白い謎ー第13話

「上条、どう言う事? 分かる様に言いなさいよ」

「排水溝の蓋が開かないハズがないだろ? 詰まったらどうやって掃除するんだ」

「でも、僕が引っ張っても押しても、ビクともしなかったよ?」

「だからそれがオカシイだろうが」


 俺は小雨に降られながら排水溝の金蓋の所で一頻り考えた後、不思議そうに様子を伺う三人に声を掛ける。


「お前達、建物の後方に下がっててくれ」

「何するのさ? 手伝うよ?」

「いや、これは一人じゃないと開かない扉だ」

「分かったのかい? トロ」

「多分な……。良いからお前らギリギリまで下がれ」


 俺は廉太郎達を建物後方ギリギリまで下がらせた後、金蓋を跨いで右角に足を乗せた。


「ちょっと、あんた何やってんの! そんな端に立ったら危ないわよ!」


 樹里の言葉に片手を上げて待て、と合図した。

 右足と左足を枠取りしてある十センチの幅に合わせて直角に置いて、金蓋の隙間に指を入れて引き抜く。

 意外と重いが、多分それは素材のせいでは無い。

 力の入れにくい体制のせいだ。

 建物ギリギリ、バランスを崩せば俺は骨折だけで済めば良い方だろう。

 隙間に泥が詰まっているのか、ザリザリと言う音を立てた後、白い一枚の板が一メートル四方で持ち上がる。

 まるで四角い穴を塞ぐ様に固定されていないその一枚の蓋は、屋上の床の一部を一メートル四方に切り取られただけの扉だった。


「開いたぁ!」


 歓声を上げたのは沢木だった。

 三人が駆け寄ってきて、俺は満面の笑顔で差し出された沢木の手を掴んでその開いた穴を飛び越えた。


「何で? さっきは全く動かなかったのに!」


 樹里は目から鱗と言う顔をしているが、普通に考えたら単純な事だ。


「お前達がこの蓋を塞いでたからだろ」

「どう言う事?」

「この蓋の上に三人も乗ってりゃ、百五十キロ以上の重しが乗ってるのと同じだぞ。動くわけ無いだろうが」

「上条、その百五十キロの内訳を言ってみなさいよ」

「廉太郎六十、樹里五十、こいつが四十くらいだろ」


 沢木を指して樹里を見る。


「私はそんなに重くないわよっ!」


 さいですか……。俺はもう返事をするのを諦めて後頭部を掻いた。


「あぁ、そうか。だから一人じゃないと開かないって事だったんだね? トロ。誰かと一緒だったら、きっとこの蓋の周りに集まっちゃうもんね。そしてこの端っこギリギリ枠の上に乗ってからじゃないと開かないって事か」

「普通は足場の広い方に立つからな。わざわざ落ちるかも知れない方に立つヤツはいない」

「下に降りてみようよ」


 廉太郎の好奇心の花が頭の天辺で揺れている。

 入り口からは下に降りる狭い階段が作られていて、中は暗くて良く見えなかった。

 全員を中に入れた後、外した蓋を元に戻して雨が降り込まない様に最後に中に入った。

 俺が入口を閉めるまでは、薄暗い中に階段がぼんやりと見えていたが、閉めた途端に真っ暗になったかと思うと、天井から無数の発光が始まる。


「う……わぁ……」


 沢木の声だ。目が慣れない俺は、眩しさを遮る様に瞼を伏せた。


「これは凄いねぇ、樹里」

「うん、綺麗……」


 壁一面漆黒に塗られた小さな部屋の中に、闇で発光する石を無数に埋め込んである。

 四方に疎らに埋め込まれたそれはまるで、蛍の群れの中にでも放り込まれた様な気分だ。

 閉め切られている部屋の中は、壁の素材のせいなのか意外と涼しく感じられたが、二十一年分の埃臭さが鼻に付く。

 俺はその匂いに眉頭を寄せた。


「廉太郎、懐中電灯を貸してくれ」

「上条あんた、情緒の欠片も無いわね。何か一言くらい感動の言葉は無いの?」

「ウワースゴーイ」

「カタコトになってんじゃないわよ!」


 廉太郎がリュックから出した懐中電灯を点灯し、俺はここに在るはずの物を探す。


「何を探しているんだい? トロ」

「遺品だ。お母様の」


 二つの向かい合ったソファと、真ん中に置かれた小さなテーブル。

 その下には引き出しが付いていて、それ以外は何も置かれていない。

 テーブルの引き出しを開けると、一枚の写真が出て来た。

 仏頂面の若い男と、優しく微笑んでいる華奢な女。多分これがお父様とお母様の若かりし頃の写真なのだろう。

 登山の様な格好にも見えるが、映っている背景が日本のそれとは違う気がする。

 微妙に翡翠の様な色を放つ光の中で、その写真はより色褪せて見えた。


「旅行に行った時の写真かな? お母様、綺麗な方だったんだね」


 俺が手に取ったその写真を食い入る様に見て来る沢木は、甘い花の香りがした。


「近い……」

「あ、ごめん……」


 好奇心に引き摺り回される廉太郎は、引出を盗人顔負けで荒らしている。

 床に投げ出された宝石の入ってそうな正方形の箱や、細長い箱。

 それから古いチケットや、手鏡の様な物まで、お母様の物と思わしき遺品を、乱雑に床に放るのが廉太郎と言う生き物だ。

 情緒がどうとか言われていた俺だが、こいつのソレはどうなのだ。


「ちょっと、廉ちゃん。読むのはマズイって! それ手紙じゃない!」

「大丈夫、大丈夫。封は開いてるんだし、バレないよ」


 そう言う問題では無かろう。


「なになにぃ? 拝啓、松平源蔵まつだいらげんぞう様。って事はお母様からお父様に当てた手紙だね」


  

  もう、あまり持たないとお医者様に言われてしまいました。

  こんな病気になってしまって、ごめんなさい。

  貴方の妻でいられた事は私の最高の幸せでした。

  願わくば、もう一度あのカナダで見た夜空を貴方と二人見に行きたかった。

  どうか私がいなくなっても、あの日の約束を忘れないで下さい。

                               松平淑子まつだいらよしこ



「ここは、お父様が作ったカナダの空だったんだ……」


 沢木は安心したかのように、ふんわりとした口調でそう零した。


「お父様はお母様が死ぬ前にこれを見せたくて必死だったのね」


 樹里も、それなら仕方ないと言いたそうな口ぶりだ。


「星空の中に君を閉じ込めて離さないよ! って感じかな? ね、トロ」

「……出るぞ」


 遺品の全てを引き出しに戻した後、入って来た蓋を押し上げて俺達は外に出た。

 雨足を強める梅雨の夕暮れ、結局濡れ鼠になった俺達は、松平邸の母屋で暫くの間雨宿りしてから帰る事になる。


「ご主人と二人で行ってみて下さい! きっとご主人にも伝わるはずですから」


 そう言ったのは沢木だった。

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