本日の日替わり定食(焼き魚)

 平日の夜の定食屋は、ほどほどに空いていた。

 ディスプレイされた『本日の日替わり定食』を通り過ぎ、案内されたボックス席に座ってメニュー表を開く。一通り目を通した後、さっき食べたいと思ったものに決める。

 テーブルに備え付けられたボタンを押した。

 ピンポンと、ここではない場所で音が鳴り、間もなく席を案内してくれた店員が僕たちのところまで来た。


「ご注文お決まりですか?」

「僕は日替わり定食。木村きむらさんは?」

「レーディースセットをお願いします」


 ハンディに打ち込んだ注文を復唱して、店員は離れていった。


「空いてて良かったですね」

「そうですね」


 向かいに座った木村さんが、笑顔でいてくれて、少しホッとする。

 今から少し前。

 仕事が終わって帰ろうとした僕に声をかけてきたのは、木村さんだった。


野原のはらさん、お疲れさまです。もうお仕事おわったんですか?」

「はい。これからどこかでご飯を食べてから、会社に戻ります」


 僕の仕事は、地方の小売店に置いてある自社製品の在庫を補充して、新製品を紹介して店舗に陳列してもらう、いわゆる営業だ。

 木村さんは、その地方の小売店のひとつに働いている店員さんで、年は息子より少し若いくらい。二十代の若さに溢れた女性だ。


「良かったら、一緒にご飯食べに行っても良いですか?」


 食事に誘ってきたのは彼女からだった。

 どういうわけだろう。

 仕事上の付き合いはあるとはいえ、おそらく自分の父親ほどの年齢の男性を食事に誘うなんて……と、考えたところで、気付いてしまった。

 そうか。

 父親ほど年が離れているから、誘えるのだ。

 一瞬でも、期待してしまった自分が恥ずかしい。


「いいですよ。どこかおすすめのお店はありますか?」

「最近、新しい定食屋さんが出来たので、そこへ行ってみませんか?」


 きっと若い木村さんは、新しい定食屋へ行く機会が欲しかったのだろう。

 僕がたまたま、食事に行くと言ったから、誘ったのだろう。

 疑心や期待が伝わらないように、僕は営業用の笑顔のまま、彼女を車に乗せてその定食屋に来た。

 これが大人の対応というものだ、と自分に言い聞かせながら。


「お待たせしました。日替わり定食と、レディースセットです」


 僕たちのテーブルの前に、お盆に乗せられた料理が並ぶ。

 僕の日替わり定食は、干物の魚を焼いたもの、ご飯、みそ汁、漬物。

 木村さんが頼んだレディースセットは、生野菜のサラダ、エビフライとコロッケ、ご飯、コンソメスープ、苺とオレンジが乗ったヨーグルト。


「木村さんのご飯は、盛りだくさんですね」


 思わず声に出る。僕も彼女くらいの年の時は、エビフライでもコロッケでもトンカツでも。いくらでも食べられたけれど。三十半ばを過ぎた頃から揚げ物がだんだん胃もたれするようになってきて、今では食べるなら昼と限定していた。


「ですね。どれも美味しいです」 


 サラダもエビフライも、次々と美味しそうに頬張る木村さんを見ながら、僕は干からびて焼かれた魚の骨を取る。

 漬物とサラダ。

 魚の干物とエビフライ。

 同じ海や畑の中にいたものでも、瑞々みずみずしさや熱量カロリーの違いが、今の僕と彼女の差。

 それに嫌というほど気付いてしまう。 


 食事が終わって、木村さんを元いた場所に戻してあげた。

 若い内は周りの状況が見えず、何かしらの冒険をしてしまうこともあるだろう。

 その行動力や生命力エネルギーは、もう僕には無いもの。


「ありがとうございました、お疲れさまでした」


 仕事が終わった時と同じように挨拶をして、僕は車を出す。

 会社に着くまではぼんやりと、昔のラブソングが流れるラジオを聴き流していた。


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