バターになったマーガリン

「あの~」

「はい」

「起きてますか?」

「起きてますよ」

「朝ご飯、パンとご飯とどちらが良いですか?」

「『ご飯』と言ってるのに、『パン』か『ご飯』か聞くんですか?」

「すみません、そういう言葉なので」

「パンでお願いします。バターは焼いた後に自分で塗る派です」

「うちの冷蔵庫にバターが無いので、マーガリンでもいいですか?」

「え? バターが無いんですか? ウソでしょ?」

「本当です。疑うなら見てください」


 ロフトの低い柵から、銀色の長髪に寝ぐせがついた男が顔を出して、僕が開いている小さな冷蔵庫の中のマーガリンの箱を細い目で見る。


「マジですか? マーガリンって。ははっ。パンにはバターでしょ?」

「安いから、マーガリンです」

「信じられないですね」


 落胆した表情の男が、右手の人差し指を冷蔵庫のマーガリンに向けて、くるくると回す。


「はい、バターです」

「え?」

「マーガリンの箱の中身を、わたしの魔法でバターに変えました」

「そんなことができるんですか?」


 僕はマーガリンのふたを開けて中身を確認する……が。正直、見た目は変わっていないように見える。


「あ、いま疑ってるでしょ? 食べてみて下さいよ。ちゃんとバターになっていますから」


 そう言われて、僕は人差し指でマーガリンのようなバターを少しすくい取って、口に入れた。


「よくわかりません」

「え? ええ? バターとマーガリンの味や風味の違いがわからないんですか?」

「よくわからないから、バターじゃなくてマーガリンがうちの冷蔵庫にあるんです」

「あー。なるほど。そういうことですね。うんうん。まあ、いいでしょ」


 バターじゃなくマーガリンがあったときに見せた落胆の表情のまま、翡翠ヒスイ色の目が僕を見る。なんか、憐れみの色も見える。


「あの~」

「なんですか?」

「僕、もう少ししたら学校へ行かなきゃならないので。そこから降りて、朝ご飯を食べてくれませんか?」

「わたしはご飯ではなく、パンを食べます」

「えっと、朝食を食べてくれませんか?」

「そうですね。もう少しで第三部が読み終わるので、その後に食べます」


 そう言ってすぐに、銀色の長髪の頭がロフトの奥に隠れる。

 僕はトースターで六枚切りの食パンを二枚焼きながら、なんでこんなことしているんだろうなあ、と考えようとした。

 したけれど。


 昨日はバイトが終わった後から今日が締め切りの実験レポートの作成をしていて、そうこうしている間に時空の狭間で迷子になったとかいう銀色の長髪の魔法使いの男が午前二時にロフトに現れて、そのままロフトの本棚に置いてある僕のコミック文庫を彼が読み始めて、とにかく僕はレポートが終わらないから彼のことはほっといてずっとパソコンの前でさっきまで作業していて。


 ねむい。学校行って、帰ってきて寝てから、考えよう。無理。


 トースターがチンと鳴った。


「パン焼けましたよ~」

「ちょうど良かった。わたしも第三部が読み終わりました」


 食パンを乗せた平皿を二枚、テレビの前の小さな四角いテーブルの上に置く。それだけでバターになったマーガリンの箱を置くスペースが無くなったので、近くの床にあったティッシュ箱の上に置こうとしたら、ロフトから降りてきた彼に止められた。


「ちょっとちょっと。テーブル小さすぎませんか?」


 彼の人差し指が回る。

 テーブルが、一回り大きくなる。

 僕は大きくなったテーブルのスペースに、バターになったマーガリンの箱を置いた。


「このテーブル、後で大きさを戻してくださいね」

「もちろんですよ。わたしがいる間だけです」

「いつまでいるんですか?」

「さあ。とりあえず、元の世界の次元に戻れる場所を探さないとですね。出来ればこの部屋の二百倍の広さの平地があれば、たくさんの魔方陣を組み合わせて戻れると思います」

「広さが広すぎて、よくわからないですね」

「とにかく広い場所で、デコボコが少なくて、線が描ける場所です」

「グランドとか、畑とかですかね。調べてみますね」

「よろしくお願いします。それでは、朝食にしましょう」


 彼はバターになったマーガリンの箱に入ったままのバターナイフを手にとって、多めにバターをすくい、きつね色の食パンの表面にそれを丁寧に塗って、一口かじった。


「うん。美味しいバターですね」

「良かったですね」

「あ、使います?」

「どうも」


 彼から箱を受け取って、自分の食パンにもそれを塗る。食べる。美味しい。でもマーガリンでも、僕は美味しいと感じていた。

 あっという間に食パン一枚を食べた彼は、物欲しそうな顔をして僕を見る。


「このパン、薄く切り過ぎじゃないですか? 一枚じゃ足りませんよ」

「六枚切りですから。僕は薄めのパンが好きです。五枚切りより、一枚多く食べた気になりますし」

「それって、切り方の工夫で。全体量は変わっていませんよね?」

「そうですね」

「明日は五枚切りのパンがいいです」

「明日もいるんですか?」

「今夜中に、第七部まで全部読み終わらせるよう努力します」

「あ。第八部はコミック文庫になってないのと、そのコミックはいま学校の友達に貸しているので、うちにないです」

「ええ?! 今日中に返してきてもらってくださいね! じゃないと、その友人に呪いをかけますよ!!」

おどしはやめてください」

「わたしは本気です。わたしのスタンドが、その友人を攻撃しますよ」


 彼は立ち上がると、不自然な体の傾き方をしたポージングをして、僕を見下ろした。


「ドドドドドドドド」

「そこは口で言うんですね」

「おかわりのパンを焼いてもいいですか?」

「どうぞ」


 気に入ったのか、そのポーズのまま彼は床の上をスーッと移動して、小さな冷蔵庫の中から六枚切りの食パンが入った袋を取り出し、冷蔵庫の上のトースターの中に二枚入れて、ダイヤルを回した。


「牛乳が飲みたいです」

「その辺のコップを適当に使ってください」

「じゃあ、これをわたしのコップにします」


 来客用にひとつだけ買っておいた、僕のコップと色違いの白いのコップを彼は持って、牛乳パックの牛乳を注ぎ入れた。


「おっと! 白いコップに白い牛乳を入れると、どこまで入ったか見にくいですよ!」

「こぼさないよう気を付けてくださいね。あと、僕にも牛乳ください」

「この黒いコップに入れていいですか?」

「お願いします」


 彼がこの部屋に現れてから、およそ六時間。

 なんでこんなに馴染んでいるか疑問だけど、頭が働かない。

 牛乳の入ったコップが、僕の部屋の端から真ん中まで、ゆっくり空中を浮いてテーブルの上に置かれる。

 とりあえず、パン食べて牛乳飲んで学校行って帰って寝てから考えよう。


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