白い謎ー第12話

「白と……黒……?」


 ペンキの缶のまえでしゃがみ込み、首を捻っているのは沢木だった。

 後れ毛を指に絡めた沢木は、小さな頭を左右に行ったり来たり、傾げている。


「どうした? 何か気になるのか?」

「トロワ君。この建物は白いのに、何で黒いペンキがあるのかな……?」

「内装に使ったんじゃないのか?」

「じゃあ、この部屋の中は真黒なのかな?」

「……塗り潰したかどうかは分からんが」


 その沢木の言葉で、俺はドラム缶に感じた違和感が何かに気付く。

 ドラム缶の中身と言ったら石油を想定するが、この部屋を作るのに石油は必要ない。

 このドラム缶はこの部屋を作る為の物では無い、と言う事になる。

 俺の視線に気付いた廉太郎が「ははぁん」と厭らしげな顔で笑う。


「お父様はここでお母様と焼身自殺する為にこの部屋を作った。だから、危篤だと聞いて慌てて完成させたかったのさ。一緒に逝こう、なんて約束を果たす為に! でも、悲しいかなお母様は完成まで持たなかった……ってのはどうだい?」

「そんな……」


 沢木が一瞬にして顔を曇らせる。


「まともに聞くな。あり得ないから」

「どうしてあり得ないのさ? トロ」

「焼身なんて強烈な方法で一緒に逝こうと約束した人間が、二十一年後の今年の四月までのうのうと生きてるなんて、あり得ないだろう。しかも死因は交通事故だぞ。本人の意思とは関係なく死んでるんだ」

「助かったら命が惜しくなったかも知れないじゃないか」

「こんな豪邸に住まう金に困ってない人間が、自宅の庭で焼身自殺する理由が分からん」

「あんた達、言葉選びなさいよ」


 そう言った樹里はあからさまに俺を睨んでいる。

 いや、待て。これを言い出したのは廉太郎であって、俺では無いんだが。

 もうすぐ雨を降らせるよ、とでも予告している様な黒雲が重く漂い始めていた。

 さっきまでは曇っていてもまだ薄らと明るかったのに、いよいよ雨の準備が整ったと言った雰囲気だ。

 さて、後調べてないのは屋上だけだ。早くしないと雨に降られてしまう。

 しかし、どうするか……。

 この四人の中で一番身長が高いのは俺だが、ドラム缶の上に乗った所で天井までは届かない。

 ドラム缶に三十センチ足らずのペンキ缶を乗せてそれを足場にしてもせいぜい三メートルを超える程度だ。


「廉太郎、園芸脚立を借りて来てくれないか?」

「上を調べるんだね?」

「あぁ、何もないとは思うが、一応可能性は潰しておく方が良いだろう」


 了解、と母屋の方へ走って行った廉太郎の背中には大きなリュックが揺れている。


「何を持って来たんだ……あいつは」


 ボソリと呟いた俺の独り言に樹里が淡々と答える。


「工具一式とレインコート、それから懐中電灯、それから……」

「折り畳み傘」

「正解」

「工具なんて重たいものを良く持って来る気になったな……」

「張り切ってたからね、廉ちゃん。私、手伝いに行って来る」


 鳴いた烏が何とやら。

 嬉しそうに笑う樹里は、さっきの喧嘩の事などもう忘れているらしい。

 仲直り出来たと言う事は、廉太郎の隠し事は大事に至らないと言う事なんだろうか……。


「雨が降りそうだね……」


 俺の脳裏に過った事を見透かしたように、徐に空を見上げている沢木がそう呟いた。


「そう、だな……」

「お父様はお母様に何をしてあげたかったんだろう……?」

「何かをしてやりたかった、と決まった訳じゃ無い」

「でも、そうじゃ無かったとしたら……お父様は酷い人って事になるよね」

「色々事情があったかもしれん」

「そう、かも知れないね……」


 そう思いたい。沢木の顔はそう言っている様に見える。

 いつだって、本当の事を知る時は、後味の悪い結末になる。

 あの相馬君の事件の様に。


 このまま、開かない扉は開かないままにして、沢木が言った推論を有力説としておく方がハッピーエンドで有耶無耶に出来て良いのかも知れないなんて思う。

 最悪の場合、廉太郎が言った様な悲しくて理解なんて到底及ばない他人の気持ちを暴く可能性が、無いとは言い切れない。


「借りて来たよー!」


 二メートル以上ありそうな伸縮する園芸脚立を、廉太郎と樹里が並んで抱えて持って来た。


「さて、行きますか!」


 廉太郎は張り切ってその脚立を塀越しに立てる。

 各々が登った後、俺は最後にその平らな屋根の上に足を下した。

 何の変哲も無い、平らな屋上。

 流石に泥汚れが酷い。

 壁は定期的に清掃していても、屋上の壁までは磨いて無かった様だ。

 でも、建物裏にドラム缶等を放置する割には、壁が綺麗なのは妙な気がする。

 一応十センチ幅の縁取りがしてあるが、たった一つ見えるのは建物前方右角にある排水溝の蓋と思わしき金蓋だけだ。

 真っ白な開かない部屋は誰も入ってくれるなと、ただそこに立っているだけだった。


「ダメだ、これも開かないや」


 扉の前の十字の鉄の棒と同じく、何もない屋上に唯一ある排水溝の金蓋が廉太郎の好奇心の餌食になった様だが、それを押しても引いてもビクリともしないらしい。

 廉太郎を囲む様に樹里と沢木もその様を見ていた。

 高い所に上るのは嫌いじゃない。

 今日が曇じゃ無くて、晴れていたらここは意外と見晴らしが良い昼寝に最適かも知れない場所だ。

 今にも雨が降りそうな空を見上げて「降りるか」そう声を掛け園芸脚立に足を掛けると、パラパラと雨が降ってくる。


「わー、降って来た」


 廉太郎の声に、俺はふと気づいた。


「おい、廉太郎。さっき何て言った?」

「何が? わー、降ってき……」

「いや違う。その前だ」

「開かないや、って言ったけど……?」


 俺は四方を見渡して、その言葉がオカシイ事に確信を持った。


「どうしたの? トロワ君……」


 不安げに見ている沢木に「開かないはずがないんだよ」と呟いた。

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