アレンジされたビビンバ丼

 もしも魔法が使えたら。

 やってみたいことや叶えたいことが、誰でもあるだろう。

 自分が魔法を使えなくてもいい。

 シンデレラに出てくるような、優しい魔法使いに自分の望みを叶えてもらえれば。


 しかし実際。

 うちのロフトに魔法使いが現れても、僕は彼に魔法を使って欲しいと願うことはなかった。

 なぜなら。


「ちょっとちょっと、聞いて下さいよ」

「どうしたんですか?」

「石化する人間ってどういうことだと思います? 難病情報センターで検索すると、進行性骨化性線維異形成症がヒットしたんですが、わたしはこれじゃないと思うんですよね。定助たちが追っているのはこの石化病の正体は」

「漫画です。フィクションです。それ以上くわしい事は言わないでください」

「えー。漫画やアニメは見終わったら考察を語るのが醍醐味だいごみじゃないですか。あそこは伏線だったとか、次の展開はこうなるはずだとか」

「そういう人もいます。でも僕は、次はどうなるのか楽しみにして待ちたい方なので、そういう難しいことは考えたくありません」

「ある程度の先読みをして非常線を張っておかないと、突然自分のしが死んだりしますよ?」

「ううっ……」


 第五部の途中で亡くなったおかっぱ頭の兄貴を思い出し、胸の古傷が痛む……


 と、このように。

 うちのロフトに現れた魔法使いは、ロフトに置いてあった僕の漫画を読みあさり、ドハマりして、その話ばかりしてくる。

 僕もその漫画が好きだから、買って集めているのだけれど。

 疑問に思ったことを僕のタブレットを使って検索し、考察サイトも読みあさっている彼とは、すでに知識と会話のレベルが違う。


「そういえば、元の世界に戻る予定は立ったんですか?」

「そうですね。最新刊まで読み終わりましたし。できればこの漫画が完結するまでこの世界にいたいのですが。元の世界でやらなきゃいけないこともありますしね」

「元の世界で何をしていたんですか?」

「見ての通り。魔法使いですが。何か?」

「いや。あの。聞き方が良くなかったですね。あなたは魔法使いとして、どのような仕事をされていたんですか?」

「仕事内容には守秘義務があるので答えられません」

「そうですか」


 魔法使いとの会話を例えると。キャッチボールをする気で投げた野球ボールが、突然バレーボールに変わってアタックされる、という感じだ。

 元より住んでいる世界が違うのだから、こうして同一言語で意思の疎通ができるだけでも、良いのかもしれない。ほかの魔法使いに会ったことがないので、確信は無いけれど。

 ちなみに、魔法使いは漫画を読みたい一心で、漫画を読みながら数時間で日本語を修得したというからすごい。それは、すごい。


 元の世界でも、勤勉で優秀な魔法使いだったのだろう。

 優秀な魔法使いが使う魔法は、一流の魔法だと思われる。

 大金持ちになりたいといえば、砂金の雨を降らせてくれるかもしれない。

 世界中の病気を無くして欲しいといえば、製薬会社が倒産するかもしれない。

 だけれども。


「あ、ちょっとテレビつけてもいいですか?」


 彼は人差し指でテレビを指すと、テレビの電源が点いた。

 国民的アイドルを目指す少女たちが主人公のアニメが画面に映る。


「はー。若いって良いですよね。あ、お茶ぬるい」


 白いマグカップに入っていた緑茶が冷めていたらしく、人差し指をくるくる回すと、マグカップから白い湯気が立ち上る。魔法使いは熱い緑茶をフーフーと吹いて、ズズッとすすった。


 要するに。

 魔法使いが使う魔法は実用性が高いが、利己的で地味だった。

 うちのロフトに魔法使いが現れてから二日経っても、僕があっと驚くような魔法は見たことがなかった。魔法に対する夢が、まるで無い。

 魔法使いが部屋の中を移動するときは空中浮遊をしているけれど、それさえもただ単に歩きたくないだけの横着なのではないか、という疑念さえ湧いてくる。


 さておき。

 魔法使いがアニメを見ている間に、僕は夜ご飯を作った。

 フライパンに多めの油を入れて、卵をふたつ割って焼く。

 焼いている間に玉ねぎと人参を粗みじん切りに。半熟で焼けた目玉焼きを皿に取り出して、同じフライパンに玉ねぎと人参、チューブのにんにくを少しと、冷凍のひき肉とほうれん草を入れた。砂糖と塩コショウと醤油を適当に入れて火が通ったら、解凍したご飯を丼によそって、肉野菜と卵を乗せて、スプーンを刺した。


「夜ご飯できましたよ」

「ありがとうございます。いただきます」


 いただきます、という言葉も漫画の中から学んだのだろうか。

 基本的な挨拶や礼を、魔法使いはマスターしている。

 しかもご飯の前でちゃんと両手を合わせている。僕だってそこまでしないのに。

 すごいなあ、と思いながら僕は、スプーンで半熟玉子の黄身を割って、味付けされた肉と野菜とご飯をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。


「うわぁ。それは、ないですね」


 僕の食べ方に、魔法使いが明らかに引いた顔をした。

 僕は魔法使いの前に置かれたタブレットを使って、ビビンバ丼の作り方と食べ方が紹介された動画を見せた。


「ビビンバ丼は、こういう食べ方なんです」

「いやいやいや。だってこれには、キムチともやしが入っていませんし、温泉卵だって目玉焼きになっていますし」

「アレンジです」

「アレンジとは、脚色したり新しく構成し直したりすることですよ? 実物の料理を正確に作ったことが無ければ、実物をアレンジすることはできないはずですが。あ、もちろん以前に本物のビビンバ丼を作ったことがあってのアレンジであれば、わたしは謝ります」

「本物のビビンバ丼は作ったことがないです」

「では、これはビビンバ丼のアレンジではなく、あなたのオリジナル料理ですよ。まあ、冷めないうちにいただきましょう。どうぞどうぞ」

「はい。いただきます」


 魔法使いはスプーンで半熟玉子の黄身を割って、味付けされた肉と野菜とご飯をぐちゃぐちゃにかき混ぜるという、僕と同じことをした。

 なんだかんだ言いつつ、適応能力がめちゃくちゃ高い。


「あ、美味しいですねコレ」

「良かったです」

「でももうちょっとタレがあった方が、もっと美味しそうですよね」

「冷蔵庫の中に焼き肉のタレがありますよ」

「そうですか。よいしょっと」


 魔法使いは人差し指をくるりと回して冷蔵庫を開ける。

 さらに指をくいっと曲げると、焼き肉のタレが飛んできて食卓の上に着地した。


「あの、冷蔵庫は閉めてください」

「ああ、すみません。忘れてました」


 魔法使いの指先が冷蔵庫を指すと、パタンと冷蔵庫の扉が閉まる。 

 僕が言ったことに、ちゃんと対応してくれる。

 この点が、魔法使いが面倒くさくても、にくめないところだと僕は思った。

 でも、早く元の世界に帰って欲しい。


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