成人式の訓示
成人式の時期が来るたびに、彼らのことを思い出します。
まず
中学校の時に隣のクラスで、特に会話もしたことがありませんでした。
田中くんが何の部活をしていたかも、どの委員会に所属していたかも、全く知りません。
ただ、名前を知っているだけ。通学路の途中にある街路樹くらいの親しみを、田中くんにもっていました。
田中くんは、成人式に来られませんでした。
高校生の時に、田中くんは川で遊んで流されてしまったのです。
田中くんの訃報は、田中くんに親しい人から聞いたわけでもなく、いつか誰かがそう言っていたのを聞いただけでした。
それなのに、成人になれなかった田中くんは、中学校の制服を着たままの姿で、時々私の記憶に蘇ります。
次に、
小学五年生の時に親の転勤で引っ越してきた彼は、そのまま成人するまで私の地元で暮らしていました。
私は多田くんと、小中と同じクラスになることが多く。隣の席になったこともあって、そこそこ会話をしたり、一緒に遊んだこともありました。
多田くんはスーツ姿で成人式に参加していました。
式が終わった後、私たちは他の友達と一緒に、夜までゲームセンターに行ったり、カラオケをして遊びました。
多田くんと私の家は近かったので、みんなと別れた後は二人で雪道を歩いていました。
何の話しをしていたかは、ほとんど覚えていません。とても他愛のない話だったと思います。
「今年の春、引っ越すんだ」
多田くんの話で覚えているのは、それだけです。
成人式が終わった、その次の年。
多田くんの家があった場所は、家屋が取り壊されて、
そこに私のものは何一つなかったけれど、なにかを失った感覚が、いつまでも残っています。
最後に、
小学校の低学年から同じ学校でした。気さくで、話し方が柔らかく、男子も女子も友達が多い人でした。
私と好きな本のジャンルが似ていたこともあって、時々、本の貸し借りをしたことがありました。
成人式の時、澤口くんと一緒に撮った写真があります。
現像した写真は今でも私の家の押入れの、アルバムの中に残っています。
澤口くんは、それから数年もしない内に急死しました。
私が澤口くんに会って話せたのは、成人式が最後になってしまったのです。
生死に関わらず、もう二度と会えなくなる人が出てくるという現象は、いつでも起こりえます。
友人でも、知人でも。全く思い入れの無い人も、もしかしたら初恋だった人も。どんな人でも。
成人式に出席するかどうかは、正直、個人の自由です。
ただ、そこで会うのが最後になってしまう人が少なからずいるということを、どうか留意していただきたい。
あなたにとってもそうですし、他の誰かにとってのあなたも、成人式を最後に会えなくなることに何かしらの感情を抱く人は、いるかもしれません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます