さようなら、また会う日まで

 午前二時。

 大学のサッカー部が使うグラウンドの真ん中で、竹箒たけぼうきを持った銀色で長髪の魔法使いがガッツポーズをした。


「魔方陣の、完、成、でーす!」


 時空の狭間はざまで迷子になったという魔法使いが、うちのロフトに現れて三日目。

 初めて来た異世界に魔法使いは怯えて震える子猫のように小さく丸くなる、ことは全くなく。魔法使いはロフトに置いてあった僕の漫画本(超長編で第八部はいまも連載中)を読み漁り、その漫画を読みながら日本語を覚え、うちの家具を使い勝手の良いように改造し、冷蔵庫にある材料を使って簡単な料理を作れるようになるなど。学習能力と順応力がむちゃくちゃ高かった。元の世界では結構優秀な魔法使いっぽいのに、すごーい! 魔法みたーい! と思えるような魔法は全然使わずにそれができるところが、逆にすごい。


「どうですかこの魔方陣。素晴らしすぎて、星みっつですよね?」

「魔方陣を見るのが初めてなので、よくわかりません」

「ああ。確かに。一般人が魔方陣を見る機会は、ほとんどありませんよね」


 魔法使いが元の世界に戻るために、いくつもの魔方陣を組み合わせる必要があるらしく。魔法使いはサッカーグラウンドの全面に、竹箒たけぼうきを使って様々な円や模様を描いていた。僕はグラウンドのそばにあるベンチに座って、パーカーのポケットに手を入れ寒さに耐えながら、魔方陣が書き終わるのを見守っていた。魔法使いが元の世界に戻れば、僕の日常もようやく戻ってくるはずだ。


「それでは。三日三晩、お世話になりました。わたしは元の世界へ戻ります」

「どういたしまして。ご苦労さまでした」


 サッカーグラウンドの真ん中に立った魔法使いが、竹箒たけぼうきを地面に突き刺して何かを唱える。すると地面に描かれた線が輝きだした。

 車のハイビームに当てられたようなまばゆさに、僕は思わず目を閉じる。

 目を閉じたまま、その光の強さが徐々に弱まっていくのがわかる。

 終わっただろうか、と思いながら目を開くと、サッカーグラウンドの真ん中に立っていた魔法使いの姿は無く、魔方陣の線はまだ微かに光を帯びていた。


 魔法使いは、やっぱりすごい魔法使いだったのかもしれない。

 眩しくて、全然見られなかったけれど。


 さて。家に帰って寝よう、と立ち上がった僕は、足元にあった石につまずいて、魔方陣の内側へ落ちてしまった。






「もう。駄目じゃないですか。うっかり異世界に来るなんて」

「すみません」

「まあ次元移動の魔方陣は完成したので、あとで書きますから」

「はい、すみません」

「いま手が離せないのでそこで待っていてくださいね。勝手に動くと死にますよ?」

「はい、本当に、すみません」


 真っ白い鉄線のようなナニカで作られた、鳥籠とりかごっぽい宙に浮く小屋の中で、僕は体育座りになって落ち込んでいた。


「うっす。アキラです。赤獅子あかじしジャーキー、食べます?」

「ありがとうございます。いただきます」


 同じ鳥籠の中にいるアキラさんから、赤獅子ジャーキーをもらう。見た目は完全にビーフジャーキー。味もそんな感じだった。

 アキラさんも僕と同じ非戦闘員のようで、魔法も物理攻撃も無効かされる鳥籠の中で、みんなの戦闘が終わるのを待っていた。


「にしても。勇者エドガーが封印した魔王が三日で復活したと思ったら。まさか俺と同じ世界の人も一緒に来るなんて。ラノベみたいっすね?」

「そうですね。まさか自分が異世界ファンタジーの主人公みたいな状況になるなんて。想像できませんでした」

「現実は小説よりも奇なり、ってやつっすね?」

「そうですね。アキラさんは、この世界に来てどのくらいですか?」

「三ヶ月くらい? それくらいっす」

「もしかして、ニュースになった行方不明の中学生、日ノ本ひのもと輝羅あきらさん?」

「あ、それ俺の名前っすね。全国ニュースっすか? やべえ」


 すごく輝いた名前キラキラネームだったから覚えていた、と僕は言えなかった。


「仲間に会えて良かったな、アキラ!」


 勇者のエドガーさんは魔王の魔法使いに向かって、炎をまとった剣で斬撃を幾度となく繰り出している。

 魔法使いは水の盾や氷の壁を作って炎をさえぎり、鎌のように鋭い風をエドガーさんに向かって放った。


「魔王の仲間と仲良くなってどうすんのよ、アキラ!」


 魔法使いのキラリさんが怒鳴ると、エドガーさんの前に土の壁が現れ、風の鎌が霧散むさんした。

 風の鎌が消失したタイミングでユージンさんが土の壁を蹴り上げて、刀のような細長い長剣を振り抜き魔法使いの銀色の長髪をわずかに切り落とした。


「ところであの魔法使い……魔王は、この世界でどんな悪いことをしたんですか?」

「さあ。よくわかんないっすね。とりあえず、魔王なんで」

「よくわからないって。理由も無いのに、あなたたちは戦っているんですか?」


「ああ。俺は勇者だからな。魔王を倒すのは使命だよ」とエドガーさん。

「魔王は悪よ! 倒すべき存在よ!」とキラリさん。

 何も言わないが、鋭い視線を魔王に向けるユージンさん

「勇者が来たら、迎え撃つのが魔王の役割ですよね」と魔法使い。


「ターーーーーーーーイム!!!!」


 魔王こと魔法使いと勇者一行は、僕の一声で一時休戦した。

 全員、魔法も物理攻撃も通じない使えない白い鳥籠の中へ入り、円形になるように座ってもらった。


「これより、話し合いを始めます。まずエドガーさんからどうぞ」

「ちょっと、なんでいきなり異世界から現れたアンタが仕切ってるのよ?!」

「まあまあ。落ち着けキラリ。実は言うと、俺も疑問を感じていたんだ。俺は勇者だ。勇者だから、この世界の魔王を倒す。しかし、、知らないんだ」

「あー。それはわたしも思っていました。

「キラリさんとユージンさんは、どのようにお考えですか?」

「私は、エドガーが勇者だから。勇者に付き従うだけよ」

 ユージンさんも、キラリさんと同意見らしく、コクリと頷いた。


 話が長くなりそうな雰囲気を察して、魔法使いは右手と左手の人差し指をくるくると回し、キラリさんが作った土の壁で陶器の湯呑みを作り、自分で作った氷の壁の氷を溶かしてお湯にして、全員に白湯さゆを振るまった。


「魔法使い、あなたは勇者のエドガーさんたちに対して何か恨みがありますか?」

「これといって無いですね。わたしを攻撃してくるので、やられたらやり返すだけですよ。それがこの世界での日常です」


 魔法使いは熱い白湯さゆをフーフーと吹いて、ズズッとすすった。


「エドガーさんたちはどうですか? この魔法使いに親を殺されたとか、村を焼き払われたとか、そういう過去をお持ちですか?」

「いや、特に無いな。俺の両親は健在で、いまも故郷の村で農業をしているよ」

「私とユージンも、同じ村の出身だけど。村は火事になったことも無いわね」

 ユージンさんが、うんうんと頷く。ほんと喋らないなこの人。


「ちょっといいっすか?」とアキラさんが手を上げた。

「それって、この世界のシステムなんじゃないっすか?」とアキラさん。

「システム、とは?」とエドガーさん。

「おっと、それ以上は守秘義務に反してバンされますよ?」と魔法使い。


 ああ、そうなんだ、と僕は確信する。

 ここは勇者と魔王が戦い続けるの世界なのだ。

 明確な理由があってもなくても構わない。

 勇者という役割があること。

 魔王という役割があること。

 勇者が魔王を倒すという設定があること。

 役割のことはこと。

 まるで、プログラミングされたゲームの世界だ。


「こんな世界システムは、ダメです」と僕は完全否定した。


 すると世界も、











 目を覚ますと、僕は朝露に濡れたグラウンドの上で寝ていた。


 パーカーが土で汚れて全体的に湿っていること以外、特に変わった感じはない。

 僕はうちに帰った。大学から徒歩五分のロフト付きのワンルームのアパート。

 部屋の中は、魔法使いが家から出て行った時のままだった。

 大きくなっていたテーブルは元の小ささに戻っていて。

 魔法使いが使っていた白いマグカップもあるけど。


 全部、夢だったような気がする。


 現実感が急速に失われていく。


 魔法使いなんていなくて。


 勇者たちもいないし。


 三日間の記憶全て。


 まぼろしだった。


 そう思えて。


 テレビを。


 点けて。


 見る。


 と。



『速報です。三ヶ月前に行方不明なった日ノ本ひのもと輝羅あきらさん十四歳が、先ほど無事に発見されました』


 僕はテレビのチャンネルを変えた。

 ほかのニュース番組でも、アキラさん発見の速報が報道されている。

 発見時のアキラさんは怪我も無く、念のため病院に入院して検査を受けるそうだ。


「アキラさんも、戻されたんだ」

「わたしもですよ」


 ロフトから聞こえた声に驚き、僕は振り返って見上げた。


「魔法使い……」

「わたしもあなたとアキラと同じく、あの世界にバンされちゃいました。ははは」


 銀色の長髪の一部が短くなった魔法使いが、翡翠ヒスイ色の目を細めて笑う。

 バンされる、とは。

 ソーシャルネットワークなどで規約違反を起こした者が、管理者によってソーシャルネットワークのアカウントを凍結され、追放されることだ。

 あの世界に拒絶された、と思った僕の感覚は正しかった。


「エドガーさんたちは?」

「さあ。彼らはギリギリ守秘義務……世界のシステムに関わる重要事項の漏洩には、抵触していないようでしたしね。今頃わたしがいなくなったあの世界の勇者として、英雄扱いされているんじゃないでしょうか。知らないですけど」


 心から興味が無さそうに、魔法使いはそう言った。

 あの世界では、勇者がいると魔王は戦わなければならない、という強制力が働いていたのだろうか。まるで戦う意志が無い。違う世界に来ると、あの世界の強制力が無効化されるのかもしれない。


「魔王がいなくなったあの世界は、どうなるんですか?」

「勇者と魔王は、切っても切れない関係です。どちらかが欠けるなんてあり得ないでしょう。おそらく、あの世界のどこかで新たな魔王が生まれているでしょうね」

「そしてまた、勇者は魔王を倒しに行くんですね」

「その通り。魔王は勇者を迎え撃たなければならないのです。それが魔王と勇者、それぞれの役割であり、各々の存在意義ですから」


 なぜ自分は勇者なのか。

 なぜ自分は魔王なのか。

 それを問い質してはいけない世界。

 そんな世界があっていいのだろうか。


「エドガーさんもキラリさんもユージンさんも、あの世界にいたらダメです。彼らだけじゃない。新しい魔王にされる人も。みんな、なんて、しちゃいけないんです」

「ほう。では、どうしますか?」

「あの世界のシステムを変えます。勇者という役割も、魔王という役割も、無くしてしまえばいいと思います」

「世界のシステムを変えるのは、難しいですよ。システムに気付いてしまったわたしたちは、いまこの通り、世界にバンされましたからね」

「もう一度、あの世界へ行くことはできないんですか?」

「裏技を使うなら、同じ意識のまま別のモノになること、でしょうかね」

「ソーシャルネットワークでいうところの、前とは違うアカウントを取るみたいな感じですか?」

「そうです。わたしは魔法使いですから、自分の体を一度分解して、少し違う感じに再構築すれば、あの世界で魔王と認識されていたわたしでは無くなります。おそらく、ですが」

「僕にも、同じことが出来ますか?」

「あなたを、再構築することですか?」

「そうです。そうすれば僕も、またあの世界へ行くことができます。世界を変える方法は、外側よりも内側からの方が変えやすいと思います」

「ははは。それは、確かにそうですね」


 ロフトから僕を見下ろしている魔法使いが、微笑んだ。


「あなたはの、を考えたことがありますか?」

「僕の、ですか?」

「あなたの、です。あなたは誰ですか? 何のためにこの世界にいるんですか?」

「僕は……」


 僕は天真てんますすむ。大学生。

 電機メーカーを経営するの父の後を継ぐために、工学部に通って電子工学の勉強をしている。

 僕は科学の分野で誰かの役に立つために、この世界に、いる……?


「ススム。この世界に、システムは無いと思っていますか?」


 僕がこの世界に与えられた役割。

 僕が誰かの役に立ちたいと思う理由。

 なぜ僕は大学生なのか。

 なぜ僕はこのアパートに住んでいるのか。

 なぜうちのロフトに魔法使いが現れたのか。

 なぜ僕が。なぜここに。なぜ世界は。なぜなの


「そこら辺でやめておきましょう」


 ロフトから音も無く降りてきた魔法使いが、ふわりと僕を抱きしめた。

 僕のショート寸前だった思考回路が強制停止される。

 魔法使い、あなたは?


「アレイスターです、ススム」

「アレイ、スター?」

「アルと呼んでくれてもいいですよ」

「アル?」

「はい、ススム」


 魔法使いの翡翠ヒスイ色の目が、僕の目をじっと見つめる。

 僕に何かを伝えたいような。

 しかし伝えられないような。

 アルが僕に何も言えないことが、この世界の守秘義務。


「そろそろお別れの時間ですね」

「アル、待って、僕は」

「どの世界も、別の世界と繋がっています。繋がっていない、ともいえます」

「ちょっと待って、頭が」

「世界と繋がるかどうかは、自分の意志次第。繋げたいと思うかどうかです」

「嫌だ、僕は、アルと」

「わたしはわたし。あなたはあなた。交差はすれど、混じり合うことはない」

「一緒に、僕たちは、世界を」

「この世界で、会えて良かった。楽しかったです。さようなら、ススム」

「待って、待ってよアル!!」


 銀髪の魔法使いは、この世界から消えた。

 この世界のシステムが、魔法使いを拒絶するように。











 僕はいつものように大学へ行く。

 研究室で実験をして、実験内容をノートにまとめて。

 大学が終わったらバイトに行って。

 バイトが終わったら実験レポートを書いて。


 午前二時。

 ロフトをのぞきこむ。

 もしかすると、面倒くさい魔法使いがいるんじゃないかと思って。

 でも魔法使い……アルは、いつまで経ってもうちのロフトに現れない。

 アルの使っていた白いマグカップは、いつでも使えるように準備されている。



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醒めない夢なら寝てればいい 春木のん @Haruki_Non

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