2 What Are Little Boys Made Of?

第13話 再起動《リブート》

 

「私の男の子」


 アリスの声が、頭の中で響いている。


「アダム、ごめんね。本当にごめんね」


 アリスの泣き声と、泣きはらした顔と、そして決意のこもった青い瞳を――最後の「さようなら」を思いだして、僕はとても苦しくなった。まるで、海の底に溺れて沈んでいくみたいに。


 眠りの中に、暗闇の中にいるというのに、「女性優先機構レディファースト」はしっかりと機能していた。僕に組み込まれた機構コンプリケーションは、女性に尽くすように、オーナーであるアリスに奉仕するように、急き立てている。僕だってできることならアリスのそばにいて、アリスに尽くしたかった。


 でも、それはもう叶わない。


 そんな、その夢のようなものの残滓メモリを引きずりながら、僕は現実に戻された。まぶたの裏側に「再起動Reboot」の文字が浮かび上がり、僕は自分が起動アクティブ状態になったことを理解した。


 目を開くと、僕のマテリアルな瞳が映したのは見知らぬ天井だった。あたりを見回すと真っ白な空間で、僕はベッドの上に横になっている。

 どこかの医療施設か研究施設のようだった。


「目を覚ましたわね?」

 

 そこには、見覚えのある女性が立っていた。

 僕の記憶や記録よりもだいぶ大人びていたけれど、女性省の黄色い制服に白いコートを着た彼女は――

 間違いなく、ウカだった。


「ウカ?」

「記憶はしっかりと保たれているみたいにね。調子はどうかしら?」

 

 僕は身体ボディを動かしてみたり、記憶を探ってみたり、情報を検索してみたりした。とくに不具合は見つからなかったけれど、とりあえず再起動の手順に乗っ取って全身のスキャンとエラーチェックを開始した。


 異常なし。

 今のところは。


「あなたを無理やり再起動しちゃったから、メモリに余計な負担がかかっちゃったんじゃないかって思ったけど、大丈夫みたいね?」

「ここは、いったい? それに、どれくらいの時間が?」

 

 僕は、成長したウカの姿を見ながら――世界時計ワールドクロックにアクセスをしてグリニッジ標準時とマーテル時間を確認してみる。


「八年? そんなに」


 僕が廃棄処分にされた日から、八年以上もの月日が経っていることが分かった。

 つまり、アリスはもう十八歳になっている。


 大人の女性に。


「だけど、どうして僕はここに? 僕は廃棄処分されたはずじゃ。アリスは――アリスは、どこにいるんですか?」

 

 僕は、姿の見えないアリスのことが気になって――心配になって、その名前を呼んだ。

 僕は今すぐ僕のオーナーに、僕の女の子に会いに行かなくちゃいけない。

 そんな気がした。


 アリスは、きっと僕を待っている。

 そう思った。


「そうね。あなたにはいろいろ説明をしなくちゃいけないんだけれど、一度落ち着いて身なりを整えましょう? そんな恰好で施設内を出歩かれても困るわけだし」

 

 ウカは、長い指で僕の体の一部を指して言う。

 

 僕は、丸裸だった。

 僕は久しぶりに僕の男性器ペニスを――おちんちんを見た。

 やぁ、久しぶり。


 僕のボク。


「ミケ。彼のお世話をしてあげて。準備ができたら、私のもとに連れてきてちょうだい」

「わかりました。オーナー」

 

 ウカの一歩後ろに立っていた「擬似男性ファルス」が命令を了承すると、彼女はそのまま部屋を出て行った。


「久しぶりだね。私のことは覚えているだろうか?」

 

 特別仕立てのオートクチュールの「ファルス」は、ハンサムな微笑を浮かべて言った。女性省のエレベーターの中で会話をした「ファルス」は、僕の記憶と記録のままの姿――中性的な容姿で美男にも美女にも見える、この「マーテル」で好まれるタイプの「ファルス」だった。


 女性たちは、いつだって綺麗で美しいものを好む。

 彼は長い黒髪を一つに束ねていて、それが猫の尻尾のように見えてとてもチャーミングだった。


「覚えてる。まるで変わってない」

「それは、君もだ。僕も君も成長遺伝子をもっていないからね」

「スーツまで、まるで同じだ」

「実を言うと、スーツは前よりも高級になったんだ。私のオーナーが出世をしたからね。さぁ、君の身なりを整えてしまおう」

 

 僕は、渡された黒い服に着替えた。女性省の胸章のついた黒の制服は、驚くほど僕の体に馴染んだ。まるで僕のために仕立てられたみたいに。


 女性省で働く「ファルス」は、たくさんいる。彼らは省内で働く女性をサポートし、秘書業務やエージェント業務を代行する。中には法案の作成や、意思決定の会議にまで参加するハイスペックの「ファルス」もいる。他にも警護や警備、清掃業務、省内に入っているテナントの店員など、多くの「ファルス」が女性省に出入りする。

 だけど、ヒトの年齢で十歳に満たない少年型の「ファルス」が働いているという話は、聞いたことがなかった。

 

 つまり、この制服は最初から僕のために仕立てられたということになる。

 僕は、そのことが気にかかった。


 僕は女性省の胸章――心臓ハートの中心にカモミールの花、そして「ファルス」を象徴とするペニスの掲げられた意匠をギュッと握った。


「うん。良く似合っているね」

 

 オートクチュールのファルスは、満足げに微笑んだ。まるで、自分が仕立てた服に袖を通してもらえたみたいに。


「この制服に袖を通せるのは、女性省付きのファルスだけのはずじゃあ? 僕にできる仕事があるとは思えないけれど」

「確かにその通りだ。でも、君なら女性省でも活躍できるんじゃないかな? 君だってかなりの高級モデルだしね――アダム君」

 

 僕は、自分の名前を呼ばれたことに驚いて言葉を失った。

 

 アダム。

 

 アリス以外にその名前を呼ばれたのは、はじめてだったし――その名前が僕のマテリアルな鼓膜を震わせたのは、なんて言っても八年ぶりだったから。


「すまない。軽々しく君の名前を呼んでしまった。目覚めて最初に名前を呼ばれるなら、君のオーナーに呼ばれたかったはずだ。私の配慮の無さを許してほしい」

 

 彼は、心苦しそうに言って謝罪をしてくれた。

 僕は、ぜんぜん気にしていなかった。

 むしろ、彼が男性の名前を呼んだことに驚いた。そして彼にも名前があり、ウカが彼の名前を呼んでいたことにも


「かまわないよ。アリス以外に名前を呼ばれたのははじめてだったから、少し驚いただけだ」

「ありがとう」

「あなたにだって名前がある――ミケと呼んでも構わない?」

「構わない。ウカは、私に自分のもう一つの名前をつけてくれた。そして、私的な場では互いに名前で呼び合っている」

「もう一つの名前?」

「ああ。ウカの名の由来は――ウカノミタマノカミ。日本の古い神が由来となっている。穀物と豊穣の神で、別の名前にミケツカミという名がある。私のオーナーは、私にその名前を与えてくれた」

「神の名前でもあり、女性名でもある。慈母たちに嫌われそうな名前だ」

「一般的にミケは猫につけられる名前らしいから、ペットの名前だと思えば聞かれても問題はないだろう。それに、君の名前よりはマシさ」

「たしかに」

「でも、なるべくなら他言はしないほしいでほしい」

「約束する」

 

 慈母とは、一般的に女性省で働く女性官を現す言葉。女性官同士で使う場合には力関係を表す言葉でもあり、年上の職員や上級の職員を指してそう呼ぶ。最上級の称号は女神や聖母で、これは代表女性官にしか用いられない。

 

 つまり、アリスの母。

 マルタ


「さて、支度も済んだところだしそろそろ行こう」

「それよりも、ここはどこなんだ?」

「ここは、ロクスソルス社だよ」

「ロクスソルス社?」


「つまり、僕と君が生まれた子宮だ」

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