第4話 性別離《ディボース》



 アリスは、不思議な女の子だった。

「不思議の国のアリス」という小説が過去に出版されていたらしいけれど、アリスの場合は世界よりも本人のほうが不思議な女の子だった。

 

 この〈女性だけの街〉で、女性だけの性しか存在しないことが当たり前の世界で――全ての「擬似男性ファルス」が女性に奉仕することが当然という社会の中で、アリスだけが男性というものの存在を深く考え、強く意識していた。


「ねぇ、どうしてこの街には男性がいないんだと思う?」

 

 アリスは、いつもそんな質問をして僕を困らせた。

 自分はすでにその答えを知っているか、または自分なりの答えをすでに用意しているくせに、彼女は僕の答えを聞こうとした。


「〈性別離ディボース〉が行われたからだと思うよ。二十一世紀の初期にネットを中心に蔓延まんえんした、男性たちの女性軽視や蔑視べっしの雰囲気に女性たちが怒り声を上げ、それが大きな運動に繋がったから、かな?」

新しい波ニューウェーブ――リ・ウーマンリブ運動のはじまりね?」

「うん。ネットやSNSでの投稿を切っ掛けに盛り上がった女性差別を是正する機運。切っ掛けはSNSでの投稿で、その後、女性の権利のために活動する女性たちを中心に、それまで以上に女性の権利や平等が強く訴えられた」

「それでそれで?」

「だけど、危険で野蛮な男性たちは、それらの活動に反発し、さらに過激な攻撃をもって応えた。それはとても暴力的で差別的だったため、攻撃を受けた女性たちはさらに深く傷つき、女性と男性の隔絶かくぜつは一層大きくなった。ネットやSNSでは、女性たちが男性から受けたDV、セクハラ、性暴力の告発が連日続き、それらは〈#Me Too私も〉という運動に繋がり――最終的に、新しいウーマンリブ運動へと発展。その運動や活動に共感する形で世界中から賛同者が集まり、新しい波は世界規模のものへと。そして、世界的な混乱と共に多くの出来事や悲劇が連鎖的に怒り、最終的に〈性別離〉が起こった」

「〈性別離〉――女性と男性を分け隔てた歴史的出来事。性に国境線を引くという思想」

 

性別離ディボース〉とは、二十一世紀の初期に起こった女性と男性を隔てた断絶のことを指してそう呼ぶ。詳しくは語られてはいないけれど、その結果として、多くの女性が男性とは相容れないと認識するようになったと言われている。


 性別に国境線を引いてしまった歴史的出来事。


「一人の社会学者が提唱した〈女性だけの街〉という論文が、このマーテル創設の直接的な根拠になった。その後、都市工学、遺伝子工学、ヒューマノイド工学など、様々な研究分野の博士たちがが、この街の基礎設計理論を完成させた」

「それじゃあ、データベースから拾ってきた答えと変わらないと思うんだけれど?」

 

 アリスは、不満そうに口を膨らませる。そして、手にもっていたぬいぐるみの一つを僕に投げつけた。

 

 彼女のぬいぐるみだらけの部屋は、まさに誰もが想像する女の子の部屋といった感じで、とても幻想的メルヘンチックだった。

 くま、うさぎ、ねこ、いぬ、らいおん、かば、うま、ひつじ、ひよこなどの、たくさんの動物――すべてメス。この女性だけの街には、メスのぬいぐるみしか販売されていない――に囲まれていて、まるで小さな動物園。


 壁紙は鮮やかなピンク色。カーペットは真っ白。ヴィクトリア朝風のティーセットとティーテーブル。遺伝子操作された色とりどりの花々が飾られている。そして天蓋のついた大きなベッドの上にも、たくさんのぬいぐるみが置かれていた。

 

 アリスと僕は毎日彼女の部屋で紅茶を飲みながら、そんなとりとめのない話をした。

 二人だけの小さなお茶会マッド・ティーパーティーを開いた。


 紅茶は、いつだってアリスが入れてくれた。

 僕がお茶の用意をすると言っても、アリスは「私の方が得意なんだから、アダムは座って待っていて。お互いに得意なことは、得意な相手に任せたほうが絶対いいんだから。えーっと? 効率とかが」、そんなふうに大人ぶって言ってみせた。


 簡易サーバから使用人アプリや、紅茶を入れるための行動ソフトウェアをダウンロードすれば、僕の方がうまくお茶を入れられたはずだけれど、アリスは絶対にそれを許可してくれなかった。行動ソフトウェアのダウンロードには、オーナーの許可が絶対に必要だった。


 アリスは、僕が僕自身の学習や訓練によって獲得した行動以外は、絶対に認めようとしなかった。お茶を入れるだけでなく、洋服のたたみ方や、ナイフの使い方、部屋の掃除の仕方、お風呂での頭の洗い方、女性との接し方まで、全て僕自身に行動させて学習させた。

 まるで、母親が子供をしつけるみたいに。

 もちろん、アリスは僕と背丈の変らない女の子なので、一緒に学びながら共に覚えていくといった感じではあったけれど。


「いい? アダムは私と一緒に一つずつ覚えて行くのよ。私たちは、手を取り合って一緒に前に進んでいくんだから」

 

 それはつまり、僕が製造された時に事前にプリインストールされていた最低限の行動ソフトウェとアプリケーション、基礎知識しかない真っ白な状態のままということ。僕は何もすることができず、〈女性だけの街〉や人類の歴史についても、ほとんど何も知らないのと同然。


 僕のメモリのほとんどは、空っぽのまま。

 その空っぽの小さな杯ティーカップを、僕はアリスと一緒に満たしていかなければならなかった。


 二人で、すこしずつ水をそそぐように。

 おいしい紅茶を入れるように。


 それは時にもどかしく、時に情けなく、時に不甲斐なかった。

 僕はもっとアリスの役に立ち、アリスに奉仕できるはずなのにと考えたりもしたけれど、それでも二人で手を取り合って少しずつ前に進んでいくというその行為を、僕はどうしてか心地良いと感じていた。


 それは「ファルス」なら、本来は感じてはいけない感情だったにもかかわらず、僕はその感情を特別な宝物のように思っていた。


 それに、僕はアリスの入れてくれる紅茶が大好きだった。

 その真っ赤な液体を喉の奥に流し込むと、僕はどうしようもないくらいに幸せになれた。


 とても温かいなにかで満たされたんだ。


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