冬将軍の進行

「あ、法螺ほらがいが鳴っている」


 ヴォオ~~~ヴォオ~~~と低い音が廊下の奥から響いてくる。


「違うよ。チューバだよ、吹奏楽部の」

「んなっつがぁくっるぅ~♪ ってやつ?」

「それ大黒摩季だし、たぶん秋吉あきよしが言いたいのは、あぁ~っなっつやっすみぃ♪ のTUBEチューブね。こんなところで歌って曲の著作権使用料の取り立てに来られたら困るから止めて?」

「中学校の中までさすがに来ないって」

「さあー、どうなんだろうね?」


 結城ゆうきと喋りながら、教室を出てすぐの廊下にあるロッカーから、ジャージの入った白いトートバッグとダッフルコートを取り出して、床に置いた。

 トートバッグから出した、くるくる丸まったジャージの下を、膝丈のプリーツスカートの下に履く。それからスカートの左脇のフックを外し、チャックを下ろして、スカートを床の上に落とす。


「ジャージで帰るの?」

「パンストとハイソックスだけじゃ下半身が冷えるから駄目だって、昨日お母さんに散々言われたのさ。冬でもハイソックスだけで来てる子もいるよ、って言ったけどね。生足じゃないだけ、私まだマシだと思う」

「さては、毎日生足ハイソで登校している私にケンカ売ってるな、秋吉?」

「気のせいだって」


 脱いだスカートをくるくる丸めてトートバッグに突っ込む。背中のリュックを一度床に置いて、ダッフルコートを着てもう一度背負う。ロッカーの中にあったマフラーと耳当てと手袋を付けて、準備完了。

 トートバッグを自分のロッカーに入れて鍵をかけて、右手を上げる。


「じゃね」

「バイバイ」


 学生玄関の前の廊下では、体育館を使えない卓球部が卓球台を二台広げて練習をしていた。


「秋吉、帰るの? 部活は?」


 同じクラスの御崎みさきが、ボール拾いから抜けて近寄って来た。


「今日は体育館、野球部が使ってるから休みになった」

「あーわかる。冬になると、体育館が使えない日が増えるよね。うちらもだけど」

「廊下で練習できるからいいんじゃない?」

「廊下で練習させられてんの。うちらも休みならいいのに」


 そこの一年サボらないでー! と先輩っぽい人が御崎みさきに声をかけた。


「じゃね。がんばってね」

「ありがと。バイバイ」


 冷たい木の簀子すのこの上で、上靴からブーツに履き替えた。

 ガラスになってる玄関扉の上半分に、真っ白な雪が張り付いている。

 扉を開けると、外の吹雪が一気に入り込んできた。

 部活をしている子たちが寒いから、すぐに外に出て扉を閉める。


 雪は真横に飛んでいた。学校の前庭の大きな木が揺らいでいる。

 この中を歩いて帰らなきゃいけないのか……

 ダッフルコートのフードを深く被り直し、気合いを入れて帰宅開始。

 したものの。

 歩いて五分くらいで、お母さんに迎えに来てもらえば良かったと後悔した。

 寒い! 痛い! やばい!!


 ヴォオ~~~ヴォオ~~~と、低い音が空に鳴り響いている。

 風の音というのだろうか。猛吹雪の時に聞こえるこの音は、大好きな戦国ドラマで、大きな戦を始める前に鳴らされる法螺ほらがいの音に似ていて、私は怖かった。

 雷も、光よりもその後の音が怖い方。


 何年か前に閉店してシャッターが降ろされた店先の前で立ち止まり、私はお母さんに電話した。繋がらない。一応メッセージを送っておく。「迎えにきて」と。


 雪の降り方も、風の強さもひどくなって。

 目の前は真っ白。ホワイトアウトと呼ばれる状態。


 ロッカーの前で喋っていた結城ゆうきと一緒に、遅くなっても親の車が来るまで学校で待っていた方が良かったかも。

 でも、今日の夕方のドラマの再放送、録画設定し忘れてたからなあ。

 なんで昨日観た時に、今日の分の録画設定しておかなかったの。私のバカ。


 眉毛の上までフードを被り、鼻の上までマフラーで覆っても、目だけは風と雪に当たりっぱなし。まつ毛に、雪が積もり始めていた。

 こんな所で死んだらやだなあ。

 もう好きなドラマ見れなくなるし、好きな漫画も読めなくなるし。絶対に死んでもしにきれない。


 一層、大きな音が鳴る。


 ヴォオ~~~ヴォオ~~~


 車にクラクションを鳴らされたのかと思ったけれど、車のヘッドライトは近づいてこない。

 けれど。

 私の視界を、大きなものが横切っていく。


 大きな、白い、馬?


 首と足が太く、体の大きな、農耕馬。

 視界を少し上に広げると、その馬にまたがっている人がいた。

 赤い甲冑かっちゅうが、白の世界に映える人。

 頭に被ったかぶとから、オスの蝦夷鹿エゾシカが持つような、立派な二本のつのが生えていた。


 その人が私の前を通る時だけ、雪と風が止んだ。

 十数秒間。

 その後は、再び激しい吹雪に襲われた。




「アハハ! あんたそれ、冬将軍に出会ったんだわ」


 仕事の早退してきたお母さんが、雪だるま寸前の私を車の助手席に乗せて、大笑いした。


「冬将軍って、ほんとにいるの?」

「さあね。お母さんは会ったことないけど」

「いないんじゃん!」

「あんたは会ったんでしょう? じゃあ、いるんだよ冬将軍は」


 家に着くころには雪も風も弱まって、雲の隙間から夕陽の色が見えた。

 空に鳴り響いてた法螺ほらがいの音は、もう聴こえなくなっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る