おじいさんとクジラ肉
知らない、ということはそれだけで罪になるという哲学者がいた。
はたして本当だろうか?
「じゃあ、行こうか」
運転席に乗るおじいさんと、助手席に乗る祖母。
おじいさんは祖母の再婚相手で、自分とは血の繋がりが無い他人。
数年ぶりに祖母のところへ会いに行った自分は、おじいさんとは初対面。
何を話していいかもわからないし、どこへ行くにしてもただ従うしかなかった。
久しぶりに孫に会えて、祖母は喜んでいるように見えた。
運転席で煙草を吸うおじいさんに、祖母は
後部席に座っている自分は、見慣れない景色を窓から見ていた。
嗅ぎ慣れない煙草の煙に、少し
数分後、車が止まった。
そこはおじいさんの行きつけだという寿司屋だった。
おじいさん、祖母、自分とカウンターに並んで座る。
あとはおじいさんが大将に注文したものを、祖母と自分はいただくだけだ。
「今日は良いものが入っていますよ」
常連客相手の親しい口調で、大将は真っ赤な肉の塊をおじいさんに見せた。
「クジラか」
「刺身でいいですか?」
「頼むわ」
細長い包丁で、クジラ肉がマグロのように切られていくのを、自分はカウンター越し見ていた。
今になって思うのだが。そのクジラ肉が、海を泳いでいる大きな
マグロの赤身よりも赤いクジラ肉が、足のついた木の板に乗せられ、おじいさんの前に置かれる。
大将は続けて、ニンニクとショウガをすりおろしたものを乗せた小皿をおじいさんに渡した。おじいさんは受け取った小皿に醤油を入れ、ニンニクとショウガを混ぜて溶いたそれに、クジラ肉をつけて口に入れた。
「うまいな」
「でしょう」
「食べるか?」
じっと見ていた自分が、物欲しそうな顔をしていたように見えたのだろう。
おじいさんはニンニクショウガ醤油をつけたクジラ肉を、からっぽの小皿に乗せて、自分の前に置いた。
子どもが使うには大きい割り
ニンニクとショウガの味。
それに負けないくらい、トロッとした濃厚な肉の味。
目を見開く自分を見て、おじいさんも大将も笑っていた。
もう一切れ、クジラ肉が小皿に乗せられる。
おじいさんは煙草を吸いながら、クジラ肉をつまみ、ビールを飲んでいた。
おじいさんに会ったのは、それが最初で最後だった。
祖母はおじいさんと別れて、また違うおじいさんと再婚したらしい。
自分が大人になってから寿司屋へ行くと必ず、メニューにクジラ肉が無いかを探してしまう。しかし今のところ、その文字を見つけたことは一度も無い。
いまの時代は調査目的にしろ、捕鯨行為は国際的に好まれていない。
調査船に対して過激な反応をする団体も存在して、捕獲量は減少傾向にある。
幼い頃に知ってしまった、甘美なクジラ肉。
あれを知ってしまったのは罪に等しいと、いまの自分は思う。
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