれど、それを表に出さないようにした。


「たぶん、アリスじゃなきゃ思いつかないと思う」

「だよね。そう言えばさ、廃棄されたファルスのIDって全部使えるのかな? そのIDは使用可能のまま放置され続ける? だとしたら、ずいぶん不用心な気がするけど」

「今調べてみたところ、廃棄されたファルスのIDは、半年から一年ほど保管プールしておく規則になっているみたいだ。そして、新たに製造したファルスに保管プールしてあるIDを与えて再び出荷する。だから、IDを使用できる猶予は半年から一年の間はある。アリスはそこに目を付けたんだと思う」

「新しいIDをつくるんじゃなくて再利用リサイクルしているのか。IDもファルスと一緒に破棄していれば悪用されなくて済んだのにね」

「IDもこの街の大切な資源リソースの一つだからね。電話番号や住所なんかと一緒で、新しくつくるよりも再利用したほうが無駄がない。それに、ファルスのIDなんて誰も気にしない」

「アリス以外はね」

 

 シズカはにやりと笑った。


「つまり、廃棄されてから半年ないし一年経っていないファルスのIDをネットワークで検索すれば、必然的にアリスに居場所が判明するはず」

 

 僕は、女性省のクラウドサーバにアクセスして検索条件にヒットするIDを見つけ出そうとする。様々な検索条件やパラメータを入力して、細い糸を手繰り寄せる。

 その廃棄されたモノの痕跡を探し当てるのは、思った以上に楽だった。

 それは、あっけないほど簡単に見つかった。


 アリスの足跡。

 アリスの行方。

 アリスの記録。

 

 まるで、自分の歩いた道の後にお菓子のクズを撒いて歩くように、アリスの痕跡はこの街のそこら中に存在した。


「これが、アリスの足跡かあ? そこら中で好き勝手にやってるね。無事で何よりだよ」

 

 シズカはホロが表示する地図上で、アリスと思われるIDが残したログ情報を見て頷いた。まだアリスとは断定しきれないけれど、それでも僕とシズカは顔を見合わせて安堵の息を吐いた。


「複数のIDを使用しているけれど、タネが分かってしまえば辿るのは容易だ。簡単な手品みたいなものだから」


 検索にヒットしたログ情報から、僕はこのIDの主がアリスであることをほぼ確信していた。

 

 この四日間、ほとんど地下鉄メトロに乗らず電気自動運転車オートエレカで移動をしているところが、アリスであることを強く主張しているような気がした。大きく手を挙げて、私はここにいるよって叫んでいるみたいに。

 

 僕は、アリスのログ情報をもっと深く探り始めた。

 これから何をしようとしているのかが分れば、先回してアリスに会いに行くこともできると考えたからだ。


「これは?」

 

 すると、アリスは今から二十分ほど前にとある人物にメッセージを送っていた。

 その人物の公共番号は、僕の良く知った人物のものだった。


 003SM026664。


 それは、アリスの母親の公共番号だった。

 この街の慈母である代表女性官マルタの。

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