添乗員代理

「ボクは誰でしょう?」


 その問題に「ココハドコ?」も含まれれば、記憶喪失した人として警察に届け出て、精神科のある病院へ入院させることも可能だったかもしれない。

 しかし残念ながら、目の前にいる瓶底の黒縁眼鏡をかけて、七三に分けた艶のない髪を後ろにまとめ、ビジネススーツなのにえりにびっしりとスタッズが付いている、この独特のセンスを持った男性と私は顔見知りだった。

 嬉々とした彼の表情に既視感を覚えながら、私は旅行代理店の受付窓口越しに、勤続十年で身につけた営業スマイルを浮かべる。


植田うえだ裕二ゆうじ様、ですね」

「正解です! 覚えていただけて光栄ですよ、えーっと……あれ? お名前、何でしたっけ?」


 お見合いした相手の名前を忘れるくらいなら二度とお見合いなんてするな! という言葉を飲み込んで。私は気持ちのこもらない0円スマイルのまま、左胸に付けてある自分の名札を指した。


澤村さわむらあかりです」

「澤村さん、澤村あかりさんね! いやー、すみません。教えていただき、ありがとうございます!」

「植田様、本日はどのようなご用件でしょうか?」

「ああ、海外旅行です!」


 ニコニコしながら植田は窓口の席に座ると、モノグラムレザーのセカンドバッグから海外ツアーのチラシを取り出した。


「ハワイに五泊七日。人数は未定だけど、たぶん三十人くらいになりそうです」


 植田とその他は三十人で、ハワイに何をしに行くのだろう。家族旅行? 社員旅行? まさか新婚旅行という事はないだろう。


 というか、旅行代理店に勤めているのに、海外旅行は韓国と台湾へそれぞれ一泊二日しか行ったことがない私としては、植田にハワイを先越されるのがなんだか悔しい。ウルトラハッピーを遠慮なく周囲に撒き散らし「僕たちの幸せをあなたにもおすそ分けしてあげたいです☆」とほざく新婚カップルの次くらいに、イライラする。


 しかし、仕事は仕事。

 私は心を無にして、笑みを張り付かせ、オートマチックかつマニュアル通りに、植田とハワイ計画を立て始めた。


「一グループの人数が二十名様を超えますと、こちらの団体割引の適用がされます。植田様がお持ちのチラシに書かれてあるツアープランの他に、もし行きたい場所がございましたら変更が可能です。どこかハワイで観光されたい場所はございますか?」

「ボクはカメハメハ大王が見て、美味しいご飯が食べれればいいなあ。あかりさんはドコがオススメですか?」


 おいおい。

 なんでいま下の名前で呼ばれたんだ、私?

 ガラスの笑顔にヒビが入る音が聞こえた気がするが、大丈夫まだ表情は崩れていないわ、あかり! がんばるのよ!


「そうですね。人気のスポットで、こちらのチラシに載っていないのは……」


 植田が持ってきたチラシ以外の、団体ツアー計画が書かれたパンフレットを何枚か見せる。日本人が利用しやすい宿泊施設や、ショッピングモールなどなど。


 いいないいなー! 私も行きたいよ! むしろ私が行きたいよハワイ!


「……以上でございます」

「じゃあ、あかりさんがいま教えてくれた所は、全部行けるようにしてください」

「かしこまりました。いつ頃ご出発されますか?」

「あかりさんはいつなら良いですか?」

「……私、ですか?」

「はい。このツアーの添乗員として、ボクはあかりさんを指名します。一緒にハワイについて来て下さい」


 ニッコリする植田に、今度こそ私の営業スマイルは崩壊した。

 無だ。

 人間、予想外の出来事に遭遇すると、無表情になる。

 完全にフリーズした私の後ろに、いつの間にか支店長が立っていて、私の肩をガシッと掴んだ。


「失礼ながらー、お話しを伺っておりましたー。支店長の鶴橋つるはし、と申しますー」


 支店長が上客(植田)を嗅ぎ付けて、デレデレ間延びした声で話し始める。


「植田様ーは、ハワイに三十名様の団体旅行をご希望ですね。それーでしたら、添乗員経験の無いこの澤村より、もーっと経験豊富なベテラン添乗員に案内させる方ーが、よろしいかなー?と思われますが、いかがでしょうーか?」


 そうよ! ハワイなんて行ったことが無い私に、そんな団体客を連れて観光なんか出来るわけないじゃない!


 再起動した私は、支店長の進言にコクコクと頷いた。


 でも少しだけ、夢見てしまった。

 会社の経費でハワイへ行って、自分の立てた計画通り行きたいところを巡って、買い物もたくさんして、美味しい物を食べて、カメハメハ大王も見て……なんて贅沢! なんてハワイアンリゾート!


「澤村さんが添乗員として同行出来ないのであれば、ボクこの旅行キャンセルします」

「ええー?!」

「しかし今回の旅行に同行していただけたら、今後はボクのパパがこちらでお世話になってもいいと言ってました。あ、コレはパパの名刺です」


 自分の父親をパパと呼ぶのか植田。

 アラサーの私よりは確実に年上だよね植田。


 呆れた私とは正反対に、名刺を貰った支店長は目を輝かせて身を乗り出し、植田の手をガシッと握った。


「ウエダグループのご子息様でございましたか! 大変! 申し訳ございませんでした! 澤村が! 植田様の添乗員ですー!」

「ちょっと、支店長なに言ってるんですか! 私、ただの受付ですよ!」

「大丈夫だー! 澤村さんは、旅行業務取扱の資格を持ってる! TOEICも良いスコアだったはずだー!」

「650点で、微妙ですけど……」

「澤村は添乗員ではございませんが、添乗員代理としての能力は、きっとたぶんメイビー、十分ございます!」

「支店長。私、実務経験は無いですよ? ここは海外に強い添乗員の大高さんに行ってもらった方が安全ですよ?」

「大丈夫ですよ、あかりさん。人数は多いですが、これは個人旅行です。ボク、ハワイには行き慣れているので、添乗員さんはプロでなくて結構なんですよ」


 爽やかに金持ち自慢をする植田に、支店長はフリスビーを投げたら取りに行きそうなくらい尻尾を振って懐いていた。


 こりゃだめだ。

 さすがに支店長命令には逆らえないわ。

 また就活とかしたくないし。


「今度は、お断りされませんよ?」


 ドヤ顔をする植田。

 私がお見合いを断ったのを、どれほど根深く覚えているんだ。



 今回は完全に植田のペースに乗せられてしまい、本気で悔しかった。

 反面、私の脳内は既にホノルル空港に降り立ってレイを首にかけてもらい、フラダンスを小躍りしていた。



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