寝ても醒めても

「おはよう、お母さん」

「おはよう。朝ご飯できてるよ」

「今日のお弁当なあに?」

「もう巾着に入れちゃったから、学校に行ってから見なさい」

「はーい」


 何百回と繰り返された、私と娘の恵子の朝の風景。

 そんなを、私はずっと見続けていた。

 

『七月九日。今日一番運勢の悪い星座は――ごめんなさい、かに座のアナタ!』

「げっ。かに座、最下位だー。昨日も最下位だったよ?」

「そういうこともあるのね」

「最悪ぅー。今日のラッキーフード、ウインナーだって」

「お弁当に入れてあるわ」

「マジ? ラッキー! お母さん大好き!」


 小さなことで喜ぶ恵子に、笑ってしまう。

 何百回と同じことが繰り返されても、私はこのに幸せを感じていた。


 恵子のお弁当にラッキフードを入れておけば、恵子は必ず朝起きて、私のところへやってくる。

 恵子の朝ご飯に、ロールパン、インスタントスープ、キャンディーチーズ、ミニトマト、ウインナーを出せば、恵子は何事も無く美味しそうにそれを食べてくれた。


 私が見ているは、私の行動をひとつでも間違えると、恵子がすぐに死んでしまう。

 しかし恵子が死んでも、それはただの夢の話。

 私は夢の中の夢から覚めて、今日をやり直せる。恵子が夢の中でどんなに悲惨な死に方をしても、今朝に戻れば恵子は元気な姿で私の前に現れる。

 そうやって私は何百回と恵子の死を受け入れ、少しずつ、恵子と過ごせる時間を延ばしていった。

 いくら今日を失敗しても大丈夫。

 だってこれは、

 何度だってやり直しができる。






 






 目覚まし時計の音が鳴る。

 ベッドから降り、レギンスパンツとTシャツを着て、すぐに一階のリビングダイニングへ行く。

 テレビを点け、今日の日付の確認。


【七月九日 六時五分】


「おはよう」


 すぐに夫も起きてきて、朝食の準備を始める。

 マーガリントーストとインスタントコーヒーを食卓に出す。


「あれ? バター無かったっけ?」

「ごめんなさい。間違えてマーガリン塗っちゃった」


 すると夫は、キッチンにやってきて冷蔵庫を開けた。


「なにしているの?!」

「いや、マーガリンだけじゃ物足りないから、ジャムでも塗ろうと思って」


 今までの夢では、夫は「ふーん。いいよ、どっちも美味うまいし」と言って、椅子に座ったままマーガリントーストを食べていた。

 私はダイニングテーブルに駆け寄り、夫の読んでいた新聞の日付を見る。

 七月九日。

 間違いない。

 今日もまた、同じ朝が来ているはずだった。


 その後、夫にお願いして車を使わずタクシーで出勤してもらった。

 恵子の朝ご飯とお弁当を作っていると、制服姿の恵子が一階に下りてくる。

 ここまでも何百回と繰り返された、私の夢の通り。


「おはよう、お母さん」

「おはよう。朝ご飯できてるよ」

「今日のお弁当なあに?」

「もう巾着に入れちゃったから、学校に行ってから見なさい」

「はーい。お父さんは?」

「もう仕事に行ったよ」

「今日は帰ってくる?」

「今日は出張じゃないから帰ってくるよ。なにかあった?」

「うーん。別に。早く帰ってくるならいいや」


 ダイニングテーブルに、恵子の朝ご飯を置く。恵子は毎朝決まったニュース番組を見ていて、そのミニコーナーで行われる星座占いを欠かさずチェックしていた、けれど。


『七月九日。今日一番ラッキーな星座は――かに座のアナタ!』

「えっ?!」

「やったー! かに座が一位だ、ラッキー!」

「どうしてっ?!」


 私はテレビに釘付けになる。画面に映る星座占いは、恵子の星座のかに座が一位だと表示している。

 私が朝にチェックした時は、かに座は最下位だったのに。


「昨日はかに座が最下位だったから、今日は違う番組の星座占いにしただぁ。大正解だね! ラッキープレイスは学校だって」


 嬉々としながら恵子が、朝ご飯を食べ終えた食器を下げる。

 私の夢では、夫も恵子も自分から違う行動をすることは一切無かった。


 つまり、私の夢は終わった?

 これは、現実?


「ごちそうさまでした。じゃあ、いってきますー!」

「ちょっと待って!」


 何百回も同じ夢を見続けたせいだろう。

 私はすぐに、


「今日はお母さんが送ってあげるから、玄関で待ってて」

「あれ? お父さん、今日は車で仕事に行かなかったの?」

「今日はお母さんの用事があったから。タクシーで行ってもらったの」

「へー。お母さん、どっか出かけるの?」

「ちょっとね」

「もしかして、浮気?」

「バカ。ほら、靴はいて待ってなさい」

「はーい」


 この恵子との会話は、私の夢と変わらない。

 やっぱりまだ夢?

 夢のような現実?

 あれはただの夢?

 それとも、正夢?


 お気に入りのピンクのスニーカーを履いて、玄関で待っていた恵子を車に乗せる。

 家の戸締りをして、運転席に乗ってエンジンをかける。

 ここまでも変わらない。何百回と繰り返した、私の夢をなぞっている。

 ふう、と息を吐く。


「お母さん」

「なに?」

「なんか調子悪い?」

「ううん。大丈夫……」


 もしこれが私の夢ではなくて、夢から醒めた現実なら。


 


 失敗の許されない、本番の連続。


 それが本来、私が受け入れるべき


 私は今までに味わったことのない恐怖に震えながら、エンジンをスタートした。






 私が最後に見た夢。


 恵子のお弁当と朝ごはんを作り、私の運転する車で学校へ向かう。


 信号待ちの交差点に突っ込んでくる車を回避しながら恵子を学校に届けたら、校舎周辺に現れる不審者や不審火を警察や消防に通報する。


 無事に学校から出てきた恵子を車に乗せて家まで帰る途中、コンビニに寄って恵子が毎月買っているファッション雑誌を買う。


 夫の帰宅後、三人そろって夜ご飯を食べてから、私、恵子、夫の順に風呂に入る。


 洗面台で恵子と一緒に歯磨きをして、その後は恵子の部屋で宿題を手伝う。


 ベッドで寝る恵子の頭を右手で撫で、左手で娘の部屋のドアを閉める。


 それが唯一、恵子が朝起きて、夜寝るまで、一度も死なかったルートだった。






 目覚まし時計の音が鳴る。

 ベッドから降り、レギンスパンツとTシャツを着て、一階のリビングダイニングへ行く。

 テレビを点け、今日の日付の確認。


【七月十日 六時五分】


「おはよう」

「おはよう、お母さん」


 夫と恵子は、すでに起きていた。


「誕生日おめでとう、お母さん」


 恵子の手から、手作りのバースデーカードが渡される。

 中を開くと、夫の「いつもありがとう」という文字と、恵子の「お母さん大好き」という文字が並んで書かれていた。


「昨日、お母さんがお風呂に入っている時に作ったから。簡単でごめんね?」

「ちゃんとしたプレゼントもあるから。今夜の誕生日パーティの時に渡すよ」


 私は、ふたりを一緒に抱きしめる。

 ふたりは、当たり前のように私を抱きしめ返した。


「生きててくれて、ありがとう……」

「逆だろ。生まれてきてくれて、ありがとう」

「大好きだよ、お母さん」


 今日は必ず、終わりが来る。

 明日が来ない日はなんて無い。

 それが現実。


 醒めない夢は無かった。

 たとえ悪夢のような現実があるとしても。


「さあ、朝ご飯にしましょう」


 日常は続く。



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