第40話 姉妹《国境線》

 そこは、青い薔薇の庭園だった。

 広々とした展望台ような空間に、青い薔薇の花が一面咲き誇っている。まるで、丸テーブルの上を飾る花瓶の花たちのように。


 そんな円形の空中庭園の中央はぽっかりとくり抜かれていて、見たところ、この最上階のフロアはドーナツ状の空間になっているみたいだった。

 中央の穴は、地上まで続く吹き抜けのトンネルになっている。

 

 空中庭園を囲む壁や回廊、天井の全てがガラス張りなっていて、窓の外には静まり返ったマーテルの景色が、天井には星の無い夜空が映し出されていた。そして、遺伝子操作された常緑樹によって、この空間の気温や湿度は完璧に保たれている。

 

 ロクスソルス社の最上階は、青い薔薇のためだけの温室のようだった。


「ごきげんよう、アリス。ようこそ、ロクスソルス社の空中庭園へ。この場所は本来、誰も入ることができない秘密の花園なのよ」

 

 最上階で僕たちを待ち受けていた女性は、ウカだった。

 彼女の一歩後ろには、全てが特別な「ファルス」が立っている。


特別仕立てオートクチュールの「ファルス」――ミケは僕を見つめると、穏やかに目元を緩ませた。


「ごきげんよう、お姉さま。私のお相手は、お姉さまが?」

 

 アリスは、挑むように言う。

 再会をした姉妹は、向かい合ってお互いを見つめ合った。その瞳の奥にあるものを、胸の内にしまったものを、それぞれの考えを見据え、推し量るように。

 

 幼い頃、この姉妹二人はよくこうして向かい合い、見つめ合っていた。ウカは休日になるとアリスの家に遊びに来て、アリスをお茶会に誘った。

 二人は一緒に特別な時間を過ごした。

 

 時折、アリスは僕を伴ってウカのお茶会に出かけて行った。自分が唯一「お姉さま」と呼んで慕う女性に会える日を、アリスはいつも心待ちにしていた。

 二人が楽しげに会話をした日々を、僕は昨日のことのように思い出すことができる。


「アリス、このマーテルの女性たるもの――常に穏やかで優雅でなくてはいけないわ。あなたは一番お転婆な女の子だから、とくにこのことを忘れないようにね?」

 

 ウカが澄ました顔でアリスに指摘をする。

 ウカは、いつだってアリスのことを気にかけていた。


「えー、お姉さま。私だっていつも穏やかで優雅よ? お姉さまを見習っているもの」

「この間、クラスの女の子たちに男性についての演説をぶったって聞いたけれど? あなたの話を聞いた女の子たちは、聞いてはいけない話を聞いたと思い込んで、泣き出してしまったって」

「それは、クラスの女の子たちが男性の悪口ばかり言うから。見てもないし、詳しく知りもしないのに悪口を言うなんて、品がないって言っただけです」

 

 アリスは頬を膨らませる。

 そんな妹を見て、ウカは優しい微笑を浮かべる。


「アリス、男性擁護も良いけれど、それよりも、もっとクラスに溶け込んでみんなの話を聞いてあげなさい。彼女たちがどうして男性に不安を抱いて、男性の何を恐れているのかを知れば、あなたが将来、女性省に入省した時にきっと役に立つわ」

「はーい。でも、クラスの女の子ってみんな子供っぽいんだもん。お姉さまなら、私の話を否定せずに最後まで聞いてくれるのに」

 

 アリスは、ウカの前ではいつも子供っぽくなった。

 素直に甘えたり、わがままを言ってみたり、あえて困らせるようなことも言ったりした。自分の話をちゃんと聞いてもらえることが嬉しくて、自分の考えを否定されないことが嬉しくて、アリスはなんでもウカに話して相談した。

 

 二人は、本物の姉妹以上に姉妹だった。


「そうね。話を聞くのは非常に重要なことね。それ以上に、私たちが分り合うことが重要なのよ。あなたも、しっかりと人の話を聞いてあげられる女性になりなさい。さぁ、お茶が冷めてしまうわ」

 

 ウカは、いつだってアリスの話を親身に、そして丁寧に聞いてくれた。

 だけど今――


 心を通わせていた姉妹は互いに向かい合い、対立をしている。

 二人の間に、国境線が引かれてしまったように見えた。


「アリス、今直ぐにロクスソルス社から盗み出したデータを――〈少女の見た夢マザーグース〉を返して、おとなしく自首なさい。それが、今回の事件を収める最も適切な方法よ」

「ええ、私もそのつもりです」

 

 アリスは、素直に応じて続ける。


「だけど、その前に私は、この街の真実を尋ねたいんです。全てを知っているはずのハダリに。そして、このマーテルに待ち受ける未来について、彼女の見解を聞きたいんです」

「それは無理よ」

「どうしてです?」

「あなたには、殺人事件の容疑が二件もかかっている。この〈女性だけの街〉で、もう百年以上起きていなかった殺人と言う罪――危険で野蛮な男性の罪を、あなたは二度も犯した。そんなあなたを、ハダリ様に合わせられると思う?」

「お姉さま、まず第一に私は殺人なんて犯していません」

 

 アリスは、ウカに自分の無実を訴えかける。

 一番疑われたくない女性に疑われている。

 そのことをがアリスを強く傷つけていた。


「そもそも、どうして私がナオミと、私の母を殺害しなければいけないんですか? ナオミは、私と同様にこの街の真実を知ろうとしていた。母は、私が求めた助けに応じようとしてくれていた。そんな二人を私が殺害する理由がどこに? そしてお姉さま、殺人は男性だけの罪ではありません。かつて、男性と同じように多くの女性が罪を犯した。その中には、殺人だってあったはず。〈性別離ディボース〉以前の世界は、確かに多くの罪に溢れていたけれど、それは男性だけのものではない。男性だけが罪を犯すという間違った考えのせいで、この街は今――未来の無い行き止まりに立たされているんです」

「アリス、あなたの詭弁きべん戯言ざれごとはもういいわ。あなたは昔から、いつもおかしなことを言って私を困らせた。今回も、私たちを困らせてどうしようというの?」

「違います」

「違わない」

 

 アリスが説明をしようとすると、ウカはそれを遮って続ける。

 ウカは、頑なにアリスの話を拒み続ける。

 何も聞きたくないと耳を塞ぐみたいに。


「アリス、あなたは昔から男性を追い求めていた。あなただけが男性という性を擁護して、その面影を探し求めていた。この街の公共に疑問を持って、聖母主義マリアイズムを否定しようとしていた。あなたは、この街を壊してしまいたいのよね?」

「違います」

 

 アリスは首を横に振る。


「私は、この街を否定したかったわけじゃない。壊したいなんて思っていない。ただこの街のいびつさを、ゆがみを、幼いながらに感じていただけです。それに、それを感じているのは私だけじゃない。この街の多くの女性が、女性省の押し付ける公共性や女性観に戸惑いを抱いている。女性省で働く女性の多くも、それを感じているんです。だから、ナオミは私に協力をしくれた」

 

 ウカは困ったように首を横に振り、表情を強張らせる。


「アリス、あなたはこの街の女性が――私たち女性が男性を産めないということが、そんなに気に入らないの? それを今さら暴き立ててどうしようというの?」

「お姉さま、どうしてそのことを?」

 

 アリスは、驚いたように目を見開いた。

 青い瞳を動揺で震わせて、目の前の姉を信じられないと見据える。

 

 アリスが危険を冒してまで手に入れた情報を、上司と母親を失ってまでたどり着き、知り得たこの街の真実を、ウカはすでに知り得ていた。


 ウカはそんなアリスを見て勝ち誇るように微笑み、両手を広げてみせた。まるで全能であるかを示すかのように。


「ハダリ様に、全て教えてもらったわ」

「お姉さま、それを知っていて――おかしいと思わないんですか?」

「なにがおかしいというの?」

「この〈女性だけの街〉の代表である女性官にすら知らされない真実が、存在しているんですよ? それに、この街で暮らす全ての女性が偽りの真実によって、外の世界を拒絶しているかもしれないんですよね? 女性省の掲げる聖母主義マリアイズムも――公共意識も、女性観も、その全てが虚構によって成り立っているのかもしれない」

「アリス、あなた幸せな夢を見た朝――それがただの夢だったからといって、少女が抱いた幸せな気持ちまで否定するの?」

「お姉さま、なにを言って?」

「ここは、多くの女性たちが見た夢なのよ。あどけない少女が見た夢。今なら、ハダリ様がそれを〈少女が見た夢マザーグース〉と名付けた意味が分かるわ」


少女が見た夢マザーグース〉。

 少女の見た夢。


  それそのものが――この「マーテル」だと言いたいのだろうか?


「過去、多くの女性たちが男性によって傷つけられた。差別され、否定され、世界の片隅に追いやられた。このマーテルは、その傷を癒すために創りあげられた女性たちの夢なのよ。とっても幸せな夢なの。あなたは、それが気に食わないからと言って、あなたの求める男性がいないからと言って――その夢を壊そうというの?」

「違う」

 

 アリスは首を横に振る。


「私は、そんなことは思っていない。この街を壊そうなんて。お姉さまだって、本当は分っているはず」

「私が、何を分っていると?」

「この街は、女性たちの夢なんかじゃない。女性たちにとって都合の良い嘘を肯定するための檻でしかない。私たちが男の子を産めないと事実が、世界にとってどういう意味をもつのか。そんなことは考えるまでもなく分るはず」

「ええ、私たちが外の世界に出て行けば、私たちはいずれ、男性と言う性を消し去ってしまうかもしれない。だからこそ、私たちはこの女性だけの街で小さな楽園を築いている」

 

 ウカは苛立ったように尋ねる。

 彼女自身も、その本当の意味を知らないみたいに。

 

 アリスは、ウカの反論を受けて一瞬口ごもる。

 その先の言葉が、ウカを――大切な姉をとても傷つけると知っているから。


 だから、アリスは彼女がまだ気づいていないこの街の本当の真実を、この街のカタチ告げることを僅かにためらった。アリスの考えが本当に正しかったのなら、それはこの街の存在を全く別のものに変えてしまう。

 

 それは、白が黒に塗り替わることと全く同じだった。


「良く考えてみてください。もしも、私たちが女の子しか産むことができず、男性という性を消し去ってしまう存在なら――そんな可能性をもった存在に対して、世界はどのように対処するでしょうか?」

「世界が、私たちをどのように対処する?」

 

 ウカは押し黙った。

 思考をその先に進めることを拒否したように、口をつぐんでアリスを睨みつける。


「お姉さま、『ハンセン病』と言う病気をご存じですか?」

「『ハンセン病』?」

「過去に世界中で確認された――末梢まっしょう神経や、皮膚がおかされる病です。顔や手足が化膿し、そこから膿が出たり顔の形が変形したり、重症化すると神経障害が残る、恐ろしい病でした」

 

 アリスは病気の説明をはじめる。

 ウカは、アリスから聞かされた恐るべき病を想像して身震いをした。


「けれど、『ハンセン病』で最も恐ろしかったのは、その症状ではなく――偏見と差別です」

「偏見と差別?」

「『ハンセン病』は非常に感染力が弱かったにもかかわらず、様々な誤解や風説、そして恐怖によって、伝染力が非常に強いと信じられた。医療への理解が乏しかった時代的背景もあるでしょうが、その多くは自分や、自分の大切な人にも感染するかもしれないという潜在的な恐怖。その結果、『ハンセン病患者』は世界中で隔離され、壮絶な差別を受けた。世界各地で『ハンセン病患者』を強制的に集めて隔離するコロニーやサナトリウムがつくられた。どこにも逃げることの出来な場所に、大勢の患者を閉じ込めたんです」

 

 ウカは、アリスが何を言おうとしているのかを理解して首を横に振った。

 わなわなと震える唇が、「やめなさいと」言っているように見えた。


「お姉さま、もしも私たちが男の子を産めないと事実が、何かの病だとしたら、遺伝子的な欠陥を患っていたのだとしたら――その病が必ず次の世代に遺伝するものだとしたら、世界は私たちをどうすると思いますか? 強制的に隔離しようとしたとしても、おかしくはないと思いませんか? この女性だけの街は――マーテルは、私たちを隔離し、閉じ込めておくための偽りの楽園なのではないのですか?」

 

 アリスは核心を突くように言う。

 僕との会話でも濁していたこの街の真実を、ついに口にする。


「そんなことない。そんなことがあるわけがないわっ」

 

 ウカはついに声を荒げて叫んだ。

 その瞳の奥には激しい嵐が渦巻いていて、アリスをむきだしの瞳で睨みつける。


「ここは、私たちの楽園よ。女性だけの理想郷ユートピア。仮にアリスの言っていることが正しいとして、私たちが世界から閉じ込められ隔離しているのだとして――それが、いったい何だというの?」

 

 ウカは両手を再び大きく広げて、開き直ったように言う。


「私たちは、この楽園の中で生きて行けばいい。女性だけのこの世界を維持して行けばいい。そうすれば、危険で野蛮な男性のいる世界を気にする必要もない」

「私も、お姉さまと同じように思っていました」

 

 アリスは、ウカの言葉に表情を歪めて言う。

 とてもつらそうに、とても悲しそうに。


 これ以上、目の前の姉を悲しませたくないと。


「この〈女性だけの街〉がこれから先も維持され、続いていくのなら、私も壁の外の世界なんて気にすることなく、この街の中で生きて行けばいいのかもしれないと思った。だけど、私たちは今行き止まりに立っている。このままだと――私たちに未来はないんです」

「私たちに未来がない? アリス、いったいあなたは何を言っているの?」

「そもそも、私とナオミがこの問題を調査しはじめたのには――理由があるんです」

「理由?」

「たしかに、私は幼い頃、男性の面影を追っていた。男性と言う性を追い求めていた。だけど、私は自分のその願望を満たすために、ロクスソルス社から〈少女の見た夢マザーグース〉を盗み出しんたんじゃない。ナオミが女性省で担当していた委員会と部局を覚えていますか?」

「ナオミ様の担当委員会と担当部局? 〈青少女健全育成委員会〉と〈保健局〉の長を務めていたのでは?」

「そうです。〈保健局〉は、このマーテルの医療、健康、出産、子育てに関する局です。お姉さまはご存知でしたか? 現在、この街の人口が減少に転じていることを?」

「この街の人口が減少に転じている?」

「理由は、様々な要因が重なったことによる複合的なものですが、実は一つ重大な理由があるんです。それは現在、この街の二十五歳以下の女性たちが不妊に悩んでいるんです」

「不妊?」

「はい」

 

 僕は、マダムが話していた不妊の女性が増えているという話を思い出した。そして子供が減っているという話を。

 

 それが、この街の真実とどのような関係があるのだろうか?

 ここから先は、僕も聞かされてない真実。

 

 アリスがこの八年間でたどり着いた、この街の問題と真実だった。


「この問題は、ナオミが最年少で代表女性官に任命される八年前から起きていたことです。その頃から、出生率は下がり続けていました。しかし、その時は女性たちの出産年齢の引き上げや、キャリア志向の上昇によるものだと考えられていた。しかしここ数年、不妊によって子供を出産できないと相談に来る女性の数が増え、その大半は二十五歳以下の女性だと判明した。彼女たちは、このままで公共の女性としての役目を果たせないと思い悩み、精神科医のカウンセリングにかかっています」

 

 ウカは、意味が分からないと戸惑いの表情を浮かべていた。

 この話の行きつく先が、僕と同じように見えていないみたいだった。


「人口シミュレーションの結果、このままのペースで不妊の女性が増え続ければ――近い将来、私たちはこの街を維持できなくなる」

 

 そして、アリスはこの街の未来を――行きつく先を言葉にした。

 行き止まりの未来を。

 

 その声のソリッドさは、現実を強く突きつけるように重く、それでいて鋭かった。まるで冷たいナイフのように。


「この街を、維持できなくなる?」

「この街の全ての労働を〈SHI〉――ファルスで補い、女性省の意思決定にまで彼らの力を借りて、ようやくこの街の公共は維持できる。その時、この街のファルスと女性の人口は逆転。この街は、遠からずファルスの街になる」

「このマーテルが、ファルスの街になる? そんなこと――」

「嘘ではありません。お姉さまの端末デバイスに詳細なデータを送ることもできます。それをご覧になれば、私たちが今置かれている状況が理解できるはず」

 

 アリスは腕に巻いていた端末を操作して、即座にそのデータを送信した。この場にいる僕とミケにも。

 

 僕はそのデータを受け取り、視界に展開してみた。

 そこには、アリスが語った通りのデータが記されていた。


 近い将来、「マーテル」はこの街の公共を維持するだけの人口を保てなくなり「ファルス」の数が増加。高齢化によって働けなくなった女性たちの介護をするために、さらに「ファルス」の数は増加。そして、この街の「ファルス」の数は女性の人口を遥かに越える。

 

 未来、この〈女性だけの街〉は――


「このマーテルが消滅する?」

 

 ウカは、絶望したようにその言葉を口にした。

 厳しい寒さに震えたような、凍えた声で。


「最終的に、この街はわずかな女性たちと、その数百倍のファルスが存在する空っぽの街になります。その時、残されたわずかな女性たちは何を思うでしょう? 未来のないこの街で、なにに希望を抱いて生きて行けばいいでしょうか? 繋ぐべき子供たちのいない世界で――」

 

 アリスは尋ねる。

 この街の未来のカタチを問うように。


「この未来の可能性を知った時、私はこの街の真実を知る必要があると確信したんです。そもそも、私たちはなぜこの街に閉じこもって暮らしているのか? なぜ、この街の女性は、女の子しか産まないのか? なぜ、私たちは今子供を産めなくなっているのか? その全ての答えがロクスソルスにあると思ったからこそ――私とナオミは、ファルスの製造データの開示を要求したんです。この事実を公表する前に、全てを知っておく必要があったから。そして〈少女の見た夢マザーグース〉を見た時、私は一つの仮説を立てました」

 

 アリスは、真実の扉を開くように言う。

 幼いころから手を伸ばし続けてきたものを、ようやく掴もうとしていた。

 

 ウカは心ここに在らずで立ち尽くしている。悲嘆にくれた表情を浮かべたまま、ただ静かに。ウカの後ろの立つ彼女の「ファルス」――は、そんなオーナーを心苦しそうに見つめていた。

 

 僕はそんな彼を見ていたら、とても胸が痛んだ。彼が心の底から悲しんでいることが伝ってきて、僕はその悲しみを取りのぞき、やわらげてあげたいと思った。


「私たちは望んで壁の内側に入り、そこで理想郷ユートピアを築いたのではない。私たちは、世界からこのマーテルという小さな箱には閉じこもることを要求されたんです」

 

 アリスはようやくたどり着いた自分の仮説を、おそらく最も真実に近いであろうこの街の過去を――御伽噺フェアリーテイルを語り続ける。

 

 少女が見た夢を終わらせるために。

 未来を紡ぐために。


「外の世界にとって、私たちの持つ遺伝子は危険です。私たちの遺伝子が世界中に拡散されれば、人類は種の未来を閉ざすことになる。だから、私たちはこの女性だけの街に閉じ込められた。私たちが世界を――男性を拒絶したんじゃない、私たちこそが世界から拒絶され、そして男性に拒絶された。私たちは今も差別をされ、そして迫害を受けている」

 

 この街の女性たちが、今も差別され迫害されている。

 この街に閉じ込められている。

 

 女性たちの楽園――理想郷だと思っていた「マーテル」に。

 それが、この街で暮らす女性たちにとってどれほどの絶望なのか、僕にはまるで想像もつかなかった。だけど、ただ苦しそうに、今にも泣きそうな表情で語る続けるアリスの声が、僕の胸を強く震わせつづけた。


「それでも、この街が私たちにとって理想郷であり続けるなら、私たちは可能性の中で生き続けることができる。しかし、今その理想郷すら私たちは失おうとしている。私たちは、可能性や未来すら失い――絶滅の淵に立っているんです」

 

 絶滅。

 この街の消滅。

 

 アリスたちが消えてしまう。

 未来が消えてしまう。


「それがどうしてなのか――その理由は分りません。なぜ、私たちが子供を産めなくなっているのか、それはまだ不明です。女の子しか産めないという遺伝子的な欠陥が、さらに進行した結果なのか? それともファルスとの交配を続けた結果、私たちの遺伝子が変化したのか? または、もっと別の理由なのか? 複合できなものなのか? まだ答えはない。でも、おそらく多様性の欠如が、私たちの遺伝子を閉ざし――未来を奪ったんだと思います」

「多様性の欠如?」

 

 多様性。

 この街が失ったモノ。

 切り捨てたモノ。


「進化とは、遺伝子を次の世代に繋げるうえで起こる環境への適応です。そのためには、多様性を必要とする。様々な可能性の中から、未来に遺伝子を残すための最適なカタチを模索する。だけど、私たちは多様性を切り捨てた。女性という性だけを肯定して、女の子しか産めないと環境を受け入れてしまった。それだけでなく、公共の女性という概念を――聖母主義マリアイズムを理念として掲げ、女性という性すら、一つのカタチに統一しようとした。結果、遺伝子は次の世代に種を繋げる意義を失い、環境へ適応する術を失い――そして、可能性を失った。結果、自ら種を閉ざす選択をした」

「そんなことが、そんなことがあるわけ?」

「お姉さま、この空中庭園に咲いた青い薔薇が、種を残せない不稔性ふねんせいであることを知っていますか?」

 

 アリスは、庭園に咲き誇る青い薔薇たちに視線を向けた。


「本来、薔薇は、青い色素となるデルフィニジンを持たない。そのため、青色発色性をもつ他の植物――パンジーやトレニアの遺伝子の一部を組み込むことで、青い薔薇を咲かせることに成功しました。しかしその結果、この花の遺伝子情報は薔薇と異なり、薔薇でありながら薔薇とは呼べない花になってしまった。そして、子孫を残すことも叶わなくなった。この街に植えられた多くの花や植物が、この青い薔薇と同じです。様々な遺伝子操作の結果、本来の遺伝子情報とは別の何かへと変わってしまった。私たちも、そのような何かに変ってしまったのでは?」

 

 アリスは、温室の天井を強く見つめる。


「ハダリ――だからこそ、私はあなたに真実を聞きに来た」

 

 アリスは、ハダリの名前を大声で呼んで尋ねる。

 

 このロクスソルス社の代表。

 全てのファルスの産み親。

 母。

 

 ハートの女王。

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