第3話 アダム《男の子》

 小さな女の子が、せいいっぱいの威厳をもって告げたその合言葉で、僕を収納していた石棺クレードルはゆっくりと開きはじめた。

 ガレージのシャッターを開くみたいに、下から上に向って黒い扉が音もなく開いていく。扉が全て開くと、僕のオーナーになる女の子は僕を真っ直ぐに見つめて――青い瞳を見開いた。長いまつげが花びらのように開いて、大きな青い花が咲く。


 はじめて見る、男性を模したモノに驚いたように。


「わあ」

 

 オーナーの声紋を認証した瞬間から、僕の全ての機能はヒト型の身体ボディに委譲され、簡易サーバから切り離された起動アクティブ状態となる。瞼の裏に「Active」の文字が浮かび上がると、それまで停止していた左胸の心臓がゆっくりと鼓動をはじめ、僕の冷たい身体ボディに温かい血を送り出す。まるで、歯車が動き出して大きな時計の針を動かすみたいに。

 

 僕は身体ボディを得た感覚を実感しながら、ゆっくりと閉じていた瞳を開いた。マテリアルな両目ではじめてみる女の子は――僕のオーナーは、とってもチャーミングな女の子だった。


 淡い金色の髪の毛はライ麦のようにきらきらしていて、大きな青い瞳は青空を閉じ込めたみたいに澄み渡っている。瞳と同じ色のエプロンドレスをお姫さまのように素敵に着こなした姿は、僕を迎える準備は完璧に整っているんだとしっかり主張しているみたいだった。


 だけど僕がなによりも素敵だなって、チャーミングだなって思ったのは、彼女の健康的な色の濃い肌だった。

 太陽に愛されたみたいな小麦色の肌――まるで、甘いチョコレートを塗ったようにつややかな肌が、僕はとても素敵だなって思った。


「ハロー、私の男の子。はじめまして。あなたのオーナーよ」

 

 オーナーは自己紹介をして、気恥ずかしそうに頬を赤らめた。この出会いをとても大切に思っていることが、すごく伝わってきた。


「はじめまして、オーナー。僕は、あなたの擬似男性ファルスです。ロクスソルス社製汎用型SHI―type666X。シリアルナンバーは――」

「つまらない自己紹介はやめてっ」

 

 オーナーは、僕の自己紹介をぴしゃりと跳ねつけた。

「ファルス」の初回起動時は製品名とシリアルナンバーを復唱することを義務付けられているので、これは僕の落ち度ではない。

 だけど、僕は頬を叩かれたみたいに強いショックを受けた。


「申し訳ありません、オーナー。不手際やお気に召さない点があったなら謝罪します。僕は、オーナーにどのように奉仕すればよろしいでしょうか?」

 

 僕は静かに謝罪をして、次の行動をとるための命令オーダーを待った。


「今のところ全てがお気に召さないわ。夢見ていた素敵な出会いが台無しになった気分。目覚まし時計に無理やり起こされて、強引に現実に戻されたみたい。つまり、最悪ってこと」

 

 オーナーは頬を膨らませながら、つんとそっぽを向いてしまった。

 彼女のガッカリとした顔を、そして小さな怒りをたたえた表情を見た時、僕の胸は強く締めつけられるように痛んだ。それと同時に、身体ボディ中から不快感と嫌悪感が湧きあがり、強い吐き気と動悸を催した。

 

 これは、僕たち「ファルス」の正常な反応であり仕様。


女性優先機構レディファースト」。


 女性に尽くし、奉仕するべく製造された「ファルス」は、女性の感情――苦しんだり、悲しんだり、怒ったり、泣いたり、悩んだり――に過敏に反応して、ノルアドレナリンなどの脳内物質や、コルチゾールなどのストレスホルモンを大量に分泌する。それらの物質は、「ファルス」に不快感や嫌悪感などの苦痛を与え、より強く女性に尽くし、奉仕するべく仕向ける。


女性優先機構レディファースト」が組み込まれていなくても、僕たち「ファルス」は常に女性を優先し、女性に尽くすように設計され、製造されているけれど、安全装置セーフティとしてそのような仕様も組み込まれている。


「大丈夫?」

 

 僕が苦しそうに荒い息をしていると、オーナーは僕にそっと駆け寄って心配そうに僕の顔を覗き込んでくれた。


「もしかして、それが女性優先機構レディファーストね?」

 

 僕は小さく頷いた。


「ほんと、下らない仕様だわ。あなたたちを、私たち女性に無理やり尽くさせようとするなんて。こんなの野蛮だし、とっても間違ったやりかただわ。とってもうんざりする」

 

 オーナーは僕の頬を優しく撫でながら、にっこりと笑ってくれた。とても素敵な笑顔を見せてくれた。それだけで僕の心は安らぎ、とても幸せな気持ちになれた。とても満ち足りた気分に。

 これが僕の心からの感情なのか、「ファルス」に組み込まれた機能システム的なものなのかは分らなかった。


「安心してね、私の男の子」

 

 オーナーは、僕のことを「私の男の子」と呼んで続ける。

 それだけで、僕は涙が出そうなくらい嬉しかった。

 それまでの不快感や嫌悪感が全て消えてしまうくらい。


「私は、あなたが私に心から尽くしたいって思えるような、そんなオーナーに――いいえ、パートナーになるって約束するわ。だから、あなたもつまらない人形ごっこなんてやめて、あなたっていう男の子として私と向き合ってね?」

「僕っていう――男の子?」

「そうよ」

 

 僕は、その意味がよく分らなくて首を傾げた。

 僕たち「ファルス」は、女性に尽くし、奉仕するためだけに製造されモノで――その価値は、女性の性的生活及び生殖のためだけにある。

 

 男の子として向き合うなんてオーダーは、僕の中にはなかった。おそらく、簡易サーバのオプションの中にもなかっただろう。クラウドサーバの行動ソフトウェアを検索できれば、それに似たようなソフトウェアやアプリケーションが見つかるのかもしれない。擬似人格プログラムあたりが、それに該当するだろう。

 しかし、僕は初期設定でオーナーの許可なくクラウドサーバにアクセスすることを禁じられいた。

 

 戸惑いを浮かべている僕に、アリスは微笑を浮かべながら続ける。


「あなたは、一人の男の子なのよ」

「一人の男の子?」

「ええ。それも、私だけの男の子よ。私の友達で、私のパートナーで、私の特別な人。だから、あなたはあなたらしく振る舞って、あなただけの個性を獲得してほしいの」

「僕らしく振る舞う――僕だけの個性を獲得?」

「うーん。いきなりじゃ難しいのかしら?」

 

 オーナーは、困ったように首を傾げた。


「オーナー、僕はどうすれば?」

「そうねえ。今のは、生まれたばかりの赤ん坊にいきなり立って喋りなさいって言っているようなものよね? いきなりそんなこと言われても戸惑っちゃうわよね。どうすれば? そうだっ――」

 

 僕が尋ねると、オーナーはとても良いことを思いついたと言わんばかりの笑みを浮かべた。そして、これからとても素敵なことがはじまると確信しているみたいに、青い瞳を宝石のようにきらきらと輝かせる。

 

 僕は、世界で一番チャーミングな笑顔だって思った。

 心から。


「まずは、あなたに名前をあげるわ。あなただけの名前を。それで、私たちは自己紹介からはじめるの。それって、なんだかとっても素敵でしょう?」

「名前? 僕だけの?」

「そうよ。あなただけの名前よ。私から名前をもらえるなんて、とっても光栄なことなんだからね? ちゃんと光栄に思って、感謝をして、一生その名前を大切にするのよ」

「わかりました。オーナー」

「それと、私のことをオーナーってよそよそしく呼ぶのは禁止。かたくるしい言葉づかいも禁止。大切なお友達に話しかけるみたいに、親しみをもって話しかけてちょうだい」

 

 僕は、その要求に戸惑った。

 僕たち「ファルス」は、いつだって女性を優先し尊重するようにできている。とくに「ファルス」を所有するオーナーは絶対的な存在で、その関係性は服従や隷属に近い。女王様に尽くす家臣のようなもの。


 オーナーを満足させられなければ僕に――「ファルス」に価値はなく、即座に処分されてしまうだろう。だからこそ、僕たちはオーナーに対して常に完璧な対応が求められる。

 

 もちろん、オーナーごとに「ファルス」への要求や要望がある。

 ファルスの取る対応にも個性や個人差といったものが出てくる。その中には、恋人や友人のように振る舞うことを求めるオーナーもいるはずだけれど、それはあくまでも演技的なもの。プレイの一環と言っても良い。


 オーナーと「ファルス」の主従がはっきりと確立した上で、そのような役割や演技を求められる気まぐれで曖昧なものだ。簡単なごっこ遊び。お姫さまが町娘の格好で城下を出歩きたいという願望のようなもの。


 そのような対応を求められた場合、通常「ファルス」はクラウドサーバから恋人用や友人用の行動ソフトウェアや擬似人格プログラムをダウンロードし、それをインストールすることでオーナーにとって都合のいい恋人や友人を演じる。


 行動ソフトウェアとは、「マーテル」に存在する全ての「ファルス」のが受容した情報を集積したフィードバックの塊で、クラウドサーバの管理AI〈アマテラス〉によって、常にアップデートとバージョンアップを繰り返している。


 だけど、僕のオーナーが僕に求めているものは、クラウドサーバが提供する行動ソフトウェアや擬似人格プログラムが造りだす一時的な役割や演技ではなかった。気まぐれで曖昧な感情や行動ではなく、ましてやかりそめの親しみや行為や関係ではない。


 そのことが、僕には考えるまでもなく理解できた。


 オーナーは、僕個人から―――僕の心から溢れ出す親しみを求めていた。

 僕が僕の意志で、彼女の大切なお友達になることを求めていた。

 僕は、その期待や願いに応えたいと思った。


 自分が、そのように求められていることが心から嬉しかった。


「わかりました。これから親しみをもって――大切なお友達に話しかけるように言葉を口にします。僕の女の子」

 

 僕が言うと、オーナーは眉間に皺を寄せて「うーん」と呻った。

 僕は、何か間違ってしまったのだろうかと不安になった。


「少し違うんだけれど、まぁ、まずは合格点ね。あなたに、僕の女の子っって言ってもらえて、私もとても光栄よ。私の男の子」

 

 僕は、そう言ってもらえてほっと息を吐いた。

 そして、溢れ出す多幸感に包みこまれた。


「でも、これからはかしこまった言葉使いは禁止。そっちのほうが、ぜったいにお友達っぽいんだから」

「わかりました。じゃなくて――わかったよ。僕の女の子」

「よろしい」

 

 僕のオーナーは嬉しそうに大きく頷いた。


「それじゃあ、今から私があなたに名前をあげるわ。とっても特別な――あなただけの名前を」

 

 そう言うと、オーナーは僕の両手を強く持って、僕を青色の宝石で照らした。

 僕は夜空に輝く星の光を浴びたみたいに、自分が色づいて行くのがわかった。

 僕の胸の奥にまで、青い星の光が差し込んだみたいに。


「私の男の子。あなたの名前はアダム。あなたは――アダムよ」

「アダム?」

 

 僕は、その三文字の名前をそっと受け取った。

 とても大切な贈り物を受け取ったみたいに。

 両手で大切に包み込むみたいに。

 

 アダム。


 そのたった三文字の言葉が、僕の中でとても大きく広がっていくのを感じた。

 僕の心を満たして、この小さな身体ボディの全てを包みこんでいくような気が。


 僕は、自分がなにものかに――

 特別な男の子に、

 オーナーの男の子に、


 アダムになっていくのを心から感じた。


「そうよ、アダム。私は――アリス。あなたのオーナーで、パートナーで、お友達で――あなたの女の子よ」

 

 オーナーは、アリスと名乗ってにっこりと笑った。 


「アリス」

 

 アリスという名前を、僕はもちろん知っていた。

 出荷時の待機スタンバイ状態の時点で、僕は初期設定時に登録されたオーナーの個人情報にアクセスすることができたので、その名前は事前に知っていた。


 それでも、彼女の口からその名前を聞くと――

「アリス」と告げられると、それは世界で一番特別な名前のように聞こえた。

 僕の胸の中でそう響いた。

 大きな鐘が鳴り響いたみたいに。

 

 アダムという名前が僕の心を満たして、僕の身体ボディ中を包みこんだみたいに――

 アリスという名前も、同じように僕の心を満たして、身体ボディ中を包みこんでくれた。

 まるで、大きくて暖かな何かに抱きしめられたみたいに。


 僕の中で、アリスとアダム――二つの名前が重なって僕を満たしている、そんな気がした。


「はじめまして、アダム。私の男の子」

「はじめまして、アリス。僕の女の子」

 

 僕たちは、その儀式めいた自己紹介を交わしてにっこりと笑い合った。

 その時、僕のはじめての笑顔は自然にこぼれた。

 満たされたカップから、甘い蜜がこぼれるみたいに。


「素敵な笑顔ね。私、その笑顔――好きよ」

 

 オーナーに――アリスに好きと言われて、僕はとても嬉しかった。


「僕も、アリスの笑顔が好きだよ」

 

 僕が慌てて言うと、アリスは顔を真っ赤にして喜んだ。


「ありがとう。さぁ、そんな狭いところにいつまでもいないで、あなたの部屋に出て。今日から、ここが私とあなたの部屋なのよ。私たちはここで一緒に暮らすの」

 

 僕は、アリスの両手に導かれるように石棺から足を踏みだして、彼女の部屋に出た。


 その瞬間、僕の目の前の世界は急に開けた気がした。

 僕は広い世界――新しい世界に飛び出した。


「ようこそ、アダム。新しい世界へ。私たち二人のセカイへ」

 

 アリスはそう言いながら、僕の手を振った。何かのリズムに合わせるように。

 僕たちは二人で部屋の中を回りながら、へたくそな踊りを踊った。

 それは世界で一番特別な踊りで、僕たちだけの舞踏会ダンスパーティだった。

 

 この日、僕たちはお互いに特別な相手を手に入れた。

 アリスは、アリスだけの男の子を。

 僕は、僕だけの女の子を。

 

 そして、僕は名前をもらった。


 アダムっていう特別な名前を。


 その名前の意味を知ったのは、もう少し後になってのこと。

 この世界が――この女性だけの街「マーテル」が、僕が考えている以上に複雑で、閉塞的で、不安定だと知った後のことだった。この街を覆う壁が少しずつアリスを押し潰して、この街の空気や公共意識が、彼女を暗く深いところに閉じ込めようとしていると気づきはじめた頃のことだった。


 全てが手遅れになって、

 アリスが、この街を嫌悪するようになった後の話。

 

 僕の手が届かなくなってしまった後の話。

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