白い謎ー第5話

 金曜日の放課後、帰り支度をしている所にクラスのヤツから声が掛かった。


「おい、上条かみじょう……」

「……?」


 何も言わずに戸口を指差しているクラスメイトの指の先には、真っ赤になって立っている沢木さわきがいた。

 ……ナニゴトだ。

 そんなに赤面するくらいなら、わざわざこんな所まで来なくともラインでも寄越して来れば良いだろうに。


「……何、どうした?」


 戸口まで行って声を掛けた俺の背中に、クラス全員の視線が集まっているのが分かる。

 かの有名なプロポーズまでした上条の彼女が来ている!

 と言う感じだろうか……。バカバカしい。


「あ、あ、あ、あのっ……」

「落ち着け」

「あ、明日の……時間を……」

「……帰るか。カバン取って来い」

「はい……」


 弾かれた様に自分の教室に走り去っていく沢木の後ろ姿を見て、溜息が漏れた。

 やれやれ、だ。

 流石に普段の俺の雰囲気を知っている故に、あからさまに冷やかすヤツはいないけれど、好奇な視線が多方面から向けられていると流石の俺でも居た堪れない気持ちになってしまい、足早に教室を出る。

 正門の脇で沢木が出て来るのを待っていると、追い掛けて来た廉太郎れんたろうが息を切らしている。


「遅かったな、廉太郎」

「誰のせいだよっ!」

「何が?」

「クラスの連中に根掘り葉掘り聞かれて、置いて行かれた僕の身にもなってくれ!」

「知るか……。と言うか、何故教室まで来たんだ、あいつは」

「さぁ……?」


 首を捻る廉太郎の陰から、沢木が顔を出す。


「れ……連絡先が分からなくて……」


 眉尻を下げて困った様に笑う沢木は、生徒会で一緒に帰れない樹里から「明日の集合時間を廉ちゃんに聞いておいて」と頼まれたらしいのだが、気が付いたら廉太郎の連絡先も、俺の連絡先も知らなかったので、A組に行くしかないと思って来たらしい。


「あー、エニィちゃんはそれでA組に来たのに、上条君じゃなくて浅沼君いますか? なんて聞いたらダメかもしれないと思ったんだ?」


 廉太郎はなるほどなるほど、と頷いているが、この話は微妙にオカシイ。


「樹里が廉太郎に連絡すれば良い事じゃないのか?」


 一瞬、二人が黙ったので、俺は更に意味が分からなくなってしまう。


「まぁ、良い機会だからさ。ライン交換しとこうよ」


 確かに、何かとつるんでいたのに、スマホでやり取りする事なんかなくて忘れていた。お互いのスマホを出してラインを交換し合い、明日午後一時に俺達が通っていた小学校に待ち合わせる事になった。


 駅に折れる道で沢木と別れて、いつもの様に廉太郎と自宅近くまで歩く。

 今日は久々に晴れたが、明日はまた雨予報だ。出掛けると言うのについてない。


「明日お邪魔するお屋敷は、松平さんと言って縫製会社の社長さんのお宅らしいよ」


 松平……将軍家と同じ名前がもう、立派だ。


「ちなみに件の秘密の部屋は、今年の春に交通事故で亡くなった現社長の父親が、自分で作ったモノらしい」

「へぇ……」

「金持ちの道楽、ってヤツかな?」

「さぁ……」

「開ける自信はあるのかい?」

「どうだろうな……」

「でも考えてはみたんだろう?」

「何故、開かないようにしたのか。そこが鍵だろうとは思っている」

「何が入ってるんだろうねぇ?」


 俺は廉太郎の言葉に返事を返すのが面倒になって来て、黙った。

 真っ赤に赤面していた沢木を思い出して、今日が金曜日で良かった、なんて思う。

 土日が挟まれば、クラスのヤツらも金曜の放課後の事など忘れているだろう。

 いくらあいつが納得しているとは言え、あいつが気にしぃである事は変わらない。


 隣を歩く廉太郎は、あの女子高の生徒の事を話すつもりはないらしい。

 まぁ、幼馴染とは言え、全てを開示する義務はない。

 俺の知らない廉太郎の事情なんて、蓋を開ければいくらでもあるのかも知れない。

 ただ、今回はたまたまその一端に遭遇してしまっただけで。

 それじゃ、といつもの様に片手を上げて自宅方向へと辻を折れていく廉太郎に「おー」とそっけない返事を返して家の鍵を開ける。


「きょうじゅー、ただいまー」

「にゃーあー」


 いつものお帰りの後に、床を滑る爪の音。そろそろ爪を切ってやらねば。

シャッシャッシャッシャッと軽快に縁側を走って来る。


「どうした、今日はお出迎えか?」

「んなーん」

「腹が減ったんだろ」


 人の気配がしない古い一軒家の廊下には、冷たい空気が流れている。

 夏も近いと言うのに、家の中はひんやりと冷たく、板張りの廊下は靴下を履いていても冷たく感じる。

 別に淋しい訳じゃ無い。

 ただ、何をしていても、虚しく感じる理由が自分でも分からないだけだ。

 廉太郎の様に楽しいと思える事も、樹里の様に何事も必死になって頑張る事も、俺にはその価値が分からない。

 いつも客観的に見ては、物凄く遠く感じる時があって、遂にはそれを考える事さえ面倒になって投げる。

 沢木に至っては他人の事ばかり考えて、自分の事は後回しになるのだから、理解のしようがない。


「あいつは何が楽しいのかね……?」


 俺の唐突な質問に華麗なスルーで餌を齧る教授は、よほど腹が減っていたらしい。


「どうでも良いか……」


 人は何故、翼を失ったのか?

 もしかしたら、飛ぶ事に疲れてへばっている間に退化したんじゃないかと、本気で思う時がある。

 怠惰な人間は、飛ぶ事を諦めたんじゃないかって。

 生物学上、退化するのは必要ないからだ。

 でもどうしてか、それが正解だと確信が持てない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る