モラトリアム

 小さい頃から電車が好きだった。

 物心がついた時にはオモチャの電車を買ってもらい、誕生日やクリスマスが来るたびに車両もレールも橋も駅も増えていった。

 オモチャの電車が走る姿が好きだ。

 自分で繋げた長い長いレールの上を、何両も連なった電車が滞りなく進んでいく姿に興奮して、夕飯の支度をする母のエプロンを掴んでそれを見せびらかした。

 幼稚園の同じクラスの子たちが携帯型ゲーム機で遊ぶようになってきても、僕はずっとレールを繋げて、オモチャの電車を走らせる遊びに夢中だった。


 小学生になると、遊びの幅も交友関係も広がった。

 僕は相変わらず、友達が家に来た時はオモチャの電車で一緒に遊んだけれど、友達の家ではゲームのやり方を教えてもらったり、公園で陣取り合戦のような遊びも教えてもらった。

 オモチャの電車以外の遊びに無関心だった僕を、実は心配していたと母から聞いたのは、大人になってからだ。

 とは言っても。友達と遊ぶ予定のない日は、僕は学校から帰って来るとランドセルから給食袋とプリントを母に渡し、連絡帳に書かれた通りの宿題を終わらせて、心置きなくレールを繋げて電車を走らせていた。就学祝いで買ってもらったタブレット端末のカメラ機能で、部屋いっぱいに広げて作った複雑なレールの写真を撮り、そのレールの上を走る何台もの電車を動画で撮ることも、僕の楽しみだった。

 電車で遊ぶ。その一言で終わらされるけれど。

 僕の遊びは年々、幅を広げていたと自分でも思う。

 むやみやたらにレールを繋げていた時よりも、レールを円環に繋げられるようになった時の方が面白くなったし。レールを二重に配置して二台の電車がぶつからずにレールの上を走り続けるようになった時は、自分の成長を感じられた。


 中学生になっても僕は電車遊びが好きなままだったけれど、不思議なことに高校生になると僕は全く電車遊びをしなくなった。

 正確には、中学三年生の冬の、受験勉強をしていた頃からだ。

 僕はどうしても行きたい高校があり、その高校へ入るために寝食を忘れるほど勉強をした。レールの繋げ方で埋まっていた僕の頭の中が、数学の公式や戦国時代の武将たちの名前で上書きされていった。

 僕はギリギリ、第一志望にした市内の高校に入学できた。けれどそこから学校の授業についていくのが大変すぎて、僕は遊ぶ余裕が無くしてしまった。そこが県内でも有数の進学校だったせいもあっただろう。

 三年間。僕は勉強に没頭した。電車遊びで培った記憶力や応用力を、全て勉強に注ぎこんだ状態だった。それでも目指していた第一志望の大学へ入学するには及ばず、僕は地元から離れた第二志望の大学へ進学した。


 引っ越しをする時。僕は一番お気に入りのオモチャの電車を一台、荷造りしたダンボールの中へ入れた。

 高校の時は、自分も周りも勉強勉強で、自分がオモチャの電車遊びが好きだということを話せる相手もいなかった。しかし大学に入り、より専門的な分野の学びを受けたいと願って入学してきた学生の中には、僕と似たり寄ったりの人間が何人もいた。

 電子回路を作りながら、息抜きにその人たちと電車の話をする。

 相変わらず学ばなければならないことは多かったけれど、僕は少しずつ、電車が大好き大好きで仕方なかった幼い頃の気持ちに戻っていった。

 そしてその気持ちを膨らませたまま、僕は大学を卒業して、鉄道会社に就職した。


 僕が小学生の頃に漠然と抱いた、電車に関わる仕事がしたいという夢。中学生になって、僕はタブレット端末の検索機能を使いながら、どうやったらその夢を叶えられるかを真剣に考えた。そしてこれが、僕の導き出したひとつの道だった。

 就職してから自分のお金を使って、ますますオモチャの電車で遊ぶようになると「いつまで子どものつもりでいるの」とか「もういい大人なんだからそんな遊びは卒業しなさい」と言ってくる人もいた。でもそれはその人の言い分であって、僕の中では正解ではない。それに僕自身、自分がいつまで子どもだったのか、いつから大人になったのかなんて、知るよしも無い。二十歳はたちになって成人式に出た時も、自分はもう大人になったのだという自覚は無かったし、大学を卒業して就職をして仕事を始めても、もう子どもじゃなくなったと言える自信はなかった。

 僕はずっと、オモチャの電車に夢中なままだ。

 もしもオモチャの電車が無くなってしまえば、僕は夢中になれるものを失ってしまうし、きっと今の仕事も失ってしまう。なにもかも失った時こそが大人になったのだと言える人が、いるのだろうか。


 ただ、オモチャの電車で遊ばなかった高校の三年間。

 あの期間は、僕の中で色んな物事に折り合いをつけるために、どうしても必要な時間だったとは思う。

 自分の夢を本当に叶えたいのか。叶えられるのか。今の自分の状況が、本当に自分の望んでいたものなのか、などなど。

 オモチャの電車から離れて悶々としていたあの時に、僕は少しだけ、子どもから大人になっていたような気がしないでもない。


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