杓子定規な父へ

 毒親どくおや、という言葉は最近知った。

 子どもの人生に過剰に干渉してきたり、言葉や暴力による人格否定をする親。


 なんだ、僕の父そのままじゃないか、と思い当った。


 僕が行く高校も、大学も、就職先も、交際も、結婚も。

 父の許しがなければ、僕は何ひとつ為すことが出来なかった。

 母に頼んでも「お父さんに聞きなさい」と横流しにされるだけ。


『お前ならそんな遠くの偏差値が高い学校へ行かない方がいい。確実に合格できる近くの高校へ通いなさい』


『大学へ行くのはいいが、文系に行くなら奨学金とアルバイトで学費を補いなさい』


『本当にそこへ就職する気なのか? 自分が楽しいと思うことばかりで、仕事は続かないぞ』


『お前がいいなら、勝手に付き合え。うちには連れてくるな』


『お前が選んだんだ。お前が責任を持ちなさい』


 父はおのれ杓子しゃくし定規じょうぎでしか物事を判断してくれなかった人だった。

 僕には僕の、基準があるのに。


 親だから?

 人生の先輩だから?

 子を自分の思い通りにすることが、そんなに素晴らしいことなのか。


 そう、僕は父に言えば良かった。

 でも昔から僕は、父に怒られることが本当に怖くて。

 父の前に立つだけで、手のひらから汗が出るし、口の中が渇く。

 母が父に逆らわず物静かにしているのも、僕と同じ状態だったからではないだろうか、と今なら思う。


 心身共に弱かった母は、五十歳という若さで亡くなった。

 母が亡き後、僕は父しかいない実家にはほとんど立ち寄ることもなく、父が亡くなったことも病院からの連絡でようやく知った。


 親族だけの葬儀が終わって実家の片づけをしながら、息抜きにSNSやニュースを見ていると、広告で出てきた漫画の一コマに見つけた、毒親という言葉。


「父さんは、毒親だったよ」


 黒縁に飾られた父の遺影と骨壷を前に、僕は話しかける。


「僕は、行きたい高校へ行けなかったことを、ずっと悔んでいたよ。あの高校に行っていれば、大学をもっと選べた。僕は、父さんと同じ教師になりたかったけど。それは父さんの後を追いかけたかったわけではなくて、父さんみたいな教師になりたくなかったから。なんでも自分の杓子定規でしか見られない人間が、教師になんかなっちゃいけない。それを僕は、父さんに証明したかった」


 遺影の前にさかずきを置いて、父さんがよく飲んでいた小さな瓶に入った日本酒をぐ。

 僕も自分の杯に日本酒を注いで、一気に飲み干す。


「父さんは、僕が自分の思い通りの人間にならなくて、がっかりしたと言ったことがあった。僕も、父さんにがっかりした。どうして何でも自分の思い通りになると思っていたんだ? 僕も、母さんも、父さんのものじゃないのに」


 僕はもう一杯、日本酒を注いでそれを煽る。

 父さんの杯の酒は減らないことが、無性に腹立たしく感じてきた。


「元カノを紹介した時に、うちには連れてくるな、って言ったことを恨んでるよ。どうしてあんなことを言えたんだ。確かに、彼女は素行が悪かったし、別れる時も僕の持ち物を勝手に売り飛ばして、財布の金も盗んで姿をくらましたけれど。それでも僕は、彼女のことが好きだったんだ。自分の好きなものを否定される人の気持ちを、父さんは考えたことも無いんだろうな!」


 酒が回って来たこともあって、僕の声はだんだん大きくなる。

 杯に足した酒が切れる。

 腹立たしい気持ちが、一転して悲しい気持ちに変わる。


「父さんは、肯定する時も必ず否定をした。僕が妻と結婚すると言った時も、どうしてあんな突き放すような言い方を僕たちの前で言えたんだ? 僕たちは、父さんも含めて家族になろう、と言いたかったのに。僕はもう父さんの中で他人だった? 妻を新しい家族として迎える気はなかった? なあ、父さん」


 ぐらんぐらんと世界が回る。

 厳しい顔つきの父の写真は、何一つ語ることは無いし、何かを僕に示すこともない。


「父さん、なんか言ってくれよ。僕がこんなことを言ってるのに怒ってもいいし、否定してもいいから。黙ってないで、なんか言って……」


 胃の中に酒が満ち足りているのに、心が空っぽで、痛い。

 父が毒親だと気付いても、僕にとっては父は親で、家族で、怖くて馬が合わなくて出来るだけ会いたくないと思っても、それでも愛していたし、愛して欲しかった。


 父が亡くなって、ようやく、包み隠さずなんでも話せる関係になるなんて。


 僕は叫ぶように、父の遺影の前で泣く。


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