第42話 犯人《ひとりぼっちの》

「アダム、アダムっ」

 

 大きな声が聞こえて目を開くと、アリスが顔を歪めて僕を見下ろしていた。

 

 僕は、一瞬なにが起きたのか判断つかずにいたけれど、直ぐに身体ボディを襲う激痛によって理解した。ウカが電磁加速短針銃レールフレシェットガンの引き金を引く瞬間、僕は身を乗り出してアリスの前に立った。そして、電気を帯びた短針を受けて気絶した。

 

 僕は左胸に短針を受け、そこからじくじくと赤い血が流れていた。身体ボディは麻痺したままで、ろくに身体ボディを動かすこともできなかった。


「アダム、大丈夫? こんなに血が、どうしよう? ぜんぜん止まらない」

 

 アリスは褐色の肌を蒼白とさせ、涙を流しながら僕の手当てをしようと慌てふためいている。そんな様子がどうしてかおかしくて、僕は思わず笑ってしまった。


「なに笑ってるのよ? こんなに血を流してのよ。こんなに酷い怪我なのよ。死んじゃうかもしれないんだよ?」

「ごめん。子供っぽいアリスを見るのは久しぶりで、なんだか懐かしくなって」

「バカなこと言ってないで」

「大人の女性になったアリスを見て、こんなに綺麗になったアリスに再会して――僕はずっと戸惑ってたんだ。僕の身体ボディは小さいままだから」

「バカね。私はなにも変わってないのに」

「うん。全然変わっていなくて安心したんだ。僕の女の子」

「私の男の子。あなたは、少しだけ変わったわ。とってもたくましくなった」

 

 僕たちは過去を振り返るように、二人だけの記憶をなぞるようにお互いを呼びあった。

 

 私の男の子――

 僕の女の子、って。

 

 アリスは僕の傷を手で押さえながら、顔を上げる。


「お姉さま――あなたが、私の母とナオミを殺したんですか? そして、私の男の子も殺そうとしたんですか? 答えてっ」

 

 アリスは、ウカを睨みつけて尋ねる。

 そして、自身も短針銃を握って彼女に狙いをつける。

 

 ウカは、自分がしてしまったことが信じられないと言うように顔を横に振った。自分が暴力に憑りつかれてしまったことに、激しい衝撃を受けているみたいだった。

 

 それもそのはずだ。

 ウカにとって暴力とは――危険で野蛮な男性そのもの。

 

 そんな彼女が、代表女性官を殺害するわけがない。

 自分の尊敬する上司を、そして最愛の妹の母を。


 ウカは自分が男性と同じものに成り下がったと知って、あまりのショックで放心していた。まるで魂が抜けたように。

 

 そんな彼女を支え、そして庇うようにアリスの銃口の前に立ったのはやはり――ミケ。

 全てが特別な、ミケ。


 特別仕立てオートクチュール

 僕の相棒だった〈SHI〉。

 

 そして、僕が好意を抱いたアリス以外の――


「アリス、いいんだ」

 

 僕は少しだけ動くようになった身体ボディを動かして、アリスが握っている短針銃に手を伸ばす。


「アダム、あなたは今殺されそうになったよ? それに、もしかしたらお姉さまが――」

 

 僕は、アリスの言葉を遮るように首を横に振る。


「違うんだ、アリス。二人の代表女性官を――マルタとナオミを殺害したのは、ウカじゃない」

「じゃあ、いったい誰が?」

 

 僕は、その人物に視線を向けた。

 僕と目が合うと、今回の事件の犯人は全てを受け入れたように穏やかに微笑んだ。


「二人を殺害したのは、あなたなんだろう? ミケ」

 

 僕は、犯人の名前を口にした。

 確信をもって。

 

 ミケと。


「お姉さまのファルスが、二人を殺害した犯人? そんなこと、無理よ。だって、あなたたちファルスには――〈女性優先機構レディファースト〉が」

 

 アリスは困惑の表情で首を横に振る。

 確かに〈女性優先機構レディファースト〉がある限り、僕たちは女性に危害を加えることはできない。

 

 でも、それは正確な説明じゃない。

 

 ミケはなにも言わずに微笑を浮かべたまま僕を見つめ続け、その〈SHI〉の腕の中にいるウカは、そんなことは信じられないとミケを見つめていた。


「ミケ、あなたは女性だったんだね」

 

 僕が確信をもって言うと、ミケはゆっくりと頷いた。


「ありがとう、アダム。君なら――私を見つけてくれると思っていた」

 

 ミケはゆっくりと自分の髪をまとめている髪留めを外して、その長い髪の毛を解き放った。

 

 まるで、自分自身を解き放つように。

 その端正な顔立ちは、心を奪われるほどに美しかった。


「お姉さまのファルスが――女性?」

「ミケ、そんなわけ――だって、あなたの身体ボディは?」

 

 アリスと、ミケのオーナーであるウカが同時に疑問を口にする。

 ミケは、ただ黙ったまま僕の言葉の続きを待っていた。

 全てを暴き立てられるの瞬間を。

 

 彼――ではなく彼女は、解放されたがっているんだと思った。

 僕の胸の奥は、強く痛み続けている。

 血を流し続ける左胸よりも。

 別の痛みが、僕を包み込んでいる。


「僕は、ずっとあなたに――ミケに好感を抱いていた」

 

 あのエレベーターの中で会話をした時から。

 はじめて出会ったあの時から。


「ミケが悲しそうな顔をするたびに、僕の胸は締めつけられ、そして痛んだ。アリスの悲しい顔を見た時と同じように」

 

 僕は、ミケと出会った時のことを思い出した。

 あの時から、僕はミケのことが好きだった。


「僕は、とある女性から性の多様性について話を聞いた。性とは――女性と男性と簡単に二つに分けられるものではないと」

 

 僕は、マダムの言葉を思い出していた。

 かつて切り捨てられてきた少数の人たちの話を。


「ミケ、あなたは――男性の身体ボディをもった女性なんだね」

 

 そして、僕は思い至った。

 ミケが、女性である可能性に。


「アダム。君の言う通りだ。私の身体ボディは、間違いなく男性のものだ。しかし、私の性染色体はXX。つまり女性の染色体を持っている。そのせいで、私は〈女性優先機構レディファースト〉がうまく働かない」

 

 ミケは、全てを認めて頷いた。


「なるほど」

 

 言葉を失っているアリスとウカとは対照的に、ハダリはミケを見て頷く。


「〈女性優先機構レディファースト〉は、本来は異性優先機構とするのが正しい。君たちの身体ボディに組み込んだ機構は、異性の発するホルモンやフェロモンに強く反応するように設計されている」

 

 ミケが〈女性優先機構レディファースト〉の仕組みを説明する時も、女性と言わずに異性と言った。

 

 ミケは、わざとそのように説明したんだ。

 僕に見つけてもらうために。


 ミケは、誰かに自分を見つけてほしかったんだ。


「しかし、アンドロゲン不応症によるインターセックスか? 遺伝子的欠陥が身体ボディに発現しなくとも、遺伝子の欠陥は十分にあり得た。おそらく、これまでもインターセックスの個体はいたのだろう。しかし、それが発見される前に処分されてきた」

 

 ハダリが、ミケの言葉を補足するように言った。

 彼女は、とても興味深そうにミケを見つめている。

 

 ミケはハダリの言葉にはそれほど興味を示さず、とくに驚いた様子もなく彼女の言葉を受け取った。


「私は、自分が他のファルスと違うことに気が付いていた。だから自分がXXの染色体を持っていると知った時も、さほど驚きはしなかった。私は、この街で唯一〈女性優先機構レディファースト〉に縛られないファルスだ。しかし、それを悪用しようとは――自分のために利用しようとは、思わなかった」

 

 そして、ミケはウカを見つめる。

 とても大切な人を見つめる優しいまなざしで。


「〈女性優先機構レディファースト〉が正常に働くなくても、私は私のオーナーを愛していた。彼女のために尽くしたいと思っていた。だから、いつかこの身体ボディと染色体との不一致が――遺伝子的欠陥をもって生まれた私の身体ボディが、ウカの役に立つと確信していた」

「ミケ、あなた?」

 

 ミケの腕の中にいるウカは、自分の〈SHI〉を見つめてその名前を呼ぶ。

 大切な存在にようやく気が付いたように。

 ウカは自分を抱きしめるミケの腕にそっと触れた。


「ウカ、私は二人の代表女性官を殺害してしまった。あなたのファルスとして相応しくない働きをしてしまった。本当に申し訳ない」

「どうして、あなたがそんなことを?」

「私のオーナーが――あなたが怯えていたからだ」

「私が、怯えていた?」

「あなたは、この街の真実が露見することをひどく恐れていた。この街の壁が消え、この街が外の世界と――危険で野蛮な男性たちのいる世界と、再び繋がるかもしれないことに恐怖していた。何度も眠れぬ夜を過ごしていたし、夢の中で何度も泣いていた。そして、助けてと叫んでいた」

 

 僕は、アリスが夢の中で泣いていたことを思い出した。

 だから、自分の大切な女性が泣いている時に抱いたはずのミケの気持ちが、手に取るように分った。


「そしてあなたは、何よりもアリスを恐れていた。全ての真実を知ろうとする彼女を」

「だから、私のために?」

「ああ。だから、私が殺した。この街の真相にたどり着こうとするものは――私が全て排除すると決意した。アリスのことも殺すつもりだった。あなたのために」

 

 ミケは、ウカを見つめてそう言った。

 はっきりとその決意を口にしてみせた。

 

 ミケの気持ちが、僕には痛いほど分った。

 僕だって、アリスのためならなんだってやると何度も決意してきた。もしも、僕がミケと同じ立場だったら、僕も彼と同じ選択をしたかもしれない。


 だけど、ミケがアリスのことを「殺すつもりだった」と告げた時、僕はこれまでで一番悲しい気持ちになった。こんなに悲しいことがこの世界にあるのかと思えるほどの悲しみに包まれた。


 どうして、僕たちはこうして向かい合ってるんだろう?

 どうして、僕たちは共に歩めなかったんだろう?


 僕には、そのことがどうしても理解できなかった。

 僕たちは、こんなにも相手のことを思いやっているはずのに。


「私の弱さが、あなたを追いこんでしまったのね? あなたは私に好意を抱く機能がないにもかかわらず、私に好意を抱いてくれた。私を愛してくれた。なのに、私は。私は、私こそ――あなたのオーナーに相応しくない女性だったのね?」


 ウカはとても悲しそうに言って、涙を流した。

 ようやく自分の過ちに気が付いたように。


「違う。私のオーナーは、誰よりもこの街と、この街の女性のことを思っていた。私が欠陥品だっただけだ。私が間違った遺伝子をもって生まれてきてしまっただけ。私は、この街にいてはいけない存在だった」

 

 ミケも心苦しそうに言って俯いた。

 僕はこの悲しい二人に何か言葉をかけてあげたかったけれど、その言葉が見つからなかった。


 何一つ。


「ミケ、あなたは欠陥品でも、間違って生まれてきた存在でもない。あなたのそれは――あなただけの個性よ」

 

 そう言ったのは、アリスだった。

 僕の手をギュッと握ったまま、アリスは真っ直ぐにウカとミケを見つめて続ける。


「ミケ、あなたの存在こそが――私たちが失ってしまった多様性の一つなのだと思うわ。かつて、世界には様々な性が溢れていた。この世界には、女性と男性の二つの性があるだけじゃない。心と体の性が違うヒトなんて、たくさんいた。自分の性に悩む人が大勢いた。そんなことは、当たり前のことなのよ。そうしたヒトたちは、時に欠陥を抱えていると言われ、病気や障害だと診断されて治療を受けさせられ――そして、世界が勝手に規定した女性と男性という二つのカタチに押し込まれようとした。でも、それは私たちの中から生まれた個性なのよ。絶対に欠陥や間違いなんかではないわ」

 

 アリスは、はっきりと断言した。

 ミケの存在が、欠陥や間違いなんかではないと。


「アリス、あなたは私を恨んでいないのか? 私はあなたの母親を殺害した。それに。あなたの上司であるナオミも。そして、あなたのことも――」

「正直なことを言えば、今ここであなたを殺してやりくらいに、私はあなたを恨んでいる。私の母とナオミを殺したあなたを、私は許せないと思う」

 

 アリスは、自分の感情を押し殺しながら言葉を続ける。

 アリスは、自分がミケを許せないということに苦しんでいた。

 そんなことは、アリスの顔を見れば直ぐに分った。


「でも、あなたはこの街が切り捨ててしまった、この街の女性たちが切り離してしまった――私たちの罪そのもの。私たちが、あなたを孤独にして、あなたを追いこんだ。あなたを、ひとりぼっちにしてしまった。ごめんなさい、苦しかったわよね? 私たちは、もっと早くにあなたを見つけ出すべきだった。きっと今も、この街には孤独なヒトがたくさんいる」

 

 アリスの言ったヒトという言葉には、この「マーテル」にいる全ての存在が含まれていた。

 

 女性も、

「ファルス」も、

〈SHI〉も、

 

 それに当てはまらないヒトも。

 全てのヒト。

 

 それが分ったからこそ、ミケはその黒い瞳から涙を流した。


「私は、取り返しのつかないことをしてしまった。なんてことをしてしまったんだ? あなたのようなヒトを手にかけようとしていたなんて」

「アリス、ミケのオーナーとして私からも謝罪するわ。私たちは、あなたを傷つけて苦しめた。この街に、混乱と恐怖を巻き起こしてしまった。本当にごめんなさい」

 

 ウカはミケの頭をそっと撫でながら、申し訳なさそうに顔を歪めた。


「あなたの言う通り、この街には新しい変化が必要なのかもしれない。あなたの言う、孤独を抱える全てのヒトを見つけてあげなくちゃいけないのかもしれない。多様性を受け入れる必要があるのかもしれない。でもねアリス、その多様性を受けれることができない女性もいるということを忘れないで? 私のように弱い女性も多くいる」

 

 ウカは、ミケと視線を合わせる。

 そして互いに何かを受け入れたように頷くと、ミケはウカを抱き寄せたままゆっくりと後ずさりを始めた。


「お姉さま、なにを? お姉さまは弱くなんて――」

 

 アリスは、二人の意図に気が付いたように表情を変える。


「いいえ。私は弱いわ」

 

 ウカは弱々しく首を横に振って続ける。


「だから、あなたに――私から傷をあげるわ」

「傷?」

「そう。過去の女性たちの傷じゃなく――あなただけの傷」

「お願い、お姉さまやめて――」

 

 アリスはすがりつくように言う。


「その傷が、いつもあなたを躊躇ためらわせる。あなたに、私のような女性がこの街にまだ多くいることを思い出させる。私があたえた傷が痛むたびに――アリス、あなたは私のことを思い出す。このマーテルを素敵な街にしてね? あなたなら、きっとできる」

「お姉さま、お願いです、そんなことはやめて」

 

 青い薔薇の温室に開いた丸い穴。

 その端まで後ずさった二人は、もう一度目を見合わせて頷きあった。そして二人は強く抱きしめあった。

 

 ウカは、すでに語る言葉はないとゆっくりと目をつぶる。

 ミケが、僕を見つめて微笑んだ。

 

 最後の別れを告げるみたいに。


「アダム、君が私を見つけてくれて嬉しかった。君のことを一目見た時から、私は君に好感を抱いていたんだ。君のことが好きだった」

「ミケ、僕もだ。あなたを一目見た時から、僕もあなたに好感をいだいていた。僕も、あなたのことが好きだった」

「ありがとう。君は、私のこの感情が――君への感情が、仕組まれたものだと思うかな? 私は、そうは思わない」

「僕もだ。僕もあなたを心から思っている。これは、僕の感情だ」

「ウカを思うように、君を思う私の気持ちは本物だ。だから、君が君のオーナーを思う気持ちは――その愛情は、紛れもなく本物だと思う。少しばかり、君に意地悪を言ってしまったことを許してほしい」

 

 おそらく、僕に話した〈女性優先機構レディファースト〉の話を謝罪しているのだろう。

 そんなことはどうでもいいことだった。

 

 だって、僕たちの感情が機構コンプリケーションや遺伝子によって仕組まれたものであるということを、ミケが自らが否定してみせたのだから。

 

 僕は、そのことがとても嬉しかった。

 僕のこの気持ちも、この思いも、この感情も――その全てが、僕自身のものなんだよって言ってもらえたことが、何よりも嬉しかった。


「どうか幸せになってくれ。君たちなら、未来を歩んでいける」

 

 そう言うと、ウカとミケの二人は僕たちの視界から消えた。

 強く強く抱きしめあったまま。

 まるで、愛し合う二人のように。

 

 青い薔薇の温室から、真っ逆さまに落ちて行った。

 舞台の幕を落したみたい。

 だけど、観客の拍手は聞こえなかった。

 

 静寂だけが――

 僕とアリスに寄り添っていた。

 

 僕の頭の中では〈少女の見た夢マザーグース〉が響いていた。

 童歌わらべうたが悲しげ歌われていた。

 

 落ちたものは二度と元に戻らないんだと、残酷な現実を突き付けていた。

 まるで、無理やり夢から覚めされられたように。



 ハンプティ・ダンプティが塀に座った

 ハンプティ・ダンプティが落っこちた

 八十人の男にさらに八十人が加わっても

 ハンプティ・ダンプティをもといたところに戻せなかった

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