想像できない現実
一年中雨が降り続ける国というのが、どこかにあるらしい。
そこは一年中湿度が高く、気温も高い。ここも一年中気温が高いが、湿度はほとんど無いので、蒸し暑いということがどんな状態であるのかを、私もお父さんもお母さんもおじいちゃんおばあちゃんも知らなかった。
「一年中雨が降っていたら、植物もいっぱいありそうね」
本を読んでくれるお母さんにそう言うと、きっとね、という答えが返ってきた。そうね、とはっきり答えないのは、本に書かれているこの物語が、本当の話なのか創作された話なのか、どちらとも言えないからだろう。
年間を通して、この国で雨が降る日は七日もあるかどうかだ。土は乾ききって、サラサラとした砂がずっと大気に舞っている。そのせいか、この国の人たちのほとんどの大人が肺を患っていて、五十歳まで生きると長寿とされていた。おじいちゃんもおばあちゃんも四十歳になる前に死んだと、お父さんが教えてくれた。
「ニア。あなたの子供が大人になるまでには、もっと砂漠が減っているといいんだけどね」
この本を読み終わった後は必ずそう言って、お母さんは私の頭を撫でた。でも私が大人になるまでにこの砂漠は小さくなることは無いとお母さんは知っていたし、私もそうだと思っている。
お母さんは三十九歳で亡くなった。私が十九歳になった年だった。
咳ばかりしてあまり動けなくなったお父さんの看病しながら、私は家畜の世話をして移動していた。長い期間、同じオアシスに居続けるとそこの水が枯れてしまうので、定期的に砂漠を渡って移動していた。
もう少し緑化が進んでいる土地に居住して、農業でもしながら過ごせたらいいと思ったこともあるけれど。限られた土地には限られた数の人間しか住むことが許されていない。一度だけ申し込んでみたが、私たち家族が貧しかったせいですぐ断られてしまった。
私の祖父母の代か、もっと前から続いている、その日を暮らしていくだけの生活が私の人生そのものなのだろう。ラクダ達の世話をして、それを売ってわずかな水やお金や食料を得る。お父さんが亡くなった時、私はこの先もこのまま生きていくことに、大きな不安しかなかった。
「黒い雨」の噂を聞いたのは、移動してきて間もないオアシスで会った行商人のおじさんからだった。
「都市部の方では、いま黒い雨が降っているらしいよ。俺もまだ見たことは無いんだけど、もう何日も降り続いているらしい」
「雨って、透明なものではないの?」
「水が空から降ってくるようなもんだから、透明だと思うんだけどね。何か混じっているのかもしれない」
「そうなの」
年に何度かしか降らない雨が、もう一ヶ月近く、都市部では降り続いているらしい。
しとしとと霧雨に近い雨から、ざあざあと豪雨に近い雨まで。降り続く雨は、始めこそ恵みの雨として喜ばれていた。しかし今はあちこちで道を冠水し、家や畑を押し流す洪水を起こしているらしい。
「同じ国のことなのに。こことは全然違うな」
「そうね」
ラクダを売ったお金で得た水を一口含んで、私は肯いた。
昔、お母さんが何度も読み聞かせてくれた本の物語を思い出す。一年中雨が降る国。もしかしたらこの国も、いつかそんな国に変わるのだろうか。
物語の中よりは、ずっと身近な話になったのに。私は未だに「黒い雨」が自分の生活に及ぶような、現実の話だとは思えなくて。行商人のおじさんが私のために作った物語のように感じていた。
それからしばらくして。
「黒い雨にあたると死ぬ」という噂が流れ始めた。
学校へ通っていない私にはとても難しい話で、オアシスに新しく来た行商人のおじさんも的を射ていないような話し方だった。
伝え聞いた話では、都市部から少し離れた隣国との国境にある鉱山で大規模な爆発があったらしい。爆発の原因はわからないけど、黒い雨が降るようになったのがそれ以降だったのは間違いないという。
雨はだんだん降らなくなったというけど、まだあちこち水浸しになっていて。腐乱した死体から虫がわき、その虫を介して伝染病も流行っているらしい。
「今はみんな、病気を恐れてこっちの砂漠へ逃げだしているよ」
「そうなの」
少しずつ、このオアシスへ来る人たちが増えているのは知っていた。その原因がわかって納得した。でも増えたとしても、そろそろ他のオアシスへ移動する予定だった私には、あまり関係が無いことだ。
黒い雨も、伝染病も。行商人が私を楽しませてくれる為に話してくれた、物語にしか聞こえない。だって私は見たことがないもの。
見上げた空には雲ひとつ無く、オアシスの水は透明で、元気のいい行商人や、私と同じ遊牧民の人たちが見えるだけ。
その日暮らしをしている私には、この目に見えていないことを想像することは簡単じゃなくて。想像できないからこそ、深い不安も悲しみも抱え込むことも無い幸せを、今は感じている。
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