第38話 少女の見た夢《アパルトヘイト》

「〈少女の見た夢マザーグース〉?」

 

 アリスは、何のことと首を傾げた。


「ハダリが、アリスが盗み出されたデータをそう呼んだんだ」

 

 僕は説明する。


「なるほど。つまり、たんなるナンセンス詩ってことね? 空っぽの昔話。伝承と呼ばれるに過ぎない昔話や御伽噺フェアリーテイル。言ってくれるじゃない」

 

 アリスは納得がいったように頷き、そして忌々しそうにこぼした。


「アダムは、私がこの街について調べていたことをシズカに聞いたのよね?」

「うん。それで、この街の女性が男の子を産まない理由を探していたんじゃないかって」

「そう。私たちマーテルの女性は、男の子を産まず――女の子しか産まない。それによって、私たちはこの街を維持している。女性だけしか存在しない街という、異常で歪な世界を――」

 

 異常で歪な世界。

 アリスは、〈性別離ディボース〉以前の世界が正常な世界だと言いたいのだろうか?


「そこで、私は考えたの。あなたたちファルスには、女性に、女の子――Xの染色体をもつ精子だけを受精させる機構が埋め込まれているんじゃないかと。例えば、あなたたちはX染色体をもつ精子しか射精しないとか、Y染色体の精子は受精に至らないとか。そのような遺伝子操作を受けているんじゃないかって」

 

 僕は、自分のペニスがある股間に視線を落した。

 僕は自分について――「ファルス」という存在について何も知らなかった。


「それで、私はロクスソルスにファルスの製造データや基礎設計理論、DNAマップなどの閲覧や提出を何度も申請した。でも、一度として許可は下りなかった。ファルスの製造データは秘匿事項ブラックボックスで、それを開示することはできないとね。代表女性官であるナオミの権限をもってしても無理だと。代表女性官ですら閲覧することも許されない情報であると知った時――私は、その情報がこの街にとって、最も重要な情報であると確信した。だからナオミに協力を要請して、あの日、ロクスソルスに抜き打ちの視察に向った。そして、計画通りにデータは手に入った。ハダリのいう〈少女の見た夢マザーグース〉が」

〈少女の見た夢マザーグース〉には、何が記されいたの? この街にとって最も重要な情報とは、一体なんだったんだ?」

「そのデータは、いたって普通の製造データだった。ファルスの基礎設計理論、実際の設計図、DNAマップ。これまでのバージョンアップや、マイナーチェンジの情報。クラウドサーバが提供する行動ソフトウェアや、アプリケーションの情報などね。不審な点や、開示できない怪しい点は何一つなかった。〈少女の見た夢マザーグース〉の中身は、真実でも重要でもない――ただの空っぽ」

「ただの空っぽ? それはいったいどういう意味」

 

 なんだか、ものすごく嫌な予感がした。

 胸騒ぎというものが、はじめて僕の心を大きく揺さぶった。

 まるで、激しい嵐の前触れを告げるみたいに。


「この街で暮らす全ての女性は、無意識にこう思っている。刷り込まれていると言っても良いわ。女性の生殖行為――受精や妊娠は、全てファルスに組み込まれた機能が行ってくれていると。だから私も、私たち女性が女の子しか産めないことに疑問を覚えた時、真っ先にファルスにそのような機構が組み込まれているんだと思い込んだ」

「思い込んだ?」

「そう。勝手にそう思い込んだだけ」

 

 アリスは、小さく頷き話を続ける。

 その表情はとても深刻で、その扉を開いて奥にあるなにかに手を伸ばすのを躊躇っているみたいに。


「だけど、あなたたちファルスの製造データには、Xの染色体をもつ精子しか射精しないとか、Y染色体の精子は受精しないなんて機構は、存在していなかった。そのような遺伝子操作がされた形跡は、一切無い。つまり、あなたたちファルスの精子には、普通の男性同様にX染色体の精子とY染色体の精子が存在して――女性は本来、どちらの染色体の精子でも受精可能なの。結果から言えば、この街に男の子が産まれてもおかしくない。でも、この街には女性しかいない」

「本来なら男の子が産まれてもおかしくない。でも、この街には女の子しかない。それって?」

「あなたたちファルス側の問題ではないとしたら――その問題は、どこにあると思う?」

 

 僕は、口にしようとした言葉をのみ込んだ。

その先の言葉を、今考えていることを、なんて言葉にしていいのか分からなかった。

 

 それは、つまり――


「そう。アダムの考えている通りよ」

 

 アリスは、僕の心を読んで頷く。

 彼女自身も、その事実をどう受け止めたらいいのか迷っているみたいに。

 

 僕たち「ファルス」の精子は、XとY――どちらの染色体も持っている。

 本来なら、この街の女性は女の子だけでなく男の子も産めるということになる。

 

 しかし、この街では女の子しか産まれない。

 この街の女性は、女の子しか出産しない。

 

 そこから導きだされる答えは、たった一つしかなかった。


「全ては、私たち女性側の問題。つまり、私たちは――このマーテルの女性は、女の子しか産むことができないということなのよ。それが、この街の真相。ロクスソルスが隠していた私たちの真実」

 

 この街の女性たちは、女の子しか産めない。

 アリスも、女の子しか産めない。

 

 その事実を、僕はどのように受け止めたらいいのか分らなかった。

 それが、この街にとってどのような変化や混乱をもたらすのかも、まるで分からなかった。

 

 この街の未来に、どう繋がって行くのかも。


「それが分ったところで、何が問題なの?」

 

 僕は、アリスの言葉を待たずに続ける。


「これまでと、なにも変わらないじゃないか? この街の女性たちは、これからもファルスを使って女の子を産み続けて――この街の公共は維持されていく。それじゃあ、なにがだめなの?」

「ねぇ、アダム? 私たちが、自分たちの意志で女の子しか産まないのだったら、それは選択の問題よ。それなら選択をし直して、私たちは自分たちの意志で男の子を産むという新しい選択をすることができる」

 

 アリスは丁寧に説明をはじめた。


「でも、私たちが女の子しか産めないのだとしたら、男の子を産むという選択をすることすら許されないのだとしたら、それはただの行き止まりよ」

「行き止まり?」

「そう。選択肢も可能性もない、ただの行き止まり。もしも、私たちが行き止まりに立たされているのなら――私たちは全員がそれを知り、選択肢や可能性がないということについて考え、答えを出していかなければいけない。この事実は、この街の根幹に関わってくる重大なことなのだから」

「どうして、この街の女性たちが女の子しか産めないということが、この街の根幹にかかわってくる重大なことなんだ?」

 

 僕は、ここまで来てもアリスの言う重大の意味が分からなかった。

 これまでと何も変わらないような気さえしていた。

 だけど、僕の胸の奥の嵐は大きくなり続けていた。

 

 全てを呑みこんでしまうみたいに。


「私たちは、〈性別離ディボース〉によって性に国境線を引き――〈女性だけの街〉を創った。危険で野蛮な男性を拒絶して、女性だけの理想郷ユートピアで暮らすことを選んだ。この街で暮らす女性たちはそう教えられているし、そう信じている。私も、実際にファルスの製造データを見るまで、そのことを疑ったりはしなかった。けれど、私たちが女の子しか産むことができないとなると、その事実が全て偽りで、捏造された歴史かもしれないという可能性が出てくる」

「どうしてそんな可能性が?」

「ねぇ、アダム? もしも、私たちが女の子しか産めないということが事実だったとして、そんな私たちがこの街の壁の外の世界で暮らし始めたらどうなると思う? 私たちが外の世界で子供を産んで育てたとしたら――ファルスではなく、外の世界の男性たちと交わって子供を産み始めたら、外の世界はどうなる?」

「この街の女性たちが、外の世界で暮らす? そして、外の世界の男性と子供をつくる? そんなのこの街と何も変わらないじゃないか? 女性たちは、女の子を産んで育てるだけだ」

「私たちが産んだ女の子が大人になって、また子供を産んだとしたら――その子供の性は?」

「そんなの女性に?」

 

 そこまで言って、僕は言葉を失った。

 

 この街の女性たちは、女の子しか産まない。

 生まれた女の子も、女の子しか産まない。

 

 つまり、それは――

 

 アリスは、ゆっくりと頷く。

 その先に待っている世界のカタチに恐れ慄きながら。


「私たちがこの街の壁の外へ出て、外の世界で子供を産んで育てていったら――いずれ、この世界から男性という性は消え去る。私たちは、人類という種を行き止まりに追い込んでしまう可能性をもっている」

「人類という種を、行き止まりに追い込んでしまう可能性? そんな――」

 

 僕は、言葉を失った。


「きっと世界は、私たちを歓迎しない」

 

 アリスは、力なく言って続ける。


「私たちは、世界から男性という性を消し去ってしまう」

 

 アリスたちが、男性という性を消し去る存在?

 僕は、それをどう受け止めればいいのか分らなかった。


「ねぇ、アダム。〈アパルトヘイト〉って知っている?」

「〈アパルトヘイト〉?」

 

 僕は首を横に振った。


「〈アパルトヘイト〉は、遠い過去に『南アフリカ』という国で行われていた実際の政策で、その土地の言葉で〈分離〉や〈隔離〉を意味するの。それは、人種隔離政策というもので、とても差別的な政策だった。白人と呼ばれる支配階級の人種が、それ以外の人種――黒人、アジア人、カラードと呼ばれる混血人を支配する二十世紀の悲劇の一つ。〈アパルトヘイト〉で最も差別されたのは黒人と呼ばれる肌の黒い人種で――」

 

 僕は、アリスの肌の色を思わず見た。


「彼ら彼女らは、黒人居住区という場所に無理やり住まわされ、白人の所有する農園で働かされた。それだけでなく、トイレ、公園、映画館、レストラン、ホテル、バス、電車、そういったもの全てが、白人用と黒人用で分けられた。黒人は入ってはいけないたくさんの場所やお店があり、結婚すら自由にできず、もちろん選挙権もなかった。私と同じ肌の人たちが、そんな扱いを受けていた」

 

 アリスは、自分の濃い色の肌が過去に差別の対象だったと言った。

 僕がこの世界で一番素敵で魅力的だと思ったチョコレート色の肌が、差別の対象だったと。

 

 僕は、喩えようのない衝撃を受けていた。心臓を握りつぶされたみたいな痛みを感じ、同時に激しい怒りすら湧き上がってきた。


「でも、差別を受けていたのは私と同じ黒い肌の人たちだけじゃない。〈アウシュヴィッツ〉と呼ばれる強制収容所では、ユダヤ人という人たちが大虐殺にあった。彼ら彼女らは――ただユダヤ人というだけで列車に詰めこまれ、身ぐるみを剥がされ、冷たい施設に収容された。そして強制的な労働を強いられ、最後は毒ガスで殺された。殺害されたユダヤ人の数は百万人を超えると言われている。人類史最大の大虐殺――〈ホロコースト〉と呼ばれる民族浄化」

「いったい誰が、何のためにそんなことをするんだ? どうしてそんなひどいことを?」


 僕は、人類と呼ばれるものが分からなくなって叫んだ。

人類がとんでもなく醜く、残酷で、酷いモノの集合体に見え始めていた。


「『ナチスドイツ』と呼ばれた国家であり組織が行ったことよ」

「国が、そんなことを?」

「強制的に収容されたのも、ユダヤ人だけじゃない。日系人と呼ばれるこのマーテルがある国の血をもつ人たちも、過去に収容されたことがあった。自由の国と呼ばれた『アメリカ』という国で、日系人は突然に収容されて理不尽な生活を余儀なくされた。その時、日本とアメリカは対立をしていたけれど、日系人の多くはアメリカに忠誠を誓った善良な人々だった。アメリカの政府は、そんな人たちを差別して隔離した」

 

 国が、ヒトを隔離して差別する。

 どうしてそんなことが起こるのか、僕にはまるで分からなかった。


「人類史と呼ばれるものを知れば知るほど、それは戦争や差別の歴史だと思い知ったわ。人類は、いつだって自分たちと違う存在を差別し、迫害し、隔離し、従わせ、屈服させ、殺してきた。人種、階級、性別、文化、宗教、肌の色、目の色、髪の色、容姿、趣味、趣向、人類はありとあらゆる違いを差別の対象にして、それらを攻撃してきてきたのよ。〈アパルトヘイト〉も、〈アウシュヴィッツ〉も、日系人の収容所も、差別的な思想が行きついた最悪の悲劇。ある属性を持つものたちを一つの場所に閉じ込め――その小さな世界から出られないようにしてしまう」

 

 アリスは最後の言葉を、とても意味があるように力を込めて言った。


「ある属性を持つものたちを一つの場所に閉じ込め――その小さな世界から出られないように?」

 

 アリスの言葉を繰り返した時、僕はアリスが今まで語った人類史の意味を、その悲劇の意味をようやく理解した。

 

 アリスが何を言いたいのか、何を言おうとしているのか、アリスが導き出した答えが何のか、ようやく理解することができた。


「そんなことって? それじゃあ、この〈女性だけの街〉が――」

 

 僕はあまりにも恐ろしくて、その先の言葉を口にすることができなかった。

 

 アリスも同じ気持ちなのか、その先の言葉を口にしようとはしない。ただ厳しい表情を浮かべたまま、目の前に見えたロクスソルス社の建物を強い視線で見つめているだけ。

 

 僕たちは、ようやく目的地にたどり着いた。

 終着駅へ。

 

 聳え立つ白い巨塔のような建物。

 それは、まるでそそり立つの男性器のように見えた。

 

 ロクスソルス社。

 この女性だけの街「マーテル」の公共を維持し、この街の最も重要なインフラである「ファルス」を製造するメーカーでありプラットフォーム企業。

 

 全てを知っているハートの女王のいる居城。

 全てのファルスの産みの親。

 僕の産まれた母の子宮。

 

 ラベンダーの花はいつの間にか消え去り、ロクスソルス社の周囲は一面のカモミール畑が広がっていた。


 僕とアリスは黄色い花びらの舞う夜空の下を歩き、そしてロクスソルス社の入り口を潜った。

 

 この街の真実にたどり着くために。

 この街の過去と未来を知るために。

 

 全てを終わらせるために。

 

 時計の針はゆっくりと十二の数字を目指した。

 ちくたくちくたく。

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