第37話 父《母》
「ナオミとママのことだけど――」
ハダリの「ファルス」が乗ってきたトレーラーを強奪し、それを運転しながら、アリスはおもむろに口を開いた。
僕は助手席に腰を下ろしていて、フロントガラス越しに無人の街を眺めていた。
時刻は、夜の十時を過ぎたところ。
時計の針はゆっくりと七日目の終わりに向っていた。
世界をつくった一週間の終わりに。
暗闇に包まれた〈女性だけの街〉は、無人の街と化していた。
代表女性官二人が殺害されたと知らされた後だけあって、街には女性の姿はおろか「ファルス」の影すらない。遺伝子改造された植物だけが、その役割を果たすために静かに活動を続けている。
まるで、人類が滅んだ後の廃墟のように見えた。
遺伝子操作された常緑樹が発する水素が、霧となって街中を包みこんでいる。道路の脇や街のいたる所で咲き誇るラベンダーが、まるで道先案内のように続いている。
目的地までの道を彩るように。
「わかってる。アリスが誰かを殺したりするはずない」
僕は、アリスの言葉を遮って言った。
アリスが誰かを殺害したりするわけがない。ハダリの「ファルス」だって、アリスは眠らせておくだけに留めた。
「ありがとう。もちろん、私は誰も殺していない。けれど、その無実を証明する方法は何もない」
「犯人を見つければいい」
「そうね。それが一番手っ取り早いんだけれど、正直なところそれは後回しで良い。今は、私の無実を晴らすよりも他にやるべきことがある」
「後回し? 犯人を見つける以外に何をするっていうんだ?」
「この街の真実を知ることよ。そして、その真実をこの街で暮らす全ての女性に開示する。私たちはこの街の真実を知って――自分たちの未来を、この街の未来を選択しなければならない」
「この街の真実? 未来? それは、ロクスソルスから盗み出したデータに関係があるの? この街の女性が、男の子を産めないってことを調べていたんだろ」
僕が尋ねると、アリスは驚いた顔で僕を見た。
「ファムファタールに行ったよ。マダムとシズカから、アリスの話を聞いた。僕の知らないアリスの話を聞かせてもらったんだ」
「そう。二人に会ったのね。素敵な女性たちだったでしょう?」
「うん。とっても魅力的な女性たちだった」
アリスは満足そうに頷いた。
「でも、よくファムファタールにたどり着いたわね? 私が通っていた痕跡は完璧に消したと思っていたけれど」
「それは――」
僕は、アリスの母親に会った話をした。
ファムファタールの名刺をもらったこと。
アリスのことを強く思っていたこと。
僕を廃棄処分にしようとしたことを過ちだと思っていたこと。
そして、彼女の母親が僕に紅茶を入れてくれたことを話すと、アリスは複雑な表情で顔を歪めた。悲しさや、悔しさ、情けなさ、後悔、怒り、絶望――たくさんの感情が斑になった複雑な表情の上に、一粒の涙が頬を伝う。
「ママが、お茶を入れてくれたのね。アダムに優しくしてくれた。それに、私のことを思ってくれていた。ああ、もっとママとたくさん話をすれば良かった。私の話を聞いてもらって、私の考えを知ってもらって――二人で、この街の未来を話し合えば良かった」
アリスは後悔を口にして虚空を仰いだ。
「私ね、ママのようになりたかったの」
「うん。知ってる」
「だから、私は勉強も運動も頑張ったし、紅茶だってママよりもうまく入れられるようになろうって、一生懸命練習した。ママはあまりに家に帰ってきてくれなかったけれど、それでも幼い頃の私はママの温もりをしっかりと感じることができた。ママが家にいない時、私はママの書斎にこっそりと忍び込むのが一番の楽しみだった。ママの書斎は私にとって最高の遊び場で、そこには見てはいけない古いメディアがたくさんあった。私は辞書を引っ張り出して、それと睨めっこをしながら必死にそれらを読んだ」
アリスは遠くのほうを眺めながら、懐かしそうにそう言った。
一人で不思議の国を冒険してた頃の、甘い記憶を思い出していた。
「アダムという名前を知ったのも、ママの書斎で過去のメディアを読んだ時だった」
「僕の名前が――アリスの母親のメディア中に?」
「世界で最も信仰されていた宗教の中で、最初に生まれた男性――それが、アダム。私たち女性は、アダムの肋骨から生まれたと記されていた」
「女性はアダムの肋骨から生まれた?」
「そう。それを読んだ時、私はとても素敵だと思ったの。だって私たちは――女性と男性は、最初は一つだったのよ? それってとっても素敵じゃない?」
「うん。とっても素敵だ」
「その宗教の中ではね、父という言葉がたくさんでてくるの――」
もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。
もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
アリスは、その宗教の教えを一節
「幼い頃、私は父という存在に憧れた。だから、私は父になることができるファルスを欲しがった。私が母になった時、私の隣で父になってくれる男の子を。だから、私はアダムを見つけたんだよ?」
僕は、アリスが男性を強く追い求めていた理由をようやく知るこよができた。
僕がいつか父になることをアリスは夢見ていたんだ。
僕と出会うずっと前から。
「だから、私はアダムを廃棄処分にしようとした母が許せなかった。アダムをモノのように扱う母が許せなかった。そして、ファルスをモノのように扱い女性たちが許せなかった」
アリスは、瞳の奥を爛々と光らせて続ける。
「アダムを失ってからの私は、母を否定することだけを考えた。この街を否定して、この街をひっくり返すことだけを考えた。母に対して、私は憎しみのような感情を抱いていたんだと思う。この街に対しても、怒りのような気持ちを抱いていたんだと思う。この街が押し付ける価値観を――公共の女性というものを、
アリスの青い瞳には炎が宿っていた。
かつて母親が宿していたのと同じ炎のきらめきが、そこにはあった。
でも、その炎は直ぐに消えていった。
優しい風に吹かれるみたいに。
「だけど、ファムファタールで働いて、私はそこでたくさんの女性に会った。彼女たちはたくさんの考えをもっていて、そこには多様性があった」
「うん。僕も見たよ。たくさんの女性たちがいた」
僕はファムファタールで見た光景を、そして、そこで出会った女性たちを思い出した。彼女たちは、精一杯自分らしく生きようとしているように見えた。
多様性と言われるもののカタチが、そこにあったような気が。
「そんな彼女たちに触れ合っているうちに、この街を否定したいっていう気持ちは――そんな考えは、少しずつ消えていった。私は、私の中で燃え盛っていた大きな炎が少しずつ小さくなっていくのを感じた。憎しみに似た何かは、別の感情に変っていった。だから、私は女性省に入省したの」
アリスは、遠くを眺めながら言う。
彼女の視線の先がどこに向っているのか、僕には分っていた。
彼女の青い瞳は、真っ直ぐにこの街に未来に向かっていた。
そこまで言うと、アリスは表情を歪めた。
「だけど、その結果――母が命を落とした。ナオミも、殺されてしまった。全て私のせい。私のせいで――二人は死んだ」
アリスはハンドルを握る手に力を込めて、悔しさと後悔で表情を強張らせた。そして、小さく体を震わせる。
自分を許せないというように。
彼女は悲劇に耐えていた。
「アリスのせいじゃない。二人を殺したのは殺人犯だ。この街の真実が公表されることを恐れた何者かだ。だから、自分を責める必要なんかない」
「そうね。でも、これは私の罪でもある。いずれ、私はその罪を償わなくちゃいけない」
アリスは、静かにそう言った。
僕の胸は、今にも張り裂けてしまいそうだった。
僕は、アリスが抱えている苦しみや罪悪感を、少しでも僕が背負えないだろうかって思った。その苦しみを分けてもらえないだろうかって。アリスのためになにかできないだろうかって。
だけど、この感情も〈
仕組まれた感情なのだろうか?
ミケに説明された〈
そんなことは関係ないと、僕は自分に強く言い聞かせる。
下らない考えを振り払う。
「それで、これからどうするの?」
「これからロクスソルスに行くわ」
「それは危険なんじゃ? 他の女性官の助けは借りられないの?」
「これ以上、犠牲者を出したくないの」
アリスは断固たる決意を込めた声音で言った。
こうなったアリスは梃子でも動かない。
「向うだって、これ以上の被害が出ることは望んでいないはず。危険はあるけれど、私たちが直接顔を合わせて話し合わなければ、この問題が解決しない。ハダリに会って全てを確かめるわ。彼女は、この街の全てを知っているはず」
「全てっていうのは、いったいなんのことなの? 〈|
僕は、ハダリの言葉を思い出しながら尋ねた。
「まぁ、彼女が見つかることを祈っているよ。この街の公共のためにも――そして、この街の未来のためにもね」
ミケはこう言った。
「ああ、ハダリ様が言うには――盗まれたデータが悪用されれば、このマーテルに大きな混乱を巻き起こすことは確実だと」
「〈
アリスは、何のことと首を傾げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます