もう一つの太陽ー第2話
「わーかったよ、買ってくりゃ良いんだろ。意味が分かんねぇよ、ったく!」
差し出された千円札を引っ掴んでレジまで歩く。
パリなんて興味もないし、行こうと思った事も無い。
家が一番だし、二駅電車に乗るのも面倒なこの俺が国境を超えるなんて自分でも笑える。
それでも沢木がそんな所にいたら、こんな俺でも会いに行ったりするんだろうか……?
なんて、まだ非現実的過ぎて想像すら出来ない。
「これ下さい」
「はい、ありがとう……」
え、タメ口かよ?
「……」
顔を上げた先、記憶を辿る時間が物凄く長く感じられた。
こいつ、誰だっけ……?
知ってる様な気がして、でも思い出せない目の前の店員は「相馬」と書かれた名札を付けている。
「あっ、すみません。ありがとうございます……」
「……相馬君……なのか?」
「……やっぱり、上条君だよね」
照れ臭そうに鼻の頭を掻いた彼は、小学生の時の面影が無くなって別人の様だった。
けど、クリクリした女の様な目元だけが何となくあの頃と一緒だった。
痩せた頬、華奢で小柄な身体、小学校の時は男子の中でも少し背の高い方で廉太郎の方が小柄だった。
育ちの良いお坊ちゃんと言う、富裕層独特のふくよかさがあった様に思う。
「い……」
生きてたのか、と言いそうになって口を噤んだ。それは流石に暴言過ぎる。
「あ、七百円になります」
「あ、あぁ、じゃあこれ……」
「上条君、背、高くなったね……僕、あんま伸びなくてさ……」
「げ、元気そうだな……」
あんまり元気そうには見えなかったけれど、そう言うありきたりな言葉しか出て来なかった。
唐突に雲の切れ間から顔を出した真実に、思考が付いて行かない。
「うん……一応、何とか……」
「そうか……」
「奥村さんから、浅沼君からの手紙貰ったんだ。会えないか? って……」
「奥村……?」
そう言えば、俺に難癖付けてた女子の取り巻きにそんな名前の女子が居た気がする。廉太郎の正論に、バッサリ切られたヤツだ……。
「小学校の時、同じクラスにいた奥村さん。この向かいにある、芹沢女学園に通ってるんだよ……。僕が学校行かなくなってからも昔からよく連絡くれてて……」
「廉太郎から手紙……?」
あの日、スーパーの駐車場で俺達が見たのは、奥村に相馬君宛ての手紙を渡している廉太郎だったのか。
「会って話せないか? って書いてあった。でも僕、恥ずかしくてさ……。こんな痩せてるし、病気がちで学校も行ってないし、上条君は廉太郎君と同じ学校なんだろ?」
「あぁ、って言うかあそこに来てる……って、あれ? あいつどこ行った?」
「上条君……あの時は、本当にゴメン」
釣銭を渡す相馬君の手は震えていた。
痩せて乾いた様なその指は、少し尖って見える。
ずっとこの世にいないと思っていた相馬君が、生きていた。
俺はそれだけで、この十年の重荷から解放された気分だった。
「あ、いや……俺は別に……」
「あの時、上条君が僕を引きずり出してくれなきゃ、僕はきっとずっとあの時の事を反省も後悔も出来なかったと思う。悪い事をしたって、ちゃんと反省出来たのは君のお蔭なんだ。一番嫌な役回りを引き受けさせてしまって、本当にゴメン……」
「いや……」
「あ、お待ちの方どうぞ……」
紙袋に入れられた雑誌を受け取って、待っていた客にレジを譲った。
「ま、また来るよ……じゃーな」
「うん、またね、上条君」
健やかとは良い難いけど、相馬君は生きていた。それだけで十分だ。
生きてさえいれば、いくらだってやり直せる。
優等生の振りをしていたあの頃の相馬君とは全然違う雰囲気だったが、彼は笑っていた。
さっきまでいた廉太郎が見当たらない。
こんな広い所でうろちょろされたら、探す方が大変だ。
電話を掛けようとスマホをポケットから取り出した瞬間、背後から呼ばれた。
「トロ」
「……お前、どこ行ってたんだよ?」
絶対に冷やかすと思っていた、のに……。何だ、その安堵した様な顔は。
「良かった。トロが泣くんじゃないかって、ちょっとビビってた……」
「ド阿呆……、誰が泣くか」
「たまたま樹里を送って帰ってた時に、奥村さんを見掛けてさ……。相馬君と連絡取ってるって言うから、会えるように交渉してみたんだけど、ダメでさ。奥村さんからここでバイトしてるって情報を聞いて、どうしてもトロを連れて来たかったんだよね……」
「でも、相馬君は自殺したって話……あれはガセだったのか?」
「奥村さんの話だと、自殺未遂したのは本当らしいよ。だけど、その後直ぐに家族の方が亡くなって葬式があったんだってさ。相馬君の自宅に掛かってる鯨幕を見たヤツらが、そんな噂を流したって奥村さんが言ってた」
「何で自殺未遂なんか……」
「引っ越した先でも苛められたり、入退院を繰り返してたらしくて学校もまともに通って無かったから、自暴自棄になってたらしい……」
「そう、か……」
「でも、今はこうやってバイトしたり学校行けなくても通信で勉強したり、前向きになってるって奥村さんが言ってたよ」
「そうか……そう、だったのか……」
自分が悪気も無く発した言葉や、何の他意も無い行動で、誰かを傷つけたと言う事実はきっとずっと消えたりはしないんだろうけど、照れ臭そうに笑った相馬君を見た時、俺は少し救われた様な気になった。
悪い事をしたのは相馬君で、相馬君はそこから逃げたと言う廉太郎の言う事も間違っては無い。
俺だって、廉太郎の立場ならそう言うかも知れない。
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