文学と経験者と教授ー第6話
同じ筆跡、同じ言葉が二十通並んだそれは、少し気味が悪く感じられる。
「何でもっと早く言わなかったの? エニィ」
「あ……ごめん、ジュリィ」
「樹里の大会が近いから、エニィちゃんは心配かけたくなかったんだって」
「そんなの! 気にしなくて良いのに!」
気にしないで、と言われて気にしないでいられるようなら、こいつは人の事ばかり考えちゃいないだろう。
「しかし、こうやって見ると、気色悪いね。一体、犯人は何がしたいんだろう?」
尖った様な特徴のある大き目の筆跡。
自信家で、気が強く、傲慢な印象を受ける字だ。
部屋の中を見て、本棚に並んでいるのが近代文学や国内外問わず推理小説、沢木が文学に興味が深い事は分かった。
なら、相手はこれが伝わるかも知れないと思っている可能性はある。
筆跡で気付くかもしれないのに、名前は書いてない。
知って欲しい願望と、知られたくない恐怖の様な物を同時に感じさせるメッセージだ。
そして、俺はこの言葉を知っていると兄貴は言った。
条件は、文学、経験者、教授、そして俺の記憶。
「なぁ、お前達。知って欲しいけど、知られるのが怖い感情とはどう言うモノがあると思う?」
「恋愛感情でしょ」
廉太郎のポカンとした返答に、
「右に同じ」
樹里が間髪入れず答える。
「お前達はそこから物事を切り離して考えられないのか? それに、恋愛ならば想いを遂げなければ意味が無いだろう?」
「ロミジュリ的な、結ばれてはいけない相手だから! とか?」
顎の螺子が行方不明だ。開いた口が塞がらん。
たまに少女趣味的な発想を事も無げに出して来る樹里は、胸の辺りで両手を握りしめ、上を見上げて大根役者となっている。
お前に宝塚のスターは無理だ。バカヤロウ。
「結ばれてはいけないから、バレない様に何度も告白する……どれだけ気が狂ったらそんな事が出来るんだ。それに現代で結ばれてはいけない、なんて早々あるか。可能性が無い事にそれだけの浪費が出来るとしたら、この手紙の主は余程の暇人だ」
「あんたみたいな枯れた人間ばっかいるわけじゃないのよ。人を好きになったら、何をするか分からないのが人ってもんでしょ」
樹里の言いたい事は分かる。
人が人を殺す理由にさえなり得るのが「愛」や「恋愛感情」である事が、俺にも分からない訳じゃ無い。
日頃のニュースでも良くお見かけする。
痴情の縺れ、ストーカー行為からの殺害。
ニュースにならずとも、ネットを彷徨えばいくらでも出て来る浮気、不倫、離婚。嘘ばかりの人間模様。
だが、当の本人がこれほど思い当たらない相手が、そこまで思い詰めているなんて、非現実的すぎやしないか? と思う。
いくら沢木が鈍いとは言え、身の回りの人間で、筆跡まで明らかにしてきているのに、心当たりが無いとはどう言う事なのか。
「エニィちゃんには婚約者とか、いるのかい?」
「えっ? い、いませんよっ」
「だろうねぇ。いたら、トロの偽物彼女なんかやら無いよねぇ」
分かっているのに、何故聞いたんだ。阿呆が。
「じゃあ、こういうのはどう? この犯人はトロとエニィちゃんの噂を耳にして、気持ちを伝えてはいけないけど、言わずにはいられない。だから、分からない様にしてしまおう! ってね」
「噂って、何だ? 廉太郎」
「もう、忘れちゃったの? 上条君は
ニヤニヤと俺の方を見ている廉太郎を黙らせる方法は無いモノか。
ここの所、このバカップルに弄られてる現状が非常に芳しくない。
「さ、されてませんよっ! プ、プロポーズなんて……」
「うん、してないよ。イチイチ、真に受けるな」
「あ、うん……」
どうやら、沢木はこの噂を今初めて聞いた様だった。
だが、学校の下駄箱に入っていた事を考えたら、同じ学校の生徒である事は可能性が高い。そして、沢木の家を知っている。
該当する人間がどの位いるかは分らないが、恋愛感情だと言う事で押して良いものなんだろうか。
「お前は、結構本を読むみたいだが、それを知っている人間はどのくらいいる?」
「ど、どうだろ……。たまに休み時間とかに読んでるから、そう言うの見掛けて印象として残ってるとかはあるかも……」
「同じクラスに家を知ってるヤツは樹里以外にもいるのか?」
「何人かは……」
「家を知らなくても、この辺りに住んでる事さえ分かれば家を探すなんて十分可能でしょ。この辺りで沢木って言ったら、有名だもの」
「どう言う事だ? 樹里」
「どう言う事って……あんた、今の今まで知らなかったの? エニィの御両親は有名なピアニストよ? 沢木丈二と沢木紫、聞いた事無い?」
ピアニスト……ですか。なるほど、世界が違うわけだ。
それはともかく、そんな超有名人の家ならどこかで調べが付くだろう。
これでまた絞り込みが出来なくなった。
「あっ!」
突然声を上げた沢木に、全員が意表を突かれて驚いた。
「何だ、何か思い出したか?」
「どうしたの? エニィ」
「犯人に思い当たる人物が? エニィちゃん」
「いえ、あの……お夕飯の支度を忘れてました」
あぁ、そう……。
「さっき、吉野さんにお願いして今日のお夕飯は私に作らせて下さいって言っておいたんです。皆に何か、お礼がしたくて……」
「あ、じゃあ私も手伝う!」
「げっ! 樹里、本気なの?」
廉太郎、それは地雷だ。
「げ、って何よ、げ、って! 廉ちゃんは私が作った物は食べれないって言うの?」
「いや、そうじゃないんだけどさ……ははっ」
「じゃあ、下でご飯の準備してくるね。出来たら声かけるから」
女子二人を見送って、俺は溜息を一つ零した。
壁に凭れてふと、本棚に視線をやると並んでいた本のタイトルが目に入る。
「羅生門、蜘蛛の糸、芥川龍之介、細雪、谷崎純一郎、心、坊ちゃん、吾輩は猫である、夏目漱石……江戸川乱歩全集に、コナンドイルに、アガサクリスティ……」
意外だった。もっとフワッと……。
いかん、廉太郎の残念形容が感染している。
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